第2話 双子の塔と少年

 目を開けるとエリの身体は横たわっていた。頬をくすぐるのは少し色の薄いシロツメクサの葉だ。

 ゆっくりと上半身を起こす。黄色く埃っぽい風が吹き抜けるその場所は明らかに家の玄関ではなく、上空に広がる赤い空は、エリの知っている空とは違った。

 立ち上がってあたりを見回す。そこは塔の上だった。塔は二本立っている。正確には、それは橋だった。

 双子の塔をそれぞれの川岸に建て、三つのアーチに支えられた橋がその間に渡してある。

 橋の下を流れる川に水はなく、黄色い風が流れるばかり。大きな半弧を描きながら、風はどうどうと音を響かせ、今にも崩れてしまいそうな、小さな頼りない街にそって流れている。


 エリの立つ塔は街側にあった。対岸に立つ塔のむこう側は砂煙にまかれて濁り、何も見えない。

 エリの足元には一面のシロツメクサが伸び広がっていた。いくつかは白い花を咲かせている。花の白や葉の緑は、この世界では浮いているように見えた。ごく当たり前の光景が、異質に見える世界だった。

 見下ろす先には風に沈む街がみえた。

 街の一番奥には、堀と城壁に囲まれた四角い城がある。城からは大通りが一本、エリのいる塔に向かって造られていた。

 大通りの中央に造られた円形の広場を中心にひろがった街は、中くらいの路地を四本使って、きっちりと六分されている。街のぐるりは石の城壁が囲んでおり、全体が円に整えられていた。

 玄関に掛けられている『街』の画に似ている。エリは気づいた。しかし画にあるような懐かしさや、柔らかさはどこにもない。街のところどころが風に削られて、欠けてしまっている。生気さえ風が奪ったように見える。

 街には、光がなかった。

「ここはどこ」

「ここは、ためいきの街」

 エリは静かに振り向いた。答えを期待しないつぶやきに答えたのは、少年だった。

「あなたはだれ」

「ぼくは情報屋」

 エリより少しだけ背の高い少年は、蜂蜜色の髪と、薄い緑色の瞳を持っていた。茶色がかったウール地のズボンとベストを着こみ、首には紐のタイを締めている。

「じょうほうや?」

 エリは怪訝な顔つきで聞き返す。風に背を向け、エリと対峙する情報屋の表情は穏やかだ。

 街とは違い、この少年にはちゃんと光がある。

 エリはほっと胸をなでおろし、一歩近づいて話しかけた。

「あたしはなぜ、ここにいるの?」

 情報屋には近づいてくるエリを拒む様子がない。むしろ待ちかねていた友人を迎えるような態度で、エリに接しているように見えた。

「君が開拓者だから」

「かいたくしゃ、ってどういうこと?」

「開拓者は、この街を変える者」

「何を変えるの?」

「何かを」

「何かを、って言われても」

 はぁ、とエリは溜息をついた。少し、戸惑ってもいた。

「これは夢なのね」

「わからない」

「夢なのよ、あたしきっと玄関で寝ちゃったのよ。どうすれば覚めるんだろう」

 情報屋は何も答えない。ただそっと、エリと、エリの背後にひろがる街をみつめていた。

「あなたは何でも知っている?」

 エリが尋ねると、情報屋は頷いた。

「知っている」

「じゃあ、あたしが何をしたらいいのか教えて。どうすればこの夢が覚めるのか」

「ぼくは、ユメが何かは知らない」

「なんでも知っているんじゃないの?」

「知らない、ことを知っている」

「屁理屈だわ」

 エリが口を尖らせると、情報屋は困ったように眉を下げた。

「いいわよ、もう。とにかく、あたしが何をすればいいのか教えてちょうだい」

「君は『だれかのためいきをけす』んだ」

「ためいきを、けす?」

「そうやって、この街を変えるんだ」

 誰かのためいきを消して、この街を変える?

 エリは情報屋の言葉を反芻する。

「具体的にどうするの?」

「わからない」

「だから、何でも知っているんじゃないの?」

「ぼくは何でも知っている。たったひとつのことを除いては。だけど、ぼくにはわからない」

「知ってるけど、わからない、って?」

 情報屋は頷いた。

「そんなのあり!?」

 不満げに言った自分の口を、エリは左の手で抑えた。『そんなのあり!?』はマリの口癖だった。

「帰らなきゃ」

 エリは首をふった。こんな夢に逃げたって、何も変わらない。早く目覚めて、マリに聞かなければ。なぜ、ふたりの画を入れ替えてコンクールに出品したのかと。そうすることで、マリは何がしたかったのかと。


 風にけぶる街にさす、空からの光は弱かった。街全体がくすんでいる。こんな画をエリは描いたことがない。マリもだ。

 マリの描く画は、エリの描く画にそっくりだった。よく似ていて、何かが完全に違うのだ。色味、技法、間の取り方や線のタッチ、技術はほとんど変わらない。違う対象を描いていても、双子のどちらが描いたのか、描いた者の名前を作品につけておかなければ一目ではわからないほど似ている。

 似ているのに、違いは他人の眼で、指摘され続けてきた。

「どちらも素敵ね」

 人はそう言った後、エリの画を指さして言うのだ。

「だけど、こちらの画を選ぶわ」

 どうしてなのか、エリにはわからなかった。マリはいつも「そんなのあり!?」そう言って、エリの隣で笑っていた。

 笑っていたのに!

「あたし、何も知らない」

 自然、下に落ちたエリの言葉を、一面のシロツメクサが静かに受け止める。

「あたしは絵が好きで、描くことが楽しくて、幸せで、マリもそうなんだと思ってた。あたしたちの絵がよく似ているのは、同じ世界を見ているからだって、思ってた」

 情報屋は何も答えない。気持ちが沈んでいくエリの耳に、歌が届く。遠くから聞こえてくる。


  空を見上げて

  ためいきをついてみて……


「あの歌」

 エリは塔の端へ駆け寄り、声のするほうをみた。人気のない街の大通りを、くすんだ赤色のドレスを着た人影が進んでいく。

「待って!」

 エリは塔の下へと続く、階段を駆け下りた。うしろから情報屋がついてくる。

「あの子は誰?」

「彼女はアターシャ」

「なぜ歌うの? あの歌は何?」

「アターシャは歌う者。彼女の歌は、街の『ためいき』そのものだ」


  空をみあげて

  ためいきをついてみて

  すぐにわかるはずよ

  この街が


  風にけずられる想い出

  泊まる人のない宿屋

  先生のいない教室

  守る者のいない騎士


  ためいきばかりのこの街で

  あなたは何かをかえるのよ

  ためいきばかりのこの街を

  あなたが何かにかえるのよ

  ここは……


「ためいきの街……」

 エリは走った。

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