4・猿
観音扉を開くと、中央には向い合せにおいてあるソファー。
その間には木製テーブル。
奥にはデスクとイス。
その向こうには夜景の広がる大きな窓ガラス。
床には部屋中にじゅうたんが敷かれており、壁には本がたくさん詰まった本棚。
けれど、テーブルも床も埃だらけで、部屋の角にしは蜘蛛の素さえも見える。
ずいぶんと使われていないか、ただ掃除が行き届いていないだけなのか。
「二週間ほど前からだれも入っていないらしい」
柿原が答えた。
「二週間前になにかあったのか?」
朝矢はそう尋ねながら部屋中を見回す。
「ここで死んだんだよ」
朝矢たちは柿原を見る。
「社長がこの部屋で亡くなった」
「殺人?」
そうつぶやく弦音の脳裏にはよく刑事ドラマで見る殺人事件の現場が浮かび、吐き気を覚え、思わず口をふさぐ。
「心臓発作だ。元々心臓疾患のある人だったから、まったく事件性もないということで処理されたよ。ただ……」
「ただ?」
「ただ一つ疑問に残るものがあった」
「疑問」
「彼の両目がすごく腫れていて目が見えなくなっていたことだよ」
「目の病気?」
「そんな疾患はなかった。亡くなる一時間前まで元気だったし、目に異常があったという証言もない。社員も驚いていたみたいだ」
「それで?なにか霊的なものがあるのではと判断したわけだな」
「それだけじゃない。社長が死んでから、この部屋で目撃されるようになったんだ」
「なにを?」
「猿が……」
その言葉に朝矢は一瞬なにを言われたのかわからず、目が点になった。
「はっ? いまなんて?」
「だから猿だよ。猿」
朝矢は思わず頭を抱え込んだ。
「あれ? 朝矢君?」
「おいおい。待てよ。猿だよな。あの猿だよな」
「うん。あの猿」
朝矢は思わず柿原の襟に掴みかかった。
「そういうのって祓い屋の仕事じゃねえだろう? 保健所かなにかに依頼すべきじゃないのか。こらっ!」
「怖い。怖いよ。朝矢くん。猿は猿でも……」
「あのお。猿って……。あれですか?」
その時、弦音がか細い声でつぶやいた。
「ああ?」
朝矢は柿原を掴んだままで弦音の示した方向を振り返る。
すると、デスクの上に一匹の小さな猿が背中を向けて、尻尾を揺らしながら、耳を前足で掻いているではないか。
「猿だな」
「猿ですね」
「うん。猿だよ」
これをどうしろというのだろうか。
猿が耳をかきながらウキウキと楽しげな声を上げている。
「ただの猿ですよね。これをどうするんですか? 捕まえるんですか?」
「俺が知るか。おれは祓い屋だ。飼育係じゃねえ。柿原。どういうことだ?」
「僕は聞いただけだよ。猿が出るからどうにかしろって」
「だから、そんなもん。保健所に……」
「ただの猿じゃないんだよ。ある猿は……」
ウキウキ
猿がぴょんぴょんと跳ねながら踊りだす。
そして朝矢たちのほうを振り返る。
「有川さん。あの猿、変ですよ?」
弦音の言葉ほぼ同時に朝矢の中に異様な気配が流れ込んでくる。
悪寒という感覚に近い。
この気配は人ならざるもの。ありとあらゆる徒人が認知することのない存在の気配だ。
朝矢がはっとする。
猿がこちらを見ている。
けれど、普通の猿ではない。
目が一つしかない。
顔の半分は支配している大きな紫色の一つ目の中は渦を描いたような模様。口も大きく、顔の下を切り裂いている。
「ウキウキ。ヒヒヒヒ」
「もしかして、アヤカシですか?」
弦音は思わず朝矢の背後に隠れた。
「いや、あれはまだアヤカシじゃない。モノノケだ」
「えっと……」
そう言われてもどうもピンとこない。
「シゲからいろいろ説明受けただろう」
シゲ……。あの関西弁の男だ。
たしかにそんなことを言っていた。
けれど、脱線しすぎてよくわからない。
「人だ。人がきた」
猿が愉快そうに言っている。
「うわっ。しゃべった」
弦音が声を上げる。
「うるせえ」
「人だ。人がきた。しかみ能力者三人。いい味だよねえ。いい味だよねえ。特にお前」
猿は朝矢を指さした。
「お前だけだよねえ。借り物じゃないの……」
かりもの?
またわけのわからない言葉がでた。
弦音は説明を求めようと朝矢を見るが、朝矢の視線は猿のほうへと注がれていて、こちらに気をとられている場合ではないとわかる。
「借り物っていうのは、君や僕のような人。君の与えられた側だろ」
変わりに柿原が説明してくれた。
確かに与えられたらしい。
あの渋谷での一件以来、弦音は奇妙なものが見えるようになった。それを与えたのはナツキという少年らしい。おそらく渋谷の事件の時。ナツキは弦音に触れていた。
街灯モニターに映し出された歌が流れている間ナツキは弦音の耳をふさいでいたことを思い出す。あれがそうなのか。
『僕、君が気に入った。だから、力与えちゃうねえ』
そういえば、あのときナツキのそんなつぶやきが聞こえたような気がする。
あのとき、見る能力が与えられたらしい。
ならば、彼は違うのか。
「有川さんは生まれつき?」
「うーん。よくは知らないけど……。生まれつきではないらしいよ。あることがきっかけで目覚めたらしい」
「おい。てめえら、なにのんきに話している? 食われたいのか?」
そう言われて振り返ると、小さな猿の姿がどこかへと消え去り、目の前には三メートル超えてそうな大きな猿がいた。天井が崩れたのか
瓦礫が散らばっていく。
一つ目の大猿は中腰になり、弦音たちを凝視しながら、不適な笑みを浮かべている。
切り裂くばかりの大きな口から出てきたベロが流れる唾液を舐めている。
「面倒だから、全部食らおう」
「うわうわ」
弦音は思わず腰を抜かしてしまった。
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