# 3

「皐月ちゃん、久しぶりー!」


 志波ちゃんは、改札を抜けるなり、笑顔でこちらへ駆け寄ってきた。


 舞台映えしそうなぱっちりとした目や、外人さんみたいな鼻は変わらない。鼻の横の大きなホクロも。髪はあの頃より短くなって、肩にかからないくらいの長さで、内側にきれいにウェーブがかかっている。


「皐月ちゃん、ちゃんと生きてたー。飲み会とか全然来ないから心配してたんだよー」


「あはは、どーしても仕事が忙しくてね」


「そっかー。営業、大変?」


 そっか。志波ちゃんには、というかサークルの人たちには、まだ言ってなかったっけ。


「いや、今はコンビニのマネージャーやってるんだ」


「えーそうなんだ! いつからー?」


「えっとねー」


 お互いの近況を話しながら、劇場へ向かう。志波ちゃんは、変わらず銀行の窓口業務を務めているとのこと。裏方に異動したいと言っても希望は通らないという。そりゃそうだ。志波ちゃんがいれば窓口も映えるだろう。


 ◆


 入り口の丸っこい文字のネオンサインや、飲み屋やスナックが入るビルの猥雑な雰囲気は相変わらずだ。この劇場には2回来たことがある。一度目はサークルの先輩たちの誘いで、二度目は当時付き合っていた彼氏と。志波ちゃんと来るのは初めてだ。


 前を進む志波ちゃんは、慣れた様子で受付を済ます。私も後に続き、しーんとした劇場内に入る。


 いちばん良い席は玄人っぽい人たちがすでに埋めていたので、空いている中で比較的良さそうな席を選んで2人で座った。


 開演のベルが鳴る。


 初めは主役の独白のシーンだった。そこへ楠アキラが現れる。志波ちゃんの顔がぱっとそちらを向いた。私も向いた。


 そして、彼と主役とのテンポ良い掛け合い、役柄を表すような軽快な歩き方、見せ場でのハッとさせるような叫び声に心を奪われていく。


 さらに、決して広くない舞台の巧みな使い方や、予想のつかない話の流れに引き込まれる……


 ◆


 現実に戻るように舞台が明るくなる。カーテンコールが終わって、主役が一礼して舞台袖に戻っても、まだ余韻に浸っていたかった。


 すごかったな。


 舞台はいいな。


 私も、そんな風に、舞台に立っていたんだな。


 プロが乗るようなものと一緒にするのも厚かましいが、舞台に向けて打ち込んだ日々が甦ってきた。


 ボロボロの台本。舞台袖での緊張感。公演終了後の解放感。


 数年の時が、嘘のように巻き戻った。


 ◆


 醒めやらぬ興奮を語り合うために、志波ちゃんと夕食を一緒に食べることにした。こういう流れを予想して、親にはもともと夕飯はいらないと言ってあった。


「何食べよっか」


「うーん、志波ちゃんは何食べたい?」


 志波ちゃんからの質問に、質問で返した。こういうお店選びはあまり得意ではないので、センスのありそうな志波ちゃんにお任せしたい。食べる物には特にこだわらないし。


 結局、駅までの道を少しふらふらした結果、駅前の小さなイタリアンに入った。


 店内の食べ物の匂いを嗅いでから、そういえば昼食が重たかったことを思い出した。昼夜としつこいものを食べたら胃にくるかもしれない。まあ、リゾットや何やらがあるだろう。


 と思ったが、メニューを隅までさがしても、リゾットはなかった。代わりにドリアを頼んだが、思いのほかクリームが重たい。明日の胃腸が心配だ。


 けれども、アキラくんの動きがカッコいいとか、ラストのどんでん返しがよかったとか、マニアックな会話を続けているうちに、そんな心配もどこかへ忘れてしまった。


 職場の人とは普段できない会話だった。変な人だと思われる心配なく、好きなものについて語り合うことができる、まるでオアシスみたいな時間だった。


 それにしてもやっぱり志波ちゃんはすごい。私が気づかなかったような細かな演出や伏線を見逃さなかったり、この脚本は誰々らしさが出てるとか、ちょっとついていけなくなるくらい。


 志波ちゃんが先にパスタを食べ終え、私もリゾットを食べ終えると、会話がプツっととぎれた。もう切り上げる頃合かな。それとももう少し話を続けて大丈夫かな。


 そんなことを考えていたら、志波ちゃんが口を開いた。


「今日は、皐月ちゃん誘ってよかった。たまたま友だちが来られなくなって、チケットもったいないなーって思ってるところに、アドレス変更のメール来て、声掛けさせてもらったんだけど、ほんと、学生のときに戻ったみたい」


 そうなんだ。やっぱり本当にタイミングが良かったんだな。それでも、社交辞令だとしても、そこまで言ってもらえてよかった。


「私も来て良かったよ。誘ってくれてありがとね」


「話してて思ったけど、やっぱ皐月ちゃんって芝居が好きなんだね」


 ちょっと語りすぎちゃったかな? 私はこう答える。


「普段仕事ばっかりだったから、久しぶりにこういう話できて、嬉しくて。最近は全然芝居とか観てないし、こんなに語ってもいなかったんだよ」


「よかった。たまには息抜きしないと」


「ほんと。たまには趣味の時間も持たないとって思ったわ」


 そうだよね。志波ちゃんは独り言のようにつぶやいた後、こう続けた。


「実は私、劇団ゆーとぴあに入ってるんだ」


 劇団ゆーとぴあとは、所属していた演劇サークルのOBを中心に結成されたアマチュア劇団だ。学生の頃にはたまに交流もあった。志波ちゃんが参加してるとは知らなかった。


「今ね、11月の公演に向けて稽古中なの」


「そうなんだ! すごいね」


 やっぱり志波ちゃんは違うなあ。観る側として好き勝手語るだけじゃなくて、今でも舞台に立っているんだ。


「でも、最近になって女子が3人も辞めちゃってさ、困ってるんだよね。配役も決まってたのに。とりあえず、ちょっとした役は、裏方に応援してもらうことになったけど」


「へえ、女子が3人も。また色恋沙汰か何かかな」


「え? ああ、そうなんだよ」


「原因作った男の方は、まだ残ってるの?」


「いや、男の方も、別の劇団が忙しいとか言って来なくなっちゃった。もともと11月の公演は出ない予定だったんだけどね」


「私の知ってる人?」


「稲垣さんって知ってる? 直接関わりない代なんだけど」


「知らないやー」


 それ以上話を膨らませられないでいると、志波ちゃんは「でさ、話戻るんだけど」と続けた。


 話をそらしたのは、嫌な予感がしたからだった。


「割と重要な役が1個空いちゃって、今みんなして役者探してるんだ」


 ああ。この流れは。


「やっぱり大事な役は、役者経験ある人で固めたいんだよね。頼むにしても、OBの方が、お互い気も知れてるし、スキルもあるし」


 話の先が読めてしまい、苦笑いで口元が歪む。


「いろいろ話してて、皐月ちゃん、今でも芝居好きなんだってのが伝わってきて、思ったの。皐月ちゃんなら、一緒にやれるって」


 私の目を見て、志波ちゃんは続けた。


「11月の公演、出てくれないかな」

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