5・ピンチ

 ガタガタガタ

 

 バサバサバサ


 ドーン


 さまざまな音が響くとともに、あらゆるものが破壊されていく。


 なにもない廊下の壁にいくつものヒビが入り、たちまち崩れていった。ぽっかりと穴の開いた壁からは、のっそりと姿を現したのは鋭い鎌を持つ緑色の物体。大人よりも大きなカマキリが何匹も姿を現す。


「きゃあ」


 悲鳴をあげる洋子の手をつかんだまま、尚孝はきた道を引き返し始める。しかし、振り返るといくつもの人形たちがのらりくらりとこちらへと近づいてくる姿が見えた。人形はさほど大きいわけではない。


 よく店などにある人形と同じサイズ。大きくても50センチほどの身長しかないフランス人形。


 しかし、その人形のどれにも目がなく、目の部分は空洞になっている。それがなんらかの意志をもって、まるで生き物のように歩いてくるのだ。自然と恐怖が生まれてくる。


 洋子は震えた。


 人形が両手を伸ばして近づいてくる。


 しかも、言葉が聞こえる

 。

 何体もの人形が「くれ。その目をくれ」と洋子たちを求めていた。


 洋子は尚孝にしがみつく。


「大丈夫。」

 

 正面には何体もの生命を宿した人形たち。背後には大きなカマキリ。


 両側は壁。


 どう考えても八方ふさがりの状態だった。


 それにも関わらず、この刑事の口調は冷静そのものだ。


 果たして、得体のしれないモノたちから逃れる術を持っているというのだろうか。


 洋子には不安と恐怖しかない。


 彼にしがみつきながら、自分たちに徐々に近づいてくる化け物としかいいようのない得体のしれないモノたちを見る。


 目のない人形。


 けれど、その前頭に立つ人形のみが両目を持っていることに気づくことばできなかった。


 ただ尚孝のみが唯一黒い目を持つ人形の存在を凝視する。


「黒い目?」


 フランス人の顔立ちをした人形なのに瞳のみが異様に黒いことに違和感を覚えた。


 その言葉にようやく洋子も気づく。


 ただ一つ。


 黒い目をした人形。


 他の人形たちが両手を伸ばして近づく中。その人形のみがその場で立ち止まってこちらを見ていた。


「た……す…け…て……」


 声が聞こえる。


 確かに黒い目の人形から発した言葉だった。


「お姉ちゃん……」


「危ない」


 洋子の声に重なるように、尚孝の声が重なる。


 尚孝は洋子を抱きしめると、彼女をかばうように地面に倒れこむ。


 直後、なにかを切り裂く音が聞こえ。


「ぐわっ」


 尚孝から苦痛の声が漏れる。


「刑事さん?」


「大丈夫だ。こっちだ」


 尚孝はすぐに立ち上がると、彼女の手を引と人形めがけて走り出す。人形は驚いたように彼らを避け、道を開ける。


「え?」


「大丈夫……。人形は……ただの脅しだ……」


「脅し?」


 彼の声に力がない。声がかすれてきている。


 それに気づくと同時に、彼の背中から液体が流れていることに気づいた。


「刑事さん?」

  

 血だ。


 彼の来ている服が切り裂かれて、背中から血が流れ出ているのだ。


「刑事さん。血が……」


「大したことない。とにかく、あのカマキリから逃げよう」


 背後からは大型カマキリが近づいてくる。


 どうしよう。


 どうしよう。


 洋子が狼狽している間にもカマキリが近づいてくる。


 同時に尚孝の足取りがたどたどしくなっていき、ついには膝を折り、崩れ落ちそうになる。


「刑事さん」


 洋子は慌てて支えると、彼の腕を自分の肩に飲ませた。


「悪い……」


 顔色がだんだん悪くなっていく。


 背後には、まるで自分たちを弄ぶかのようにノソリノソリと大型カマキリが近づいてくる。


 どうしよう。


 どうしよう。



 逃げないと……


 逃げないと……



 殺される。


 自分も自分をかばってくれた刑事さんも殺される。


 背筋が凍る。


 足が震える。

 

 洋子は尚孝の顔を見る。


 息が荒い。


 顔から生気が失われていく。


 逃げないと


 逃げないと


 早く、ここを脱出して、刑事さんを病院に散れていかないと……。


 洋子は歩く。


「ケケケケケ……」

 

 背後から洋子たちをあざ笑う声。

 

 振り向くな。


 歩け。


 歩け。


「ケケケケケ。ハハハハハ。逃げろ。逃げろ。恐怖しろ」


「振り向くな」


 バサッ


 尚孝は声わ発するとともに洋子を背後から抱きしめる。


 同時にまた切り裂く音。


 血が飛び散る。


 さらに息が荒くなる。


「刑事さん」


「ケケケケ。死ぬぞ。死ぬよ。刑事さーん。死ぬよ」


 その姿を楽しんでいるかのような声。


 尚孝はそのまま膝をつく。


「刑事さん」


 いまにも倒れそうになりながらも、必死にこらえている。

 

「ケケケケ。死ねえ。死んで、その美しい目だけをささげよ」


 カマキリが鎌を振りかざす。


「刑事さん」


 洋子が咄嗟に尚孝をかばおうと、血が付くことも気にせずその背中を覆う。


「死ねない……」


 尚孝から声が漏れる。


「……死ぬわけにはいかない……。彼が……までは……」


「え?」


「死ぬんだよ。彼女のために……」


 カマキリが振りかざし、洋子たちを切り裂こうとした瞬間、カマキリの鎌が突然破裂した。


「ぎゃぁあああ」


 カマキリが悲鳴を上げる。


「そうねえ。まだ死んでもらうわけにはいかないわねえ。そうでしょ。ユキ」


 洋子はハッと顔をあげた。


 そこにいたのは、子供。


 まだあどけない顔をした10歳ほどの少女。


  その腕に人形を収めた長い髪の少女。傍らには二十代後半ほどの男の姿があった。


 だれ?


 洋子が怪訝な顔をしていると、尚孝から声が漏れる。


「……ユキ…ヒロ……」


 その言葉に男が反応したようだが、特に表情は変えない、変わりに少女が満足げに微笑む。


「だから、彼らがくるまで手伝ってあげる。いいわよね。ユキ」


「ああ……」

 

 ユキと呼ばれた男の手にはいつの間にか刀が握られていた。


 そして、ユキがカマキリへ向かって踏み込み、次々とカマキリたちを切り裂いていく。


「ぎゃああああ」


 カマキリたちが悲鳴を上げながら、砂となって消えていく。


「なにが起こっているの?」


 茫然とする洋子の傍ら、薄れゆく意識の中で、彼の戦闘を見つめていた尚孝が歯をかんだ。



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