3・追うもの追われるもの
猿は黙っていた。ひて腐れた顔で車の後方座席にちょこんと座り、両腕を組んだままでそっぽをむいている。その様子をどう扱っていいのかわからないまま、弦音は見ていた。
猿は猿でも一般に知られる猿ではない。一目が特徴の猿で“モノノケ”と呼ばれる存在らしい。
「おとなしいね」
運転している柿原が言った。彼の運転する車の前を走るのは朝矢のバイク。
帰りも彼のバイクに乗るのかと思ったのだが、「二人乗りは苦手だ。てめえは柿原さんの車にのれ」と言われて、柿原の車に乗ることになったのだ。
確かにそうかもしれない。彼のバイクの後方に乗っていても決して安全というわけではない。むしろ、不安定で恐怖も覚えるほどに荒っぽい運転だ。それに比べて、やはり警察ということもあり、柿原の運転は安全運転である。
「うるせえ。あの陰陽師……」
「それいったら、あの子怒るよ。陰陽師の家系じゃないし……」
「わかってるさ。でも、陰陽師の氣もまざってるじゃないか」
「そうなの? 僕にはわからないけど……」
「それ以外にもいろいろ混ざっているから、本質はわからない」
「なら、祓い屋ということでいいじゃないかな。あの子の仕事は“祓い屋”だから」
「まあ、どうでもいいさ。それよりも俺様に掛けた術とけよ」
弦音は彼らの会話にはまったくついていけていない。また訳の分からない単語が飛び込んでくる。
陰陽師の氣だとか。術だとか。
前者はピンとこないのだが、後者はなんとなく理解できる。
札だ。あの時、この猿の額に札が張られた。直後に消えてしまったからなにもないように見えるのだか、それが術となり、彼の動きを止めている。要するに、この小さい一つ目の猿は“獣鬼”と呼ばれる化け物に変化しないように封印されたということだろう。
聞きたいことがあると朝矢がいった。しかも向かい側にある変わった形をしたビルのことらしい。あそこになにかあるというのか。
MOONGRASSといっただろうか。
ビルの看板を思い浮かべる
MOONGRASS
MOONは月
GRASSは……グラス?
コップだよな
月のコップか?
違う。
「その熊かわいいわね」
ふいに江川たちの会話を思い出す。そういえば、クラスでくまが流行っていた。女の子たちのバックにくまのキーホルダーがついていたような気がする。
江川樹里の友人の一人がくまのキーホルダーを見せていて、それほしいといっていた。
「どこ?どこで買ったの?」
「えっと、○○町にある月草っていう店」
月草?
「月草あああああ」
突然弦音が声を上げたために猿も柿原も驚く。
「どっどうしたんだい? 杉原くんっていったかな」
「月草。月草っすよ。月草」
『うるせえよ。てめえ』
突然、どこからともなく前方を走っているはずの朝矢の声が漏れる。
どこからだろうかと周囲を見回していると、助手席に置かれていた無線に気づいた。
「無線だよ。無線。タイミングよく通信してきたんだよ」
柿原がそう説明した。
どうやら、朝矢が偶然にイヤホン型通信機の通信を解除したところに弦音の甲高い声が聞こえたきたらしい。
『月草がどうしたんだよ。おい』
「月草ですよ。月草。隣のビル。くま関係のグッツ販売している店の本社っすよ。たぶん」
『たぶん?』
「えっと。看板みたんで。MOONGRASS……日本語で月草です」
『……。そういうことか。それよりも柿原さん。一言いいか?』
「なんだい」
『変なやつにつけられているみたいだぜ』
朝矢の言葉で弦音が振り返る。そういえば、さっきから同じ車がずっと後ろで走っている。
もしかして、こいつのことだろうか。
「はははは。知っている。巻いたほうがいい?」
『ああ。念のために……』
「わかった。ついでに送り届けようか?」
『頼む』
「了解。気を付けて」
直後、柿原が荒っぽくハンドルを切ると、む大通りから脇道へとそれる。
「うわわわ」
その反動で弦音と猿の身体がドアのほうへと押し付けられてしまい、猿が弦音の身体にぶつかる。
「いてててて。なにしやがる」
猿が柿原を睨みつけれる。
「ごめん。しっかり捕まってといわないといけなかったね」
「そういう……」
次から次へと猛スピードで角を曲がっていくために、車のタイヤが擦れるような音が響く。
こんなに荒っぽいというのにまったくぶつかっていない。そうとうのドライブテクニックだ。
しかし、それに勝るも劣らず、後方から車がついてきている。
「ついてくるよ」
「はははは。こちらが狙いか。まったく、どうしよう」
狭い道を通っていき、やがて片側一車線の通りに出る。車は比較的少ない。
「どうしようって……。どうするんだよ」
「杉原君」
「はい?」
「そのアヤカシ掴んで」
「はい?」
「早く。時間がない。僕の言う通りにして」
「はい」
言われた通りに猿を両手でつかむ。
「うわうわ。なにをしやがる。人間」
「窓開けて」
「え?」
「早く」
「はい」
窓を開ける。
「五・四・三……」
「猿を放り出して」
「はい」
なにがなんだかわからずに猿を放り出した。瞬間にバイクが一台。弦音の前を通過していく。同時に猿の身体がライダーの腕に収まっていくのが見えた。
「有川さん?」
朝矢だ。
朝矢の後姿が遠くなっていく。同時に自分たちを追いかけていたはずの車が急にUターンして、反対方向へと走っていく。
「どういう……」
「そういうことだよ。あの車の狙いはアヤカシらしい」
「え? でも……」
「大丈夫。大丈夫。彼はエースだから」
どうも納得いかない。
いったいどんな事態になっているのだろうか。あの猿はなに?
あの車はなに?
疑問だけが残る。
「もう十時になるね」
そう言われて、弦音は慌てて時計をのぞき込む。
十時だ。十時をすでに過ぎている。
「げっ。まじで……」
もうそんな時間。鍵はもう閉まっているだろう。
いや、もしかしたら妹の弓香が起きているかもしれない。
でも……。
弦音は後方を見る。
このまま帰っていいのだろうか
あの車
あの猿
有川さんにまかせたままだ
「送るよ」
「でも……」
「いっただろう。大丈夫。彼なら大丈夫。心配なら、明日もくるといい」
「はい?」
「明日、かぐら骨董店にくればわかるよ。彼はそこにいる」
弦音は首を傾げた。
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