Spirit Rejoice
もうすぐ土蜘蛛騒動で壊れた高等女学校の寄宿舎の修築工事が終わるらしい。
最近、だらだらしていたせいか、わたし、夢野壊色はいつも眠い。
緊張が解けたのだろう。
ここは鏑木水館の講堂。
教壇に立つ鏑木盛夏が、塾生に水兎学の講義を行っている。
一番後ろの机に突っ伏し、ぐでーっとしながら耳を傾けていた。
ああ、夏が来るのも、近い。
今年は旅から帰ってきて〈和の庭〉にいるから、海水浴も一味違いそう。
楽しみだなぁ、なんて。
「にゃーにゃー、塾長さんにょぉ。水戸学派は退魔士。水兎っていうくらいにゃから藩校で生まれたっていうけどにゃ、退魔はメシマノウマヤで生まれたって言う。矛盾にゃぞ」
塾長・鏑木盛夏が教鞭を自分の掌にあてぴしぴし音を立てさせ、喜ぶ。
「ラピスさん。良いところを突くわね。わたしたちはどうしても藩で考えてしまいがちだけど、そのずっと前の律令国だった頃に話は遡るわ」
「にゃー。律令国?」
「『学問』としての水兎学は、〈那賀郡(なかぐん)〉のあったところがルーツ。藩になった頃、花開いたけどね。でも、それと別に。メシマノウマヤのある〈多賀郡(たがぐん)〉の山岳信仰や修験道が、土蜘蛛討伐の『退魔』の系譜の、最初期の段階にある」
「にゃ? 修験道? じゃあ、土蜘蛛討伐と天狗は関係性がある、ということかにゃ」
「鋭いわね。そうよ。天狗を山の神とするか、魔界の天狗道に堕ちた〈魔性〉とするか。水兎学は、土蜘蛛が〈外法〉、つまり〈幻魔術〉の使いすぎによる〈幻魔作用〉で自ら〈魔性〉化するのを、天狗道のそれとなぞらえているわ」
「土蜘蛛は天狗でもあるのにゃな」
「用語の統一が、未だされていない、という部分があって、すまないと思っているわ。それが水兎学が〈体系なき体系〉、つまり体系の体を成していない、という指摘を受けることの一因にもなってるのは事実」
わたしは講堂の後ろで、
「天狗……なぁ」
と、呟いた。
斜陽地区の方で、天狗と称する土蜘蛛の一団がなにやら画策している、と園田乙女刑事から、聞いているからだ。
その何某天狗という土蜘蛛の一団と衝突するとなると、駆り出されるのは退魔士だろう。
対魔性治安維持組織としての、退魔士が、きっと呼ばれる。
ぼーっと突っ伏していると、ひんやりしたグラスを、おでこにあてられる。
顔を上げると、それは麦茶の入ったコップで、差し出した人物は盛夏の小さな恋人、雛見風花だった。
「自傷系クズのあなたにも差し入れよ。さぁ、起きて塾生たちに麦茶配るの、手伝って」
「うえー」
「ほら、立ちなさい、オトコオンナ」
「わーったって」
わたしは、重い腰をあげる。
腰痛っぽくて、起き上がるとき、ちょい腰が痛かった。
☆
円タクに乗った。
円タクとは、一円均一で市内特定地域を走るタクシーのことである。
浅草まで乗ろうと思って乗ったのだが、円タクは〈斜陽地区〉までまっすぐ向かっていく。
わたしもわたしで、スキットルでちびちび飲んでいたウィスキーで酔っていたので、なにも言わなかったのが悪かったのかもしれない。
「霊界タクシーが人を誘拐し、そのまま彼岸の果てまで連れていってしまう」
という、都市伝説があるのを忘れていた。
途中、うとうとして眠ってしまったわたしは、斜陽地区からさらに北の、葦穂山まで連れていかれてしまった。
あ、葦穂山……。
和の庭の外部じゃないか……。
「〈朧車(おぼろぐるま)〉ね」
と、わたしは運転手に言った。
朧車。
鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集にある日本の妖怪の一つで、牛車の妖怪。
そして、朧車は、〈おぼろ〉であり、わたしが運転手に声をかけると、消えてしまった。
葦穂山のふもとに独りで、今、立っている。
葦穂山は、風土記に出てくる地名で、油置売命(あぶらおきめのみこと)という女神の岩屋があった場所だ。
霊験あらたか、ではある。
が、深夜帯に、こんなところに来たくない。
帰りたい。
女神の岩屋でも探すか。
いやいや、待て待て。
女性一人で山のふもとにいる。
ヤバくないか?
考えるまでもなく、さっきの朧車という魔性は、土蜘蛛が使役したものだ。
「わたしをここまで連れてきた理由が、ある……のかな」
「ありますよ」
ペンで横に一直線に線を描いたようなほそい目に、にやついた笑みを浮かべ、和装をした女性が、後ろの方から声をだした。
振り向く。
「ようこそ、〈折鶴旅団〉の地へ」
「お、折鶴旅団?」
「あなた方がお探しであろう〈天狗を名乗る土蜘蛛〉ですよ。我々は、構成員を、天狗と呼称していますから」
待て。
聞いたことがある。
うーん。
あ。
思い出した。
「〈国本主義〉結社ね」
「そうです。国本、及び、招魂会の者たちです」
「国本主義は国粋。なぜ、政府に盾突く土蜘蛛に?」
「『国賊は殺す』。一人一殺ですよ」
「国賊……?」
「そう。例えば、〈黎明派〉などです。夢野さん。吉野ヶ里咲だけでなく、あなたのお友達の、鏑木盛夏も、ですよ」
「…………」
「ああ、申し遅れました。わたくし、国本主義結社・折鶴旅団の折鶴千代です。以後、お見知りおきを」
「わたしに、なにか用なわけ?」
「いえ、顔合わせ、ですかね。わたくしとあなたは、『こうして出逢った』という〈事実〉が欲しかっただけです」
「なぜ、わたしに」
「あなたが旅で得たなにか、知りたかっただけです」
「嘘ね」
「そうとも言える」
「どういうことよ」
「我々の本分は〈招魂〉にあります。あなた方の師である灰澤瑠歌も、わたくしたちが祀る英霊の一人です」
「余計とわからない」
「本当の敵が誰か、ということを、考えて。なぁに、あなたならばわかりますよ。そう信じています」
「まるでカルトね」
「ふふ。我々は幻魔術も魔性の使役もするということを、お忘れなく」
「これは、……脅し?」
「違いますよ、〈壊色姉さん〉」
「!」
目の前の人物、折鶴千代は、声音を変えて、わたしを〈姉さん〉と、呼んだ。
その声は。
「……折鶴千代。あなた、もしかして」
「そうですよ。生き別れのあなたの〈弟〉が、わたくしです」
「だって、あなた、女性……」
「性転換くらい、したってどうということないでしょう」
「性転換?」
あはは、と笑う折鶴。
「嘘ですよ。わたくしは生まれたときから女性ですよ。母があなたの〈弟〉として育てただけの話です。海外に遊学に行くのに、女性では、なかなか行かせてくれませんからね」
折鶴が指を鳴らすと、また朧車が湧きあがり、形を成す。
指を鳴らすだけで幻魔術を使えるというのは、相当の手練れだ。
「さ。また帰ってください。言ったでしょう。会うという事実が欲しかっただけです」
「なんの狙いよ」
「また〈えにし〉が出来た、という、それだけです」
……えにし、か。
そもそも姉妹なのにね。
いまさら縁もなにも、ないとは思うけれども。
☆
カフェー〈苺屋キッチン〉に入ると、店内にいた長良川鵜飼がわたしに飛びついてきた。
「壊色先輩ぃぃぃー!」
抱き着く鵜飼を引きはがすわたし。
「なに? どーしたの、鵜飼。こんな場所に来るなんて珍しいわね」
「ボク、先輩が魔性にさらわれたっていうから気が気じゃなかったのにみんな『酒でも飲んでろ』としか言わないしィ」
「ああ。誰も心配してないのがうかがわれるわね……」
「無事で良かったぁぁぁぁ!」
「あー、もう。心配してくれてありがとね、鵜飼。でも、飲み過ぎよ、あんた」
店の奥から苺屋かぷりこが現れる。
「角瓶のボトル一本開けちまったんだぜ、こいつ。それで、帰りもしねぇ」
ああ。朧車に連れていかれてから、何時間くらい経過したんだろう。
まだ、夜は明けていない。
そう時間は経っていない。
それに、魔性だということが最初からわかっていた?
わたしはわからなかったのに。
「園田乙女だよ。警察が絡んでいる。憲兵隊も別に動いている」
かぷりこは言う。
「あ、園田刑事、か」
「折鶴旅団、だろ? そうじゃなくても無政府主義や大怪盗やらがいろいろなところで〈和の庭〉を荒らしているってのに、今度は〈天狗サマ〉だよ。参ったねぇ」
そう言ってかぷりこは笑う。
斜陽地区の方で、天狗と称する土蜘蛛の一団がなにやら画策している。
それは、折鶴旅団、なのか。
「筒抜けらしいね」
わたしは肩をすくめる。
「鴉坂つばめの索敵能力を使ったんだろうな。近頃は『大衆消費社会』だなんて言うけれど、それもどこまで続くか、わかんねーな」
ここに逃げ場はない。
最初からわかっていたことだ。
「壊色。鵜飼のこと、江館まで送っていってやれよ」
鵜飼は浴びるように酒をラッパ飲みしている。
「わたし、まだなにも飲んでないんだけど」
「珈琲を出すよ。鵜飼といちゃついて待ってな」
「…………」
鵜飼がまたわたしに抱き着く。
「先輩」
「なに、鵜飼」
「笑顔」
「笑顔?」
「みんなが笑顔になれる社会が来ると良いですね」
「笑顔、か」
本当に、心からの笑顔を向けること。
それが出来る社会なら、どんなに良いだろう。
でも、笑顔の向こうでは、いつも誰かが泣いている。
「鵜飼」
「わっ!」
わたしは鵜飼を抱きしめ返した。
ちょっと泣きそうになったけど、その理由を考えるのはやめよう。
いつだってバカやって過ごしたいのだ、わたしは。
バカやることを妨げる、こんな状況は打破したい。
笑顔のために、わたしは戦いたい。
みんなの笑顔。
知ってるひとたちの笑顔くらい、勝ち取りたい。
それって、普通のことじゃない?
〈了〉
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