# 2
タイムカードを押して、制服を脱ぐ。鞄から財布だけ出して、バックヤードを出る。
確か、SVの
弁当売り場を見ると、案の定、新商品のシールのついた脂っこそうなスタミナ弁当が積み重なっていた。遊びに行く前だしあっさりした麺類とかの方がいいかな、と迷ったけれど、うち2つが廃棄時間間近なこともあって、結局スタミナ弁当に手を伸ばす。
さっきまでスタミナ弁当の隣に並んでいた幕の内は、いつの間にか売り切れている。自分の分の弁当を片手に持ったまま、幕の内のあったスペースを使って、新商品の売り場を横2列に広げる。そして、残りの廃棄間近の商品をその2列の上にまたがるように、ピラミッド状に陳列した。
そこまでやってから、しまったと思った。自分でやらないで、これくらいバイトにやらせなきゃいけなかったのに。
仕方ない。次から気をつけよう。そう言い聞かせながらレジへ向かう。
「お疲れさまです」
入って2ヶ月目の学生の男の子は、それだけ言うと、黙々と会計を済ませた。
会計を終えると、アイスの売り場をチェックしているもう1人に「じゃ、何かあったら呼んでね」と声を掛けて、バックヤードに戻った。
そして、弁当を頬張りながら、発注用の端末を起動する。
◆
就職活動で、周りが金融の一般職やらエリア職やらを受けるのを見て、それじゃ何か負けているような気がした。そこそこの大学にいるのに、というプライドもあった。とは言っても、自分が本当に何をしたいか、なんて本気で考え込むと、心を病んでしまいそうだった。
とりあえず、小さいころから身体が弱くてお世話になることが多く、将来性も感じられた医療の分野を中心に就職活動を始めた。でも、車を運転して医薬品や医療機器の営業に駆け回るのは嫌だった。どこまでも中途半端だったのだ。
そんな姿勢で就職がうまく行くわけもなかった。現実に返って、身の丈にあった職場を選ぼうとし始めた頃には、毛嫌いしていた一般職の採用はあらかた終わっていた。
飲食やサービス業やシステム関係ばかりが並ぶ就活サイトの中で、唯一興味を持てたのが、生命保険の営業だった。興味を持っていた医療分野に近いものを感じたのだ。一般にイメージされている生保レディとも違って、新卒採用は法人を中心とした営業で、制度もしっかりしているようだった。試しに受けてみると、それまでの苦難が嘘のように、とんとん拍子で最終面接を通過した。
おしゃれなホテルでの内定者懇親会で、フロアいっぱいの同期たちを目にしたときは、この先果たして何人が残るのだろうと考えた。それでも、同じテーブルになった、頭の良くなさそうな女子大生や短大生たちと話してみて、この中でなら生き残れる、という謎の自信を感じた。
営業なんてあんたには無理だと親には反対されたが、普通の営業職とは違うから、と就職活動生向けのきれいな資料を見せてなんとか丸めこんだ。
3年間バイトしていたコンビニのオーナーからも、保険業界のブラックな話を聞かされ、うちで社員として働かないかという誘いも受けた。責任のある仕事を任され、何度か昇給もしてもらうくらい自分を評価してくれたバイト先に、ほんの少しだけ心を魅かれるところもあった。
それでも、「まずは、新卒として、やれるところまでやってみたい」と答えた。もしクビになったらよろしくお願いしますとつけ加えて。
◆
それから2年余りして、その言葉が現実のものになった。
実際にクビになった訳ではない。けれども、いるに耐えなかったのだ。
担当している法人での成績が振るわなければ、みんな知り合いをかき集めてノルマを目指す。けれど、もともと友だちが少なかった私は、さらに友だちを減らすようなことなんてできなかった。
成績が振るわないと、私なんかがこの会社にいてもいいのかという不安に駆られるようになった。大丈夫、あの子よりは契約を取れてる。大丈夫、あの子は失敗して叱られたけど、私は失敗していない。そうやって、安心できる比較対象を探して、自分を保っていた。
けれども、2年目の夏、私よりずっとずっと成績のいい、チームで1、2を争うような成績の同期が急に辞めたとき、自分も辞めようと決意した。彼女が辞めたのに、私がここにいてはいけないと。
だが支店長に引き止められた。この会社は、入社2年間は育成期間と見なしている。成績は気にしないで、のびのびやりなさい。そう支店長は言った。
そうなれば、あと半年はうまくいかなくても引き止めた側の責任だと考え、開き直ることができた。すると自然と気が楽になり、不思議と成績も向上していった。
それでも、前から考えていた、2年で辞めるという考えは変わらなかった。
2年目の冬には、営業に着ていくようなスーツを着て、元バイト先へ、オーナーに会いに行った。
辞める前、再び支店長に呼び出されたが、今度は譲らなかった。
◆
あの冬から、1年半。
今では、正社員として、ネイバーマート天沼駅前店で、店長に次ぐ役職であるマネージャーを務めている。
ここの仕事だって相当ブラックだと分かってはいるけれど、自分を必要としてくれるのが分かるから、私はこれでいいと思っている。
発注業務を終え、端末の電源を落とした。あとは日報を入れるだけ。志波ちゃんとの約束の時間には、余裕で間に合うだろう。
「おはようございます」
彼が一人前になってきたおかげで、この店はだいぶ助かっている。何より私の土日のシフトが楽になった。彼がいなかったら、今日だって私が夕方まで入らないといけなかっただろう。
「あ、中村さん、もう帰っちゃいますか?」
「んー? もうちょっとだけいるけど、どうしたの?」
「いや実はですね、僕、今度の納涼会の幹事なんですけどね、店長さんマネージャーさんがたにまつわるクイズ出そうと思ってて、そのアンケートお願いしようかと思って。あ、回答は今度でいいんですけどね」
「あ、いいよ。今書いてっちゃうね」
「どうも、すいません」
そう言って盛田くんは、小さめのコピー用紙を差し出した。
納涼会と言うには少し遅い気もするが、オーナーが経営する3店舗合同の大きな飲み会が、9月の最初の金曜日に予定されている。早速幹事を任されるとは盛田くんも大変だ。彼なりに、いろいろ準備しているんだろう。
アンケートの項目は、趣味、最近はまってること、最近笑ったことの3つだった。趣味と最近はまってることが両方あるとは。この2つって、だいたい一緒じゃないの? 普通の人は、そんなに多趣味なんだろうか。
いつもは、趣味は読書とでも書いて凌いでいるのだが、楽しい場でのネタだ。趣味は演劇鑑賞にしておいた。
実際、今日演劇鑑賞に行くんだから、趣味と言っておいてもいいだろう。いや、そろそろ仕事も慣れてきたし、何か一つくらい、胸を張って趣味と言えるものがほしい。今日の舞台が楽しかったら、これからは劇場巡りを趣味にしてみてもいいかもしれない。
「アンケート、机の上置いといたよ。じゃあ、あとよろしくね」
日報を入れ終え、ワンピースに着替えると、店の前を掃除している盛田くんにそう声を掛け、私は店を後にした。
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