Nuthin' but a G thang

〈和の庭〉、「斜陽地区」の北。

 山間部。

 山を上り下り、森をさまよい、わたし、夢野壊色と鏑木盛夏は目的地を目指していた。

 今日のわたしたちは〈退魔士〉。

 天帝と政府に叛逆をしている土蜘蛛の調伏をする、〈退魔士〉の仕事で、斜陽地区の果てまで来ている。

 ここらへんに、土蜘蛛の集落があるらしい。

 反逆の徒は、調伏させなくてはならない。

 なぜなら、それが『水兎学』派のわたしたちの使命だからだ。


「和の庭にも、こんな山奥なんてあるのねー」

 森のなか、けもの道を歩きながら、わたしが言う。

「和の庭は、帝都だけを指すわけじゃないから、当然でしょ」

 盛夏はいつもの冷たい目線を、わたしに送る。

「わたしたちの学び舎があった多賀郡は、もっと田舎だけどねー。ここ、なんだかんだで、帝都に近いし。いや、近いから奇妙なのかな」

「どうかしらね。帝都に近い山奥となれば、土蜘蛛たちも、陰謀を練るには適していると言える。多賀郡と比べるのはよくないわ。むしろ辺境の多賀郡で水兎学が花開いたのが、おかしいと言えばおかしいのよ」

「結局は帝都に近い方が有利で、多賀郡はイレギュラーだ、って話ね」

「そういうことよ」


 けもの道を進む。

 進む。

 汗だくになる。


 日が暮れかかる。

 どこかに泊まらないと。


 と、山の山頂付近に、拓けている場所があった。

 木が伐採され、庵が結んである。


「庵室ね」

 と、盛夏が言った。

「庵室?」

「世捨て人になった僧のために建てられるのが、『庵室』と呼ばれるの。外観を見ればわかるでしょう、質素ながら小奇麗に管理が行き届いていて。庭を見る限り、禅僧の庵室だと思うわ」


 引き戸が開いて、そこから坊主頭の女性の、いわゆる尼さんがでてきた。

「よくご存じで。旅のお方ですか」

 その高齢の尼さんは、そう尋ねた。

「はい。旅をしています。いきなりで失礼ですが、ここらへんに土蜘蛛の〈巣〉は、ありませんか」

 尼さんは、弱く笑う。

「おお。土蜘蛛をお探しで。それともわたくしを疑いに?」

「いえ。いや、疑っているのは、すべての人間ですから、お構いなく。〈巣〉は、ありますか」

「ありませんよ。その、〈横におられる方〉なら、〈銀色の瞳〉を使って霊視できるのでは?」

「さすがですね、伊達に禅の修行をしてきたわけではない、ということですね。そう、あちしの横にいる女性、夢野壊色は、土蜘蛛特有の邪気を感じ取ることができます。〈銀色の瞳〉の術式を使って」

「ご覧くださいませ」

 尼さんは、下方に見える山間の集落を指さした。

「あそこに、村があります。わたくしともども、邪気を計測してみてくださいな。なにも感知しませんよ」

「そうですか。……ああ、ここを下れば、村があるのですね」

 尼さんはニッコリ笑顔だ。

「ええ。あと半刻で日が落ちます。村で宿を取られるといいでしょう」

 盛夏は目をほそめる。

「この庵室に泊めていただけないでしょうか」

「旅の方。確かに困っている方に一夜の宿を貸すことも僧の役割。ですが、わたくしはもうこの浮世から身を引いた身ですので。それに、食事も振舞えないのです」

「ふゅぅ……。そうですか。なら、仕方ありませんね。村まで下りてみます」

「そうしてくださると」

「あちしが興味本位に訊くだけなのですが、〈食事が用意できない〉のですね」

「ええ。精進料理以上に、味気ない食生活を送っております」

「わかりました。……じゃあ、村へ移動するわ、壊色」

「ん? そうなの? 了解」


 わたしたちは、山間の集落を目指すことにした。


「んん? なにこれ」

 わたしは、玄関先にあった石造りの小さな塔を指さす。

「五輪石よ。五輪塔とも言う。よくお墓にあるでしょう?」

「そうだけど」

「不思議でもなにもないわ」

「あー、尼さんの庵だもんね」


 尼さんに見送られて、わたしと盛夏は、歩き出す。

 下り坂は、それはそれできついものがある。

 早く、眠りたいなぁ、とわたしは思いながら歩いたのだった。







「五輪石と言えば、こんな伝承があるわ。とある森一帯に、昔、山城が建っていたらしい。時間は物事を風化させ、城跡は森になった。その森に無数に点在する五輪石はすべて、侍の墓として建てられたものだったらしいの。でも、今の元号に変わった頃、森を開墾する必要性があって、その五輪石を破壊していったのね。そうすると、壊すたびに突然雨が降ったり雷が鳴ったりする。挙句は時期でもないのに雹が降った。この天災はひたすら続いた。開墾が終わったとき、土の中から石像が出てきた。五輪石を壊すたびに心が痛んだのでしょう。持ち帰り、石像をそのひとは家の門口に置いた。天災は続く。それに紛れてか、石像はいつの間にかなくなっていた。なくなったその日から、その不思議な天候は収まった、という」


 盛夏がなにを言うかと思えば、怪奇譚か。

「五輪石の怪奇も、あるのねぇ」

「さっきの尼さんも、今話した怪奇譚と同じように、家の前に五輪石を配置していたわね」

「言われてみれば、そうね」

「壊色は、これが偶然だと思う?」

「家の前に五輪石を置いていること?」

「そうよ」

「うーん。オブジェとしてはいいんじゃないの」

「まあ、そうね」

「さあ、集落が近づいてきた。あとひと頑張りね!」




 山間部を開墾してできた盆地の集落。

 田んぼと畑の間に、点が散らばるように、民家がある。

 家々のなかからはあかりが灯っているのがわかる。

 食べ物の匂いもしてくる。


「さ、盛夏。どの家に行くべきかしら」

「門構えが一番立派なところに決まっているじゃない」

「んじゃ、行ってみましょうか」

「頼んだわよ、壊色」

「知らないひとと交渉するの、苦手なんですけど」

「あちしよりマシよ。それに、壊色は〈全国を旅してきた〉のじゃなくって?」

「あー、もう。わかったっての」


 黒塗りの門構えをした、見るからに立派なで大きな屋敷の門を、わたしは叩く。

「すみませーん。旅の者なんですがー」



 門が開くと女中さんが、

「関係者の方ですね。どうぞ、お入りください」

 と、泣きはらした目をしながら、わたしと盛夏を屋敷の中に迎え入れてくれた。


「関係者?」


 わたしは首を傾げたが、盛夏は顔色一つ変えずに、

「ええ。関係者です」

 と嘘を吐く。

 女中さんは、

「お食事もみなさん、とられているところです、どうぞ、大広間へ」

 と、食事場所の案内までしてくれる。


「意味がわからない」

「壊色。郷に従うのよ」

「なんかそれ、言葉の意味ちがうんじゃないの?」

「まずは食事よ」

「毒入りだったらどうする」

「土蜘蛛確定でしょ。調伏するわ」

「毒見は、わたしってことなのね」

「そう、なるわね……」

「すまし顔で言わないで。腹立たしいから」

「あちしたちは、招かざる客ってわけでもなさそうなのよね。その理由を探りましょう」

「飛んで火にいるなんとやら、が待ち受けてるかもよ」

「大丈夫。あちしの方は死なないから」

「なにそれ。わたし、死んじゃうってこと?」

「さ。大広間へ案内してくれてるんだから、女中さんに黙ってついていきましょ」

「へいへい」


 女中さんが連れて行ってくれた場所は、なんの衒いもなく、お食事中の、みなさんが集まっているところだった。

 ただし、人数は30人以上いて、宴会と言うには黙々と食事をしている場所だったのだが。







 お集りのみなさんは、黙々と食事をしている。

 これで喪服を着ていたら、お葬式だ。

 そういう空気が流れている、大広間だった。


 わたしと盛夏は、大広間の隅の方へ、用意してくれた座布団に座る。

 ほどなくして料理が運ばれてきた。

 女中さんにお辞儀すると、お辞儀を返して、料理を置いていった。

 わたしは盛夏に耳打ちする。

「宴って感じでもないし、なんだろう、この空気。誰かに訊こうにも聞きづらいのよね」

 いつもの調子で、普通の音量で盛夏は言う。

「もしも土蜘蛛ならば『〈銀色の瞳〉を使って霊視できる』のでは?」

 わたしは苦笑する。

「庵室の尼さん。ちょっと勘違いしてるわよね。それを盛夏ったら『さすがですね、伊達に禅の修行をしてきたわけではない、ということですね』なんて〈ヨイショ〉しちゃってさぁ」

「噓も方便。失礼のないようにしたまでのことよ」

「『夢野壊色は、土蜘蛛特有の邪気を感じ取ることができます。〈銀色の瞳〉の術式を使って』ってさぁ。間違いではないんだけど」

「じゃあ、いいじゃない」

「はぁ。盛夏、あんたは相変わらず、はぐらかしてばかりいるのね。わたしの術式は〈魔性(アヤカシ)〉を探知できるの。だから、〈魔性〉としての、要するに妖怪変化としての〈土蜘蛛〉がわかるだけよ」

「あちし、素晴らしいと思うわよ、その能力」

「天帝の御国(みくに)の、叛逆の徒としての奴らと妖怪変化は、イコールでは結ばれないわよ。人間に貴賓はないわ。そんなことになったら最近流行りの、水平な方々の運動の邪魔をするだけで、現実とは乖離し過ぎだわ。この戦いでは、国側か、それに叛逆しているかの差しかないのよ。敵の多くは普通に人間です。ただし、ひとは〈魔性〉も〈使役〉するけどね」

「ご高説ありがとう、壊色」

「どーいたしまして。尼さんに失礼ないようにしたのはわかったけどさ」

「探知、してみなさいな。〈魔性〉、いるかもしれないわ」

「盛夏。どこまでバカにしてるわけ? とっくに調べてるわよ」

「で。どうだった?」

「余裕ね、盛夏。確かに、この大広間のひとたちのなかには魔性はいない。でも」

「でも?」

「微弱な、消え入りそうなほど小さく、〈土蜘蛛〉の気配がするわ」

「ふぅん。どこにいるか、わかるかしら」

「わからない。山中にいる、野生の妖怪かもしれないわ。ここの葬式じみた集まりの波動が、〈あちら側〉と〈こちら側〉を、つなげてしまっているようにも思うのよ。そうしたら、〈あちら側〉から妖怪の〈土蜘蛛〉が出てきても、おかしくない」

「要するに、場所はわからないし、この集まり自体が〈引き寄せている〉可能性があるのね」

「そーいうことよ」

「じゃ、食べましょうか、お食事」

「食べちゃって、大丈夫かな」

「毒見の話かしら」

「それもあるけど、さっきから、この大広間、食事中なのにひとの出入りが多い。その中だから〈関係者〉とやらと勘違いされてるみたいだけど……、一体なんの関係者の集まりなのかしら」



 わたしたちが話を長くしていると、女中さんが戻ってきて、心配そうな顔をしてわたしたちのところまで来た。

「お料理、お気に召しませんでしたか」

「いえ、そんなことは」

 わたしが首を左右に振る。

「御当主さまがお亡くなりになられるのですから、仕方がございませんよね」

「は? え? あぁ? ええ、うん。……そう! そうね! そうですよね!」

 わたしはいきなりの女中さんの言葉に、うろたえる。

「いつまで経っても嘘が下手ね、壊色。それでよく全国を旅してき……モゴモゴ」

 わたしは盛夏の口をわたしの右掌で押さえて喋れなくした。

「お亡くなりになる、というのは、これから、確実に、みたいなニュアンスですが?」

 女中さんは、こくりと頷く。

「お客様は、初めてなのですね、この集落の〈葬送〉は」

「ええ。お恥ずかしながら」

 喪服は着ていないが、そういうことだったのか。

 まだ生きてるから喪服は違うわね。







 御当主が伏した寝室へ行ったひとたちのすすり泣きがあたりを覆う。

 こういうことだった。

 この村では、家の者が亡くなるときは、完全に息を引き取る間が真夜中である場合は、朝になるまで〈家を空ける〉らしい。

 完全に息を引き取るそのときがわかるのか、という質問には、

「それは、わかるのです」

 と、女中さんは答えた。

 真夜中じゃない場合は、というと、それが、

「多くは真夜中なのです」

 としか、答えられないそうだ。

 そして、この集落では、僧侶を呼ばない。

 亡くなる前に集まって、会食をして、〈邪気を払う〉のだそうだ。

 わたしに言わせると、会食は邪気を払うどころか、〈引き寄せる〉ことになるのだが。

 でも、この集落では、そうなっているのだから、仕方がない。

 集まった人々は雑多で、亡くなりになる御当主の知り合いたちだそうで、〈まつろわぬもの〉である〈土蜘蛛〉の集まりではなさそうだ。

 いや、仮にまつろわぬものたちであったとしても、今は戦意もなく、弔いの場に集まっただけで会合などではなさそうだ。

 故に、安全だ、とわたしは思った。

 鏑木盛夏がどう思っているかは、教えてくれないのでわからないが。



 そして、真夜中になった。

 人々は、去っていく。

 村を離れて、どこへ行くのやら。

 ついていこうとしたところ、盛夏が、

「食事の片づけ、手伝いましょう」

 と、提案する。

 女中さん、嫌がるかな、と思ったら、人手が足りないので助かる、と言う。

 そんなわけで、流元(ながしもと)で、皿洗いをするわたしと、鏑木盛夏。


 洗い物も終わり、わたしはお勝手口から外に出て、涼みながら紙巻煙草をふかす。

 そこに、女中さんが現れる。

「あたくしも集落を出ます。明日の朝、帰ってきます」

「は? ええ。それじゃわたしたちも」

 女中さんは、くすくすと口に手をやって笑う。

「いいんですよ、隠さなくても。〈退魔士〉さま」

 思わず目を丸くしてしまう。

 それに構わず、女中さんは、言う。

「村の風習に構わずとも……いえ、退魔士さまだからこそ、ここにお残り下さりますと……。供え物と供養はすでに捧げてあります故、ご覧になってくださいまし」

「ご覧に? なにか、あるのですか」

「ここが、帝都にとって、無害な辺境の地である、という事実だけがおわかりになるのでございます」


 含みのある言葉だった。


 お勝手口から、盛夏が顔をのぞかせる。

「そこにいたのね、壊色。煙草は身体に害よ。ほどほどにしなさい」

「わかったわよ、盛夏」


 女中さんは、

「それでは、あたくしはこれで」

 と、頭を下げて、屋敷を出るため、一度、お勝手口から中に入る。

 そして、愉快そうに、尋ねてくる。

「お二人は、どういうお関係なのですか」


「うーん。わからないな。戦友?」

 わたしは声を濁す。


「興味本位で聞いてしまいましたが、とてもお似合いの、恋人にも見えます。あ、いえ、淫靡な意味ではございませんので、お気になさらず。お二人が、男女だったらよかったのにな、と思っただけにございます。姉妹でもなく、恋人同士のような……失礼いたしました!」


「…………」


「……恋人だそうよ、壊色?」


 女中さんは顔を真っ赤にして屋敷を出ていく。


 わたしは、女中さんから聞いたことを、盛夏に話した。


 わたしたちは、屋敷に残ることにしたのだった。


 無害さがわかる、ねぇ。

 意味がわからないけど。

 どういうことかしら。







 大広間に残された冷酒をコップ酒にして飲む。

 うまい。

 そういや、この地方って、酒蔵が多いのだったわ。

 一升瓶の口の近くを手で握って、コップに冷酒を注いでは飲む、をわたしは繰り返す。

「火事場泥棒みたいじゃない、壊色。あまり飲まないの!」

「そうは言ってもねぇ、飲んじゃうんだもん。盛夏も呑みなよ」

「その前に、御当主のお姿を、見るべきじゃなくて?」

「一理ある」

「退魔士として来ていることを、忘れずに、ね」



 当主の寝室のふすまを開けると、そこには、白い掛布団の中で微動だにしない、当主である〈老婆〉が眠っていた。

 どこから入ってきたのか、身体にハエがたかっている。

 老婆の身体からは饐えた様な臭気が漂っていた。

「死、が始まっていくのね」




「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)。南無高祖承陽(なむこうそじょうよう)。南無太祖常済(なむたいそじょうさい)」



 わたしは道元派な言葉を唱えた。

 数珠でも持ってくればよかったかな。


「さて。御当主の姿も拝見できたことだし、大広間に戻ってお酒を呑みましょう」


「盛夏にしては、珍しい。どういう風邪の吹き回しかしら」

「さっき、呑むって言ったじゃない。そのあとで呑むって」

「なんだか裏がありそう」

「時間つぶしよ」

「時間つぶし?」

「大広間まで戻りましょう」




 大広間。

 わたしは盛夏と尼さんとの会話を思い出す。



 …………あちしが興味本位に訊くだけなのですが、〈食事が用意できない〉のですね。

 …………ええ。精進料理以上に、味気ない食生活を送っております。

 …………わかりました。

 …………じゃあ、村へ移動するわ、壊色。



「僧侶、この集落にいるじゃん。葬送に向かえば、〈味気ない食生活〉より良いもの食べれるし、読経すればみんなの役に立つ。なのに、なぜ尼さんは来ないの!」


「やれやれ、これだから壊色は。酒を呑んでれば、あと少しで丑三つ時。嫌でもわかるわよ」



 わたしの銀色の眼は、〈魔性〉を捉える。


 アヤカシとして、顕現するモノを。


 退魔士。


 それは〈神域〉と〈人域〉の境を守護するもの。


 すなわち『護国』。


 水兎学の〈実践〉そのものだ。



「〈神域〉と〈人域〉の境が、崩れていく……」


「〈見えた〉のね、壊色の〈銀色の瞳〉で……。その邪眼で」

「邪眼じゃないっつーの」

「はいはい。……ふゅぅ。冗談が通じないわね」





「だけどこれは……冗談どころか、常識が通じないわよ?」







 思い出す。


 わたしは、鏑木水館の若き退魔士・鏑木盛夏の言葉を。





 ……〈和の庭〉の〈箱庭世界〉が、崩れようとするのを防ぐために、先の革命はあり、そして〈水兎学〉はあった。


 ……そしてまた、〈箱庭世界〉は、崩れようとしている。崩れるのを防ぐため、あちしたちは水兎学の〈実践〉をしていた。


 ……闇夜の心に巣食う〈まつろわぬもの〉、言い換えれば〈土蜘蛛〉が、帝都を覆いはじめている。その調伏をするのが、あちしたち水兎学派〈退魔士〉の役割なのよ。忘れていたのかしら。帝都の危機を救うため、あちしたちは動いていたのではなくて?




 …………………。

 …………。

 ……。



 どこから〈彼女〉は、この屋敷に侵入したのか。

 泣いている。

 泣きじゃくっている。

 泣きじゃくりながら山頂付近に庵室を結んでいた尼さんが、虫の息になっている〈この屋敷の御当主さま〉の肉を引きちぎり、内臓を喰らっている。


 臓物を、それはおいしそうに、だけど泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と嗚咽を漏らしながら、食べている。


 肉を引きちぎるたびに、血が飛び散り、寝室を真っ赤に染め上げる。


 鬼の所業?


 違った。


 わたしの〈銀色の瞳〉は告げる。

 徐々に〈土蜘蛛〉化していたのは、死に向かっていく、この家の〈御当主さま〉だった。



 隠れて見ていたわたしたちの姿を確認し、尼さんは、


「堪忍してやぁ」


 と、言った。

 それから御当主に向き直る。


「旨いんじゃぁ、旨いんじゃぁ。〈土蜘蛛〉の味が、わたくしは忘れられんのじゃぁ。ごめん、ごめん、ごめんよぉ」


 それから尼さんは、その当主の名前を呼んで、

「肉にしてやっがらなぁ。血にしてやっがらなぁ。わたくしの、身体の一部にしてやっがらなぁ」

 と、頭部を撫でさすりながら腹部からはみ出た内臓を引きちぎっては喰い、方言交じりの言葉を漏らし、泣いていた。



「盛夏……、これは?」

「食人鬼(じきにんき)、ね」


「食人鬼……」


「尼さんの言う通りね。『それに、食事も振舞えないのです』と、彼女は言った。『あちしが興味本位に訊くだけなのですが、〈食事が用意できない〉のですね』という質問には、『ええ。精進料理以上に、味気ない食生活を送っております』と」


「どういうこと?」


「〈鬼の味〉を知ったものは、もう戻れないそうよ」


「戻れない? どこへ?」


「〈人域〉へ。すべてが味気なくなったのね、〈魔性〉の〈味〉を知って」


「…………」





 いつだったか。

 狐面の〈十羅刹女〉、白梅春葉は、こう言った。


「水兎学は、〈調伏〉を行う。でも、それは帝都の理屈なんだよっ」

 と。


 すべて、帝都の理屈。

 ここは、その埒外だ。

 確かに、ここに土蜘蛛はいない。

 死ぬ際に、〈魔性〉になりかけてしまう者がいて、そしてそれを〈阻止〉するために、〈ひととしての一生を全うさせてくれる食人鬼〉が、ひとの姿のまま殺してくれるだけだ。



 尼さんは、食べている。

 食べ続けている。

 こちらにはもう、目をくれない。


「朝まで時間があるけど、どうする、壊色?」



「もういいわよね。でましょ、この村を。村の秘密は、秘密にしときましょうよ」


「ふゅぅ。……そうね、壊色。そうしましょ」







 山の頂に着く頃には、日が昇っていた。

 あの庵室は消えていて、五輪石のあった場所に、お供え物の饅頭が、ちょこんと置いてあった。


「盛夏。この饅頭、誰から誰へのお供え物かな」

「さぁて、ね。庵室も消えているし、見てごらんなさいよ」


 盛夏が指さす方角を向くと、そこには、あの集落が、丸ごと消えていた。

 ただの盆地になっていたのである。


 ……いや、建っていたのではあるが。

 数知れぬほどのお墓が。

 村のように大きな、そこは一帯が墓場だった。



「ま。こういうことも、あるでしょ。調伏済み、っと」


 鏑木盛夏は、その一言で、今回の一件を片付けた。


 わたしは、

「あー。だからアヤカシってのは嫌なのよ」

 と、髪の毛をくしゃくしゃにかき乱してみたのだった。



〈了〉

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