# 5

 次の日。


 仕事帰りの電車の待ち時間に、本屋へ入った。何を買うともなく立ち寄っただけなのに、自然と足が、芸能雑誌のコーナーに向かった。


 1冊だけ在庫が置いてある演劇雑誌を手に取る。舞台俳優さんのインタビューや、舞台の告知が、大きなものから小さなものまで載っている。


「アキラさんが雑誌に載ったんだよ!」


 いつだったか、そう言って志波ちゃんが見せてくれたっけ。思い出に浸りながらページをパラパラとめくり、買おうかどうしようか迷っているうちに、電車の時刻が近づいていた。


 私は慌ててレジに向かった。


 ◆


 フワフワしている。


 最初は、そういうお誘いだったのか、なんてガッカリしていたのに。自分でも単純だなあと思う。


 確かに、純粋に再会を喜ぶだけの時間でなかったことは少し残念だった。


 それでも、自分を必要としてもらえるのは嬉しいものだった。


 趣味もない、仕事だけの日々だったのに。


 コンビニでの毎日や、保険会社での地獄の日々を飛び越えて、芝居に打ち込んでいた学生時代に戻ったようだった。


 自分でも、どうして芝居だったのか分からない。もともと、人前に出たり、目立つようなことをしたりするようなタイプではなかった。大きな声で喋るのも苦手で、いつもボソボソと喋っていた。高校では友だちもほとんどいない、教室の端でひっそりとしているような存在だった。


 このままじゃいけないと思い、大学入学をきっかけに変わろうとした。メガネをコンタクトに変え、メイクや服装に気を配るようにした。


 そして、外見を変えるだけでなく、何か新しいことを始めてみようと思った。そのときに、たまたま誘われたのが演劇サークルだったのだ。


 大学生活そのものは、蓋を開けてみれば、お洒落をしたからといって急に自分が変われる訳もなく、周りにどう見られているか、いつみんなから見捨てられるか気にしてばかりの毎日だった。


 けれども、舞台の上では堂々としていることができた。お客さんのほとんどは私が普段どんな奴なのか知らないんだ。そう思うと、演じることが楽しかった。


 その経験は、保険の営業でも、今の仕事でも役立っている。“保険のお姉さん”や“コンビニの店員さん”を演じることで、普段の頼りない、ボソボソ喋る自分を忘れ、自信を持って仕事ができるようになった。


 ネックは、これか。


 志波ちゃんから転送してもらった、稽古日程のメールを見る。すでに決まっている日程だけでも、半分は仕事と被っている。


 志波ちゃんはなんとかすると言っていたが、なんとかなるものなのか。正直、本番当日の休みを確保するだけでも申し訳なく思ってしまう。立場上、バイトのみんなの都合を優先せざるを得ないし、職場にわがままを言うのも気が引ける。


 果たしてそんな調子で務まるのか。しかも3年半舞台に乗っていない自分が。ゆーとぴあには、志波ちゃんみたいに卒業後も趣味としてずっと芝居を続けている人だけでなく、劇場運営の仕事をやっていたり、役者を目指したりしている人もいる。声優さんもいるって言ってたっけ。そんな人たちと同じ場所に立つなんて。


 でも、志波ちゃんや後藤さんが私に期待してくれているなら、それに応えたい。


 いや、待てよ。


 志波ちゃんも、本当にたまたまメールを見ただけで、別に私じゃなくてもよかったのかも。もしかしたら、本当に舞台観に行く人がいなくて誘っただけで、話の流れで思い出して言っただけなのかも。


 実は、後藤さんは後藤さんで別の人を誘う予定だったりして。


 それで、こいつ本気にしてるよとか思われていたらどうしよう。


 ああ、こんなとき、誰かに気軽に相談できればいいのに。親に知れたら「あんたに務まる訳がないし、仕事を優先させなさい」とか言うに決まってる。LINEを開いても、しばらく参加していないグループLINEの未読が溜まっているだけ。何ヵ月か前に仕事の相談をした元彼には、もう頼りたくない。


 こういうときに親身に話を聞いてくれそうなのが、志波ちゃんくらいしか思いつかない。それじゃ意味がない。


 趣味の時間も持たないと、と言ったときは、ほんの現実逃避の趣味のつもりだったのに、こんなに本格的な事になってしまうとは。


 ぼんやりとスマホの画面を見つめていると、メールの通知が入った。バイトの学生さんからだった。


《井上です。お疲れさまです。面接が入ってしまって、次の日曜日の15〜18時が出勤できなくなってしまい、代わりをお願いすることはできないでしょうか。バイトのみんなへも聞いてみたのですが、代わってもらえなくて…》


 私は溜め息をついた。メール画面を閉じて、稽古日程を確認する。その時間はまるまる稽古に被っていた。


《ちゃんと、他の店の人にも聞いた?》


 念の為、そう返した。シフトに入れなくなってしまったときは、他の2店舗のメンバーも含めて、自分で連絡を取って代わりを探すことになっている。そのために、みんなには3店舗全員の連絡先を知らせてある。


 返事はすぐに来た。みんな都合が悪いという。きっと本当なんだろう。


 店長は気軽に代わってやるなとよく言うが、仕方ない。就活生にシフトに入ってもらわないと回せない状態がおかしいのだ。


《わかりました。代わります。店長へは自分で報告してね》


 そう返すと、スマホを机に伏せた。


 やっぱり、無理だな。


 また、スマホを手に取った。しばらく文章を考えてから、志波ちゃんに断りのメールを送った。

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