Penitentiary Philosohy

 多賀郡。

〈和の庭〉の〈斜陽地区〉から北上して離れ、ずっと遠く、北東へ向かったところにある、風光明媚な土地。

 多賀郡は、山もあれば、すぐに海に至る大きな道がつながっていると言った具合だ。

 多賀郡は、昔の宿場町でもあったそうだ。

「メシマノウマヤ」と呼称されているのがそれだ。

 その記述に関しては風土記に詳しいが、あいにくわたしの単細胞なのーみそからは、そこらへんの知識が抜けている。

 わたしの先生、灰澤瑠歌が師範を務めていた学校〈多賀郡館〉は、その、多賀郡にあった。

 藩校が母体だったとも聞く。

 多賀郡館。

 ここで先の革命前夜、〈水兎学〉は、大成した。

 全国から革命の志士たちがこぞって水兎学という、完全には体系だっていないと揶揄されることもあるこの思想を学びに来た。

 水兎学の尊攘思想で革命は成功し、いままで隠されていて、言葉に出すのもはばかれていた歴史が、表舞台に現れた。

 幕藩体制は、それによって姿を変えることになる。

 革命の原動力になった水兎学の考えもそのカタチを変え、様々な教育の根幹をなしている。

 だが、多賀郡で水兎学派は地位が高いか、というとほどほどにだが不安である。

 思想的に影響を与えたのは水兎学なのだが、多賀郡の内部では佐幕派と尊攘派で内ゲバ状態になり、優秀な人材のほとんどは死んでしまった。

 よって、水兎学を学びに来た他藩の者たちが、地元に戻り、水兎学の種子を遠くで蒔き、〈実践〉を行う集団となっていったのが、先の革命で証明されたことである。

 水兎学を学んだ多賀郡の〈浪士〉も、先の革命で活躍したにはした。

 だが、水兎学の本分は〈退魔士〉であり、魔性(アヤカシ)や「まつろわぬ者」および、まつろわぬ者が使役した魔性を〈調伏〉させたのが、先の革命の舞台裏での、多賀郡の浪士に紛れた〈退魔士〉の暗躍であった。

 知る人ぞ知る活躍。

 言い換えれば、ほとんどの人が知らない活動をしていたのが退魔士であり、革命の表舞台には、水兎学の徒である退魔士の名前は刻まれてはいない。

 表の舞台で隠されていた歴史のベールを開かせ、国を〈あるべき姿〉に戻しそうとした者たちが、英雄とされたのだった。



 わたし、夢野壊色は今、日帰りの予定で、ひとり、灰澤瑠歌先生の眠っているお墓の前に、花束を抱え、立っていた。

「先生は東の国の〈ひなび〉を愛してはいましたが、こんな辺鄙なところで眠る先生は、今はどんな気分で、下界を見下ろしているのでしょう」


 墓前に向かい、わたしは喋る。

「水兎学師範、灰澤瑠歌先生……今も、今になっても、お慕いしています、この不肖・夢野壊色は」


 泣きたくなってくる。

 わたしは、花束を捧げる。

 線香と供物も、墓前に供えた。


 忘れられないひと、というのが、人生においてはしばしばいる。

 忘れられないそのひとは、往々にして、自分の中では「生きている」ものだ。

 いつも、先生の言葉の数々を思い出してしまうわたしがいる。

 次世代を担う者も育てていかなくちゃならない年齢になりそうなのに、未だに恩師の言葉によって〈かろうじて生きていける〉自分がいる。

 灰澤瑠歌は、わたしの中で生きている……。



 わたしは、嗚咽を漏らし、その場でうずくまった。







 灰澤先生の墓地のある菩提寺に行く坂道をあがっていったとき、地元の人々は、わたしに聴こえる程度の声量で、ひそひそ話をしていた。


「あの夢野とかいう小娘……この寺を破門されたんじゃなかったかしら」

「佐幕派をこき下ろして新しい国への革命とやらに〈かぶれた〉灰澤の一味の一人でしょ、あの小娘」

「そうそう。地元の恥さらしだわ」


 投げかけられる言葉で、わたしは気がおかしくなりそうになる。


 確かに、多賀郡は佐幕派と尊攘派で真っ二つに割れた。

 この菩提寺は、穏健派だった。

 ことなかれの中にいる、烈しい革命の士、灰澤瑠歌。


 坂の途中の花屋で供える花束を買うと、店員はひとこと、

「お気をつけて」

 とだけ言って、早々に店の奥へと引っ込んでいった。


 ここに、この土地特有の問題がある。

 人々が対立していたのは、まだ風化していない。

 生々しい傷跡を残したままの、多賀郡。

 土地としては、他の地域からは〈忘却〉されつつある。


「盛夏は、どう思っているのかな」


 決まり切ったことでも、口をついてしまう。

 先生の遺志を継いだのが、鏑木盛夏だ。

 悔しさも、憎しみも、たくさん感じ続けて生きているだろう。



 先生のお墓に手を合わせ、目を瞑る。


「夢野壊色さん、でしか?」

 と、特徴のある語尾で、高い声の女性が声を後ろからかけてきた。

 振り向くと、そのズボンをサスペンダーで留めた彼女は、微笑むながらハンカチをわたしに差し出す。


「泣かなくていいでしよ。あたしも、もらい泣きしてしまうじゃないでしか」


 茶目っ気のある口調で彼女は言う。


「獅子戸雨樋(ししどあまどい)と言います。出版社の編集者を生業にしてるでしよ」


 差し出されたハンカチを貰い、涙を拭いた。

 好意に甘えよう。

 泣きはらしながら、会話はできないから。


「同人雑誌『新白日』の編集をまかされましてでし、ね。それで、魚取さんに訊いたところ、ここに来ている、と言われたのでし」


「魚取漁子が……。そう。あの子、わたしになにも話さないし、ここに来ていること知ってるとは、驚きだわ」

「魚取さんは、十王堂高等女学校のメンバー主体で同人雑誌が出来ることに関して、編集などをあたしに一任してくれたのでし」

「ああ。そういやわたしも同人のメンバーね」

「ここへはお泊りで?」

「いえ、日帰りです」

「海鮮丼を食べてから帰りませんでしか。おごります、会社のお金でしが」


「そうね。山を下りて、海で海鮮丼を食べてから、〈黎明地区〉には戻りましょうか」







 わたしが編集者・獅子戸雨樋と黎明地区にある私塾・鏑木水館へ戻ると。

 鏑木水館の講堂では、門下生である朽葉コノコが塾長である鏑木盛夏に喰ってかかっていたところだった。


「だいたい、塾長はなんで塾長をやっているのだ。どんな資格があるのだー」

「ひとことで言うと、先代に任されたからよ」

「先代とは誰なのだ。任されたとは、どういうことを以て任されたとするのだー!」

 いつになくヒートアップするコノコ。

 隣に座っている佐原メダカがあわあわして、ヒートアップするコノコを止めようとしているが、無理なようだった。


「先代の遺志を次いで、〈魔性(あやかし)〉を調伏させる短刀〈蜘蛛切〉を託されたのがあちしなの。まあ、先代の〈蜘蛛切〉は、長刀だったけどね」


「魔性を調伏する、とはどーいう意味なのだ!」


「魔性を〈エリミネート〉することよ。即ち、斬る」


「魔性を斬って、人間である〈土蜘蛛〉も、同じように斬る。それは人間を魔性と同じように扱っていることになるのだ。人間は、魔性じゃないのだ!」


「わからない子ねぇ。アヤカシとしての土蜘蛛は〈人域〉を侵す。まつろわぬ者としての土蜘蛛も、〈国〉を乱す。それを是正して、あるべき姿に戻すのが、あちしの、先代から受け継いだミッションよ」


「そんな説明じゃ水兎学は、ひとを殺す過激思想と言われても仕方がないのだ!」


「まつろわぬ者は魔性を使役するし、まつろわぬ者自体も、魔性化していってしまうのよ。術式……〈幻魔作用〉の使いすぎで、ね」


「幻魔作用? 御国に逆らう者はみんな魔性や魔性化するとでも言うのか、塾長。それはおかしいのだ」


「革命思想になってしまったのは、認めるわ。でも、水兎学派は、退魔士として舞台裏で魔性や魔性使いと戦っていたのは、事実よ」


「ここで学ぶことは、人斬りの思想なのだ! 嫌なのだ!」


「それは違うわ」


「どう違うと言うのだ」


「水兎学のベースになった、とある『日本史』について語るわね」




 …………人間社会の動向は、天の理法に支配されている。

 …………史実をありのままの姿で記述さえできれば、そこには自ずから歴史を貫く天の理法が人々の前に示される。

 …………これが道徳上の教訓ないし政治上の鑑戒となる。

 …………そう考えるのが儒学の歴史観の基本であり、『日本史』および〈水兎学〉の理念はそれを表明している。





「詭弁なのだー!」


「文武を学ぶ〈小〉と、学んだことを現実で実践していく〈大〉が、水兎学にはある。今はただ、学びなさい。必ずや役に立つわ、朽葉さん」


「むぅー」




 講堂の後ろの扉から入ったわたしの横で、獅子戸雨樋は苦笑する。

「あの激しい娘が、朽葉コノコ、でしか」




 これから同人雑誌の会合を、編集者も交えて行うことになる。

 でも、一筋縄ではいかないな、と思うわたし。


「そういえば、吉野ヶ里咲が、わたしと朽葉コノコちゃんが同人になったのに興味があるようだ、って盛夏が言ってたわね」


 わたしが呟くと、獅子戸雨樋はくすくすと笑った。

「吉野ヶ里先生は、夢野さんのことを、だいぶ気にいっているようでし。あと、コノコさんも、ね」

「それは、どういう意味で?」

「まあ、今日は塾が終わったら同人のみなさんで汁粉屋に行きましょう。汁粉屋〈キャラメル善哉〉。席は取ってあるでしから」



 飛び立てないわたしも、いつか翼が開いて大空を飛ぶことができるのではないか、と思っていた。

 未だにそれは出来ないのだけれども、大空がどんなに綺麗で、それでいて残酷かは知ってるつもりでいる。

 その一端を垣間見た人生だったから。

 百貨店の屋上のフェンスにしがみつきながら街を見下ろすあの酩酊する感覚と、文章を書く感覚はどこか似ている。



「この地上は、監獄に似ている……。大空に、憧れるだけ憧れるけど、決して届かない、届かせない、そんな監獄に」



 同人雑誌はもしかしたら、その酩酊とともに、大空へ飛翔するきっかけを与えてくれるのかもしれない。

 そんな希望的観測をして、わたしは、壇上で続ける盛夏の講義に聞き入りながら、眠気が襲って来るのにその身を任せた。




〈了〉

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