6・迫りくるモノ

1・電話の向こう

 芽衣は店のブラインドを閉める前に窓の外を見た。先ほどまでいた刑事さんの姿はない。けれど、なんとなく近くにいる気がしてならない。 


 いや、いる。


 きっといて、ずっとこちらのほうを見張っている。


 どうして、見張っているのかわからない。


 一体、自分がなにをしたのか。


 なにも悪いことをした覚えはない。ただこの店で真面目に仕事をしているにすぎない。


 それなのにどうして怪しまれているのか。


 自分にはまったく心当たりがなかった。あるとすれば、この店自身なのだろう。

 自分と関係ないところでなにかが起こっているのはわかる。


 芽衣はふいにさっききた中年の刑事ではなく、昼間きた若い刑事のことを思い出した。


 彼がなにをいったのだろうか。


 被害者がこの店の常連だった?


 それがどうしたというのか。たまたまだろう。みんながみんなというわけではない。


 常連ならば、だいたい把握している自信はある。ニュースは見るほうではないから詳しくはわからないのだが、もしも常連さんならば芽衣の耳に入ってくるはずだ。けれど、そうではない。たしかに彼女・香川麻衣さんは常連だった。その情報はすぐに芽衣の耳に入ってきたし、葬儀にも参列した記憶がある。


 名前が似ているから、彼女とはそれなりに親しかったから覚えている。本当に熊のぬいぐるみが大好きな女の子だった。


 だけど、この店と結び付けていいのか。しかも三か月前一度店の関係者への猜疑は消えているはずだ。事件とは関係ないと位置付けられてい他はずなのにどうしてまた疑うのか。


 被害者は店の常連。


 たまたまだ。


 もしも、関係者だとしたら……。  


 芽衣の背筋が凍る。


 もしかしたら、自分がターゲットになる可能性もあるのではないか。


 その不安を物色するかのように首を横にふり、関係ないのだと言い聞かせた。


 そのとき、固定電話の呼び出し音がなった。


 芽衣の身体がビクッと跳ねあがる。 


 芽衣の身体が凍る。いつもの電話。よくなる電話。それなのに恐怖を感じるのは、すでに外が暗く音が静かになっていたせいかもしれない。


 彼女は恐る恐る受話器を取る。 


「はい。もしもし……。ドールショップ“月草”です」


『もしもし。岩城ですけど……』


 受話器の向こうには男性の声。


「店長」


 聞き覚えのある声に芽衣はほっとした。


『すみません。着信。いま気づきました。どうかしましたか?』


 柔らかく透き通るような声。聞いているだけで芽衣の心が落ち着く。たちまち不安がかき消されていく。彼の声を聴きながら、彼の顔が頭に浮かぶ。


 この向こうに彼がいる。


 それだけで穏やかな気分になる。


「あの……その……さきほど刑事さんがきまして……」 


『え?また?昼間もまたよね?たしか、芦屋とかいってましたよね』


「いいえ。別の刑事さんです。たしか田畑といっていました」


『田畑……。どんな人でした?』 


「年は五十代ぐらいで、いかにも堅気って感じの方でした」


『……』


「店長?どうかしました?」


『思い出していたんだよ。あまり印象にないな』


「そうですね。私も芦屋刑事ほど印象に残っていません。最初ストーカーと思いましたし……」


『ストーカー?ハハハハ。それは刑事さんに失礼ですよ。秋月さん』


「だって、本当に怖かったんですよ。ずっと店を見ているし、威嚇するように問い詰めてくるんですよ。店長をだせと……」


『それで?』


「店長はいませんといいました。そしたら、明日もくるって……」


『……。そうか』


「どうしますか?」


『仕方ないなあ。ここで逢わないわけにはいかないですよね。それじゃあ、余計に疑われます』


「本当ですよ。芦屋刑事といい、なにをうたがっているのだか……」


『そう怒ることはないですよ。すぐに誤解はとれます。それで、その刑事さんは帰られたのですか?』


「たぶん。もう店の前にはいないみたいです」


『そうですか。明日もくるのでしょ』


「そういっていました」


『なら、明日店にいきますね』


「え?でも本社での会議は?」


『大丈夫です。社長に事情をいいますので……。私が会議に出ないぐらいたいしたことありません』


「そうですか?でも店長は……」


『大丈夫です。明日、店に来ますね』


「はい。お願いします」


 そこで電話が切れた。


 これでいい。どうにかなるだろう。


 芽衣はほっとすると店を出ることにした。






「田畑刑事か……」


 携帯の通話をきった岩城がつぶやいた。本社ビルの十三階の廊下。電気はすでに消えている。人の気配は全くなく、彼のみがそこに存在していた。


「さてどうしたものか……」


 そうつぶやいていると彼の背後から影が近づいてくる。女性だ。きちんとスーツを着こなしている若い女性。


「どうするの?岩城」


 岩城は振り返ると女性のほうを優しく見つめる。


「それは私が決めることではありませんよ。社長」


 女性は口元に人差し指を添えながら、微笑む。


「そうねえ。その人……。おじさんでしょ」


「良くはしりません。私も見覚えがないので……」


「厳ついおじさんっていっていたわよね」


「聞いていらしたのですか?」


「ええ。耳はいいのよ。受話器の向こうの声も聞こえるほどにね。そうねえ」


 彼女は腕を組む。


「私、厳ついのは嫌いよ。目障りだわ」


 そういうと彼女は歩きだした。


 岩城は彼女に一礼する。


「仰せのままに……」


 彼女のハイヒールの足音が遠のいていく。その後ろ姿を見ていた岩城はふいに隣のビルのほうへと視線を向ける。一度大きく目を見開いたかと思うとそれを細める。


 そして、興味をなくしたかのように歩き出し、彼の姿も暗闇へと消えていった。

 

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