Run Like Hell

 木造平屋建ての、門構えが立派な建物。

 そこが、〈和の庭・黎明地区〉の多賀郡お屋敷通りに面して建っている私塾。

 私塾の名を鏑木水館と言い、塾長は退魔士・鏑木盛夏である。

 今ではオールドな思想になりつつある『水兎学』を教える私塾が、鏑木水館だ。

 水館は、同じく『水兎学』の学び舎である〈和の庭・夜間地区〉にある長良川江館と〈対〉の関係になっている。

 水館と江館のどちらとも少なからぬ関係があるわたし、夢野壊色である。

 どっちつかず、とも言う。




「明日は仕事休みだし」

 言い訳をつくり。

 わたしは鏑木水館の講義が終わったあとを見計らって、下宿・西山荘から石畳の道を通って、日が傾くなか、とぼとぼと歩いていく。


 門前までやってきて、やっぱり引き返そうかな、と考える。

 だが、それは一瞬のことで、家飲みとしてタダ酒を飲ませてくれる鏑木盛夏は今日もお酒をわたしに飲ませてくれるだろう、と仮定して、門戸を叩く。


 叩いたのに反応して出てきたのは、使用人ではなく、雛見風花だった。


「はぁ、壊色かぁ。風花、壊色のこと、嫌いよ」


ギィッと重そうな音がして半分開いた邸宅の黒塗りの門だったが、出てきた風花はうんざりした様子で、すぐにその門を閉めた。


「…………はい?」

 わたしは認識できなかった。

 だって、邸宅を門前払いされる筋合いはないからだ。


「ちょっと、開けなさいよ、雛見風花!」

 門を何回も強い力でノックする。

 無反応だ。

 何回門を叩いても、無反応だった。



「あー、もう。これだからガキは!」



 雛見風花とは、こういう奴なんだってこと、失念していたわ。


 閂(かんぬき)が外される音。

 次いでゆっくりと門を開ける音が、響く。



「自傷行為をしたばかりの阿呆に用はないわ。あと、背が低いだけで、風花は、ガキじゃないわ」


 ガキって言葉に反応して出てきたわね。


「ふふ。強がり屋さんめ。ガキでしょ、あんたは」

「いいかしら、夢野壊色。あなたは飛んだ阿呆よ。自傷行為を繰り返しているだなんて。命の大切さを、学んでこなかったのかしら」

「ひとは死ぬ。ひとは、自分での選択肢はなく生まれてきて、生きて、そしてあっけなく死ぬ」

「あっけなく死ぬから、風花はひとがあっけなく死なないように医学を学んだわ」



 今でも医学の話をする雛見風花は、途中で医学校を辞めてしまった。

 それもまた、わたしは知っていることではある。

 でも、今、それをあげつらうのはフェアじゃない。


 最近流行の運動、庭球も、やってみたらフェアプレーフェアプレーうるさいのでやめてしまったわたし。

 会話の球の打ち合いにフェアプレー精神は必要か。

 いや、くだらないな、そんな話。

 両者の間にフェアプレー精神がなければ、そんなもの成り立たず、そしてわたしたちは、正攻法の戦いも生き方も、していないんだから。



 風花はわたしの目を見る。

 目が合う。



「夢野壊色。あなたは本当に『水兎学』を学んだの?」







 あなたは本当に『水兎学』を学んだの、……か。


 なるほどね。


 至極ごもっともな発言だわ。

 なら、応えるか、フェアに。



「水兎学は、先の〈革命〉の原動力になったわ。精神的支柱って奴ね。学んだつもりよ、学んだら、それは捨てることなんてできない型のものだった。言い換えれば水兎学は〈グランドセオリー〉。自分の根幹の近くにあるはずよ、今でも。いつまでも。わたし以上に深みにはまって、自分の精神・魂と水兎学がイコールで結びついてしまった奴もいるくらいだもの。そのバカは、……鏑木盛夏っていうんだけどね」



 雛見風花は怒りがこみ上げてきたらしく、拳を強く握る。

 その拳は震えている。

 わたしを殴りたいのかもしれない。

 でも、知ったことじゃないわ。


「どうしたの、顔が真っ赤よ、こめかみに血管が浮き出ているけど?」



 挑発。

 なんでそんなこと、わたしはしてしまうのだろう。



「今度お薬を過剰摂取しても風花、助けてなんてあげないんだからねっ!」


 わたしはきっと、怒らせたかっただけで、今の会話をしているのかもしれない。

 風花を怒らせる今の会話はとても楽しいと、心がわたしに告げている。



「まあ、とりあえずわたしを奥座敷まで通してよ」

「勝手にしてッ!」



 叫んだ風花は踵を返し邸宅に戻っていった。

 門は開いたままだ。

 手提げ洋燈を右手で持ちながら、わたしは門から入り、庭園を横切ったのだった。


 自分の精神・魂と水兎学がイコールで結びついているのが鏑木盛夏だ、と言えばこの娘は怒るんじゃないかな、とは思っていた。

 そうでしょう?

 盛夏の、可愛い可愛い小さな恋人、風花ちゃん?







「よぉ、壊色。元気そうじゃん」


 座敷に居座っている先客がいたのにはびっくりした。

 盛夏が友達を呼ぶなんて、ね。

 それも、その人物はカフェー〈苺屋キッチン〉の女給・苺屋かぷりこだというのだから二度、驚きだ。


「盛夏とかぷりこは、面識あったんだっけ?」

 訊いてしまうわたし。


「壊色の知らないところで、ひとはつながりあっている、というこれは見本よ」

 不愛想にわたしに応じる鏑木盛夏。


 お膳に熱燗の徳利とお猪口。肴は大皿に。

 二人は酔っている風だった。

 だが、夜はまだ長い。


「わたしも相伴にあずかっても?」

 どさっと腰を下ろすわたし。


「壊色。あなた、あちしの可愛い風花を泣かせたでしょう」

「泣いたの、あの娘? さっきはずいぶん怒っていたようだったけれど」

「風花は繊細なのよ、あなたと違ってね、壊色」

「酷い言われようだなぁ」


「一般的に、自傷行為というのは」

 と、盛夏はわたしに向けてしゃべる。

「死ぬためではなく、自分が生きていることを〈確かめるため〉にする、と言うわ。あなたの場合、どうなのかしらね、壊色」

 質問されてしまった。

「死にたい、と思うことがある。誰だってそうかもしれないけど、わたしは特に、強くそういう傾向があるんだと思う」

「煮え切らないわね」

 かぷりこが首をかしげる。

「なんの話だ?」

 盛夏はふふふ、と含み笑いをする。

「死にたがりの道化師の話よ。夢野壊色、というピエロの」

 かぷりこは腕組しながら唸る。

「うん。そういうときは薬でも飲んで寝ろ」

「あちしもそう思うわ、壊色」

「わたしは薬飲むの、たまに意味わからなくなるしそれで症状抑えられてるはずなのだけれども、本当のところは謎ね。つらかったらそりゃ戯言はいいから薬飲んで寝るのが一番だけれども。生きてる意味あるのかな、わたしは。薬によって生かされているだけのような気がするわ」

「生きてることに、誰にも意味なんてないわ。生きてるんじゃなくて、命なんてものは、まわりの環境に、生かされてるだけよ。〈生きている意味〉は、たぶん考えてる人だけが考えている結果として存在しているだけ。意味を見出すのはむしろ自分、でしょうからね。生きている意味っていうのは〈結果論〉だわ」


 わたしはそれに対し、率直に述べる。

「考えない、っていうのが難しい。日常がずっと続くと思うと怖くなる。だからひとは意味にすがる。わたしなんかが良い例よ」

 そこに、かぷりこが割って入る。

「自分に生きる意味、〈生きる価値〉がなくなったら、死んでしまうってか」

 酒の勢いもあってか、馬鹿笑いになるかぷりこ。

 油を注ぐように、盛夏がかぷりこに言う。

「では、かぷりこ先生の〈生き延びるための処方箋〉を、伝授していただけないかしら?」

「あたしの処方箋? ねーな、んなもん。今、自分が生きてられる状況だから、私は生きてる。生かされてる。それが途切れた時は……。って、そんなことまで知るかーい! ってな」

「嘘ね。幼年学校では、それとも、そう習うのかしら」

「あたしの今の生き方に幼年学校は関係ない。軍人にもならないで在野にいることからも、わかるだろ? ただ」

「ただ? なにかしら。あちし、聞きたいわ」



 そこでかぷりこは、咳ばらいをした。

「永劫回帰」


 聞きなれない言葉を、かぷりこは口にした。

「永劫回帰?」

 今度はわたしが首をかしげる番だった。


 苺屋かぷりこは、少し言いよどむ。

 それからしばらく下あごに手をやって考えて。

 話し出すことを決めたらしい。

 まじめな顔つきになって、苺屋かぷりこは説明をしだす。







 ……一般的に、生きることに〈意味がある〉っていうのはそこに「終わり」「目標」「使命」などがあって、〈そこ〉に向かっているからってことが大半だろう。

 ……だがそんなものは本当はなくて、永劫の時間が意味もなく円環的に回っているだけだとしたら……。

 ……そうしたら一切は徒労で、その世界のありようは人々を萎えさせる。

 ……だからギリシア人にとって永劫回帰とは生存の苦悩を〈意味〉した。

 ……インド人はそこから解脱するために涅槃を見つけた。

 ……ところが西洋では、キリスト教は永劫回帰の思想を否定した。

 ……時間を天地創造から最後の審判までに限ることで、〈生存〉に〈意味〉を与えたんだ。

 ……それは〈苦悩からの解放〉、つまり〈福音〉として迎えられた。

 ……だが。

 ……ニーチェは千八百年に渡るその伝統の重圧を払いのけ、福音の〈禍音性〉を大胆に暴露した。

 ……現代人に対し、ニヒリズムの克服は〈永劫回帰というニヒリズムのこの極限形式を積極的に肯定することなしにはあり得ない〉と、力説したんだ。


 ……まあ、ニーチェは生前、理解してもらえず、路上で発狂しちまったがな。



 ……ニーチェの超人思想の根本にあるのが、永劫回帰だ。

 ……ニーチェは、「神は死んだ」と言った。

 ……有名だろう、この言葉。

 ……神は死んだとは、どういう意味を表すのか、だな。

 ……そいつはこうだ。



 ……もし神が人間をつくったならば、人間がなんであるかの、その人間の本質と使命は定められているはずだ。

 ……だが、「神が死んでしまったこの世界」を仮定してくれ。

「すべての神々が死んでしまった世界」の人間は、その本質と使命は定められていない。

〈世界〉は『力への意志』であり、〈人間〉もまた『力への意志』だ。

 ……決して力への意志を〈ただの人間〉が持っているのではない。

 ……持っているのは〈超人〉だ。

 ……超人とは力への意志であるような人間、なにものかであるような自己を絶えず超越し、絶えず創造しなおす人間の謂いだ。

 ……ニーチェが超人を〈教えたその真意〉とは。

 ……自己を越える行為への積極的意志を、言い換えると「大地の意味」であり得るその意志を、主体としての超人の理念を介して、人々の心に喚起することにあった。

 ……そう言われているのさ。


 ……神がいない、意味なき世界の意味のなさを克服できるのが〈超人〉で、彼らは〈永劫回帰〉を〈生きる〉ことができる。




「ふぅ。熱燗が冷めちまったな」

 かぷりこは一気に講釈したあと、大の字になって、畳の上に寝転んだ。







 かぷりこ嬢は寝転がり、生きろ、と言った。


「意味があるなしじゃねぇ。生きろ。意味なき世界を生き延びる〈超人〉になれ!」



 しばらくの沈黙があって、がーがーすぴーと、いびきが聴こえてきた。

 かぷりこはまくしたてたあと、眠ってしまった。

 勝手な奴だ。


「きっと、疲れてたのね」

 盛夏は、そんな感想を漏らす。


「わたしは、道化には、なりきれない。自分を演じきれない。中途半端な道化だよ、それこそ死にたがりの、ね」


「わかっているじゃないの。演じるぶんには意味はあるし、虚構世界にもまた意味付けがなされてその世界が成り立っている。けど、生まれて、生きて生かされ、そしてひとは死ぬだけ」


「歩いてて進行方向に石があって、転ぶかもしれないから一々取り除いて歩いてたらそれだけで人生終わる。生かされているとしても、転ばぬ先の杖は必要なのか。そんなに賢く生きるのはエリートさんたちがやってりゃいい」


「どうしたの、壊色」


「わたしは今日生きるので精一杯で、その場その場で切り抜けるしかない。行き当たりばったりだわ」


「奇遇ね。あちしもよ」


「嘘つき」


「それはどうかしらね」


「さて。ぬるくなった熱燗をいただこうか」


「酒におぼれるのがあなたの処世術なんじゃないかって思うことがあるわ。でもね、壊色。処方薬を飲んでいるのだから、お酒は控えなさいね」


「雛見風花みたいな物言いね」


「風花とはつながっているもの、身も心も」


「へいへい」


 座敷に残った日本酒の処理係として、グイグイと片っ端から飲んでいく。

 心地いい。



「盛夏。風花や塾生たちはどうしたの」

「今頃眠っているわ。風花も泣き疲れたでしょうし」

「じゃ。わたしも下宿へ帰って眠るか」


「道中、気をつけて、酔っ払いさん」

「わーってるって」


 千鳥足になるのを精神力で制御して、わたしは鏑木水館から外に出る。


「永劫回帰、か……」







 街灯。

 瓦斯ランプの電柱の真下に、狐の面を被った人物が、出刃包丁を右手に持って、直立不動にしていた。

 体格からすると、女性、しかも、少女だ。

 狐の面の少女は、動かない。


「関わらず、立ち去るべきね」


 出刃包丁を持った狐面の少女が、スポットに照らされている。

 花屋敷に似合いそう。

 興味がないわけじゃないけど、興味を持つと、破滅する予感がした。


 わたしは、少女を横切る。

 すると、

「春葉は、壊色お姉ちゃんを殺さないとならないんだよ。『ミサキ』である〈八咫烏〉は今や、あの退魔士と壊色お姉ちゃんに憑いている。春葉は、許せないな」

 と、かなり説明的なことを言った。


 思わず立ち止まる。

 わたしを、殺すと、この娘は言っていなかったか?


 わたしを、殺す?


 なんで?


「なんでって、それは八咫烏に先導させて、たどり着いた先で〈調伏〉を行うのは、お門違いだからだよっ」


「意味がわからないな」


 返答してしまった。

 会話を、この危ない少女と、してしまった。


「水兎学は、〈調伏〉を行う。でも、それは帝都の理屈なんだよっ。土蜘蛛には、土蜘蛛の世界があって、それを壊すのは、いけないことなんだよっ」


「土蜘蛛は、国を乱す者たちだ」


「違うよ。今の国の〈体制〉が、狂っているんだよ? わからないか。わからないよねっ? じゃあ、死んじゃえ!」



 出刃包丁を横に払う春葉というこの少女の攻撃を、バックステップでかわす。

 今のは避けられたけど、わたしは戦闘に向いてない。


 どうする?


 春葉は走りながら出刃包丁を振り回す。


 この戦い方は、剣術のそれではない。


 わたしは迫ってきた春葉の軸足を薙ぎ払う。


 盛大に転ぶ春葉。


 起き上がり、狐面を脱ぎ去り、八重歯を出して、春葉は言った。


「春葉はねぇ、『十羅刹女(じゅうらせつにょ)』なんだよっ」



 誰かが現れた。

 その誰かは、春葉の背後の暗闇から、飛び蹴りを当てて、春葉を吹き飛ばす。

「痛いよっ?」

 また転がって、手で身体を支え、起き上がりながら、春葉は飛び蹴りの人物の方を見る。


 わたしも、見る。

 飛び蹴りをしたのは鏑木盛夏で、その脇には、西洋の魔女の帽子をかぶった黒いローブ姿の女の子がいた。


 わたしは喜色の笑みを浮かべた。

「盛夏と、それにつばめちゃん……」



 つばめ。

 鴉坂つばめ。

 下宿・西山荘で、わたしの隣の部屋に住んでいる女の子だ。


「出たねっ! 八咫烏!」


 つばめちゃんに向けて、春葉は言った。


 飛び蹴りで自分も転んだ鏑木盛夏も起き上がり、転んで汚れた袴をはたいて、埃を落とす。


 ここにいる全員に向けるように大きな声でしゃべる盛夏。

「確かに。八咫烏は『ミサキ』よ。高位の神霊が現れるときにその予兆となる役割を果たす、神霊。それが『ミサキ』」


「…………」

 わたしは黙って、盛夏の話を聞く。


「ミサキは、憑物でもあり、今は水兎学派に〈憑いて〉いる。それが八咫烏である、鴉坂つばめという神霊よ」


 ……黒いローブ姿で、魔女かと思ってたわ。


「〈魔法少女結社・八咫烏〉のメンバーの一人が、つばめなのよ、壊色」


「さっぱりわからない」


「八咫烏は、高位の〈退魔する者〉を先導することもある。つまり〈索敵能力〉を有した、レーダーとナビゲーションの役割を果たす神霊よ」


 うーん、外来語がよくわからない。


 意味が通じたのであろう。

 取り払った狐面を自ら踏み潰した春葉は、出刃包丁を握り締め、叫ぶ。


「なにが退魔よ! 水兎学も、それを精神的主柱にした先の〈革命〉も、間違っているのっ! あるべき場所にあるものは、そっとそこに置いてあるべきなのっ! 土蜘蛛と呼ばれるわたしたちは、〈追われている〉だけ! 被害者なの!」




 退魔士・鏑木盛夏は詠唱する。




 ……生老病死。

 ……善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。


 …………〈悪人正機〉!

 …………〈狂業信証〉ッッッッ!



 短刀・蜘蛛切の刃は、春葉の心臓にぐっさりと刺さった。







「思い切り〈意味のため〉に戦っているじゃない、盛夏。ところで、どうしてここでわたしが襲われることがわかったの」

「あちしのところに、鴉坂つばめが来たのよ。十羅刹女が帝都に戻ってきた、きっと夢野壊色が狙われる、ってね。それで、追ってきたのよ」

「なるほど。索敵能力……か」

「あちしは〈外敵を撃ち滅ぼす〉という役目がある。つばめは〈魔法少女結社・八咫烏〉の一員として、あちしたちに協力してる。不思議もなにもない。あるのは、複雑な敵対関係よ」


「複雑な敵対関係?」


「多分に政治的な闘争を意味してしまうのよ、土蜘蛛との戦いは、今後、もっとね」

「十羅刹女ってなに? 蜘蛛切で刺したら、消えちゃったけど」

「〈鬼女〉よ、あの娘。春葉、と名乗っていたあの娘。十人の羅刹の力を、あの春葉って娘は一人で所有している。土蜘蛛の統領〈星を墜とす者〉の秘蔵っ子らしいわね」


 各地を旅した時も様々な場所で聞いた人物の一人、それが〈星を墜とす者〉と呼ばれる人物。

 まさか、本当に実在するとは。


「ありがとね、つばめ」

「盛夏さんに言われると、恥ずかしいなぁ」



 わたしたちが佇んでいると、かっぽう着姿のお姉さんが、腰をくねくねさせながら歩いてきた。

「あらあら、こんな夜中につばめちゃんが部屋を出ていったから、うちのななみが心配していたのよ、つばめさん」

 わたしは頭を下げる。

「管理人さん。こんばんわ」

「あらあら、ななおちゃん、って呼んでって言ってるでしょう、壊色さん。うふふふ」


 話がややこしくなりそうだ。

 たぶん、このかっぽう着のお姉さん、やくしまるななおさんは、今の戦いを陰で見ていたはずだ。

 まいったな。

 下宿の管理人さんを、わたしは巻き込みたくない。

「下宿に戻ろうとしてたところです。わたしも、つばめちゃんも。ねー、つばめちゃん」

「わたしは盛夏さんのところに泊まりたいです!」

「そうなのね、つばめさん。じゃあ、いいわ。ななおちゃんは、今日は壊色さんと、しちゃいます!」

「いや、しちゃいますじゃないですって、管理に……いや、ななおさん」

「うふ。じゃ、帰りましょうか、つばめちゃん、壊色さん。面倒を見てもらってありがとうございます、鏑木盛夏さん」

「いえ。あちしはなにも。それじゃ、やくしまるななみによろしくとお伝えください、ななおさん」


「下宿・西山荘は盛夏さんを応援していますよ。水兎学派、頑張ってくださいな」


 唇の端を曲げて、

「ええ。水兎学は、この国に必要ですから」

 と、盛夏は答えた。




…………わたし以上に深みにはまって、自分の精神・魂と水兎学がイコールで結びついてしまった奴もいるくらいだもの。

…………そのバカは、鏑木盛夏っていうんだけどね。



 雛見風花に言って泣かせる結果となったその言葉を、わたしは自分で、頭の中で反芻する。

 わたしたちはきっと、みんなバカだ。

 それこそ、永劫回帰にその身を委ねたほうがいいのではないか、とさえ思う。

 だが、使命は、重くのしかかる。

 信じるもののために戦う。

 時として、それは危険なものだ。

 それでも、信じるもののために殉じたいと思ってしまうのだろう。

 特に、こいつ、鏑木盛夏のような人物は。




〈了〉

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