# 9

 自分の台詞が少ないからといって、台本を読まなくていいという訳ではない。


 他の役がどんな掛け合いをし、その中で自分がどのような気持ちで、どう振る舞うのか。それ以外にも、例えばカイはマーシャと出会うまでどんな経験をし、何を考えて生きてきたのか。一つ一つの台詞を読み解き、想像した。


 それに、そんなことを抜きにしても、この台本は読み物としてもおもしろい。ただのファンタジーかと思っていたが、メッセージ性が強く出ている。


 思ったことを何でも口にして、周りの人を傷つけてきたカイ。大人になって初めて、自分の言葉が周りの人、さらには恋人までをも傷つけていたことを知る。そんな彼に魔女が呪いをかけ、見知らぬ異世界へと飛ばす。そこで出会ったのが、人を傷つけることを怖れて声を発せなくなってしまった少女、マーシャだ。マーシャは、裏表のないカイに勇気付けられ声を取り戻す。そして、カイはマーシャから呪いを解くヒントを教わる。無事に元の世界に戻ったカイは、これまでの行いを詫び、恋人と永遠に結ばれる……。


 これが、現実世界の会社やら学校やらを舞台にした話だったら、とても見ちゃいられなかっただろう。


 ◆


 さて、そろそろ用意しないと。


 時計を見て、現実世界に戻る。今日は15時からのシフトだ。


「ここのところ、休みないねえ」


 出かけようとすると、玄関まで見送ってくれた母が、責めるような口調で言った。


 休みがないように見えるのは、稽古の見学に行った日に、仕事だと言って出てきたからだ。稽古に行くことを説明しようとは思わなかったし、舞台に乗ることも言うつもりはない。


「人足りないから、しょうがないよ」


「そんなに忙しいんだ。……ねえさっちゃん、本当に今の仕事でいいの?」


「何言ってるの。もう、行くね」


 私は苦笑して、家を出た。


 ◆


 店に着くと、谷店長がコーヒーメーカーの掃除をしていた。


 またか。挨拶をしながら、笑いそうになった。店長は暇さえあればコーヒーメーカーの手入れをしていて、店員の間でもよく話題になっている。


 谷店長は、東京にカフェを開くのが夢で、東北から上京してきたそうだ。そのはずが、紆余曲折あって今の仕事に落ち着いている。カフェを開く夢は諦めたものの、いずれは店内にイートインスペースを設けて、ゆっくりくつろげる空間を作りたいとか。


 まあ、駅前の回転率の高いこの店じゃ無理があるだろうし、おまけに隣には有名チェーンのカフェがある。身の程をわきまえてもらいたい。


 バックヤードに入ると、奥の事務所にオーナーがいた。机に向かう、黒いスーツと、短く刈り込んだ髪型。後ろ姿でも誰だか分かる。


 ちょうどいい。どちらに先に話すか悩まなくて済む。舞台に出るなら、公演当日の2日間の休みは確保しないといけない。週1回の稽古の日も、毎回とはいかなくてもなるべく休みをもらいたい。これを上司に言わない訳にはいかない。


 正直、実際のシフトを作っている店長に言うのは気が引けるが、オーナーなら、芸人志望の盛田くんみたいに夢を追ってアルバイトをしている人たちに理解があるし、多少は言いやすい。その後、オーナーの前で店長に話せば角が立たなそう。


「おはようございます」


「おっ、おはよう。今日はこの時間か」


 オーナーは振り返って答えた。お店のコンピュータも、オーナーのノートPCもロック画面のまま、机の上には業界雑誌を広げている。今なら話しかけてもよさそうだ。


「あの、オーナー、少しだけご相談が……」


 私は手短に経緯を話した。


「――という訳で、なるべく仕事に支障が出ないようにはしますので……」


「いいじゃん、頑張ってね」


 オーナーの返事は、あっさりしていた。


「11月の、26と27だね」オーナーは、手帳に書き込みながら続けた。「俺も観に行っていいの?」


「ええっ、それは……」


 私は慌てて両手を前にかざした。オーナーは、はははと笑った。


「その後も、練習とか続けるの?」


「いや、今回限りのピンチヒッターです」


 そう即答した直後、自分でも心配になった。大丈夫だよね? 次も出てなんて言われないよねえ。


「谷には言った?」


「いや、これから……」


 そう言いかけた瞬間、店長が事務所に入ってきた。ちょうどいいタイミングだ。


 店長へ同じ話をすると、オーナーは、「応援してあげて」と続けてくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る