Structure

〈和の庭〉地方。

 帝都。

 黎明地区。

 十王堂高等女学校、寄宿舎。


「あ。用務員先生、おはようなのだー」

「え? 先生? あー、うん。えっと。おはよう、朽葉コノコさん」

「嬉しいのだ! 用務員先生から名前を憶えてもらえたのだ!」

「よかったですね、コノコ姉さん」

「メダカちゃんも早く覚えてもらえるようになるといいのだ!」

「えー。恥ずかしいなぁ。わたしはいいですよぉ」

「大丈夫。覚えてますよ、佐原メダカさん」

「きゃあああああああ! 名前覚えてもらえたあああぁぁ!」

「えっと。わたしに名前、憶えてもらえて……嬉しい?」

「嬉しいですよぉ」

「やったのだ、メダカちゃん! わたしも鼻が高いのだ!」

「わぁい! 名前覚えてもらえた! わたし、名前覚えてもらえたぁ」

「あはは……」

「おっす。おはよう、用務員先生」

「おはよう、空美野涙子さん」

「朝っぱらから廊下のモップ掛けか。用務員先生ってのは、大変なんだな」

「……まあ、ね」



 夢野壊色という、先日入ってきたばかりの〈用務員先生〉に挨拶したメダカたちは、朝食のため、寄宿舎の食堂へ向かう。



「コノコ姉さん……ちょっと」

「どうしたのだ、メダカちゃん」

「本当に、用務員先生を〈引きずり込む〉んですか?」

 佐原メダカに耳打ちされた朽葉コノコは、胸を張る。

「当然なのだ」

「えー……」

 乗り気じゃないメダカは、眼を細める。

 そこに、空美野涙子が割り込んでくる。

「だいたいよぉ、『同人雑誌』つくるのに、あいつの力が必要なのか、コノコ? あたしらで十分なんじゃねーの?」

 チッチッチ、と人差し指を左右に振るコノコ。

「甘いのだ、涙子ちゃん。それじゃ、〈江館〉の連中に勝てないのだ」

 江館とは、私塾・長良川江館のことを指す。

 ため息を吐く空美野涙子。

「あの〈用務員先生〉って、鏑木水館の塾長と知り合いってのが、まず、嘘っぽいぜ」

 頬を膨らますコノコ。

「涙子ちゃん。疑うなら空美野財閥の力で探るといいのだ。鏑木の塾長と喋りながら用務員先生が歩いてたのを、わたしはこの目で見たのだ!」

「ふーん。だからといって、わざと用務員先生の前でキャーキャー騒いで好感持たれるかっつったら、逆なんじゃねーの?」

「むぅ。じゃあ、涙子ちゃんは、水館なんていう書籍に強そうなところの近くにいる用務員先生を引き入れる方策がなにかあるって言うのかー!」

「普通に言ったらいいんじゃねーの。『先生なのにヒマそうだし、同人雑誌つくりに協力してください。敵は江館でつくってる同人雑誌です』ってな」

「それじゃ断られそうなのだぁ!」

「おい、こら、食堂で暴れるな、コノコ!」

「にゃはは。暴れているよーなのにゃなぁ、愚民どもめ!」

「む。その声は。ラピスちゃんなのだ! 部屋から出てくるなら、学校にも来るのだ」

「にゃたしは保健室でじゅぎょー受けてるからにゃいじょうぶなのにゃ!」

「あー。金糸雀(かなりあ)の妹の方、久しぶりじゃん。朝、起きれたのか。保健室登校はよくないぜ。保険医を食べようって算段か?」

「にゃに言ってるのにゃ、涙子! にゃんたみたいな不良とにゃたしは違うにょにゃ!」

「ラピス。ホント、おめーはにゃーにゃーうっせぇなぁ。金糸雀の姉の方はどうした?」

「風紀委員会の委員長にゃから、教師の手伝いで早朝から学校に向かったにょにゃ。って、にゃー! 涙子に話す言葉はにゃいのにゃ!」

「はいはい。で、なんだよ、金糸雀ラピス。うっせーおまえが来たってことは、またくだらないこと言いに来たんだろ?」

「にゃたしが言うことはいつだってくだらなくにゃいのにゃぁ! 電脳遊戯のお誘いにゃ!」

 その場にいる全員、コノコとメダカと涙子が、首を傾げる。

「電脳遊戯? なんだそりゃ」

 鼻で笑う涙子。



 そして、今回の傍迷惑な事件は始まるのである。







 放課後。

 日が落ちそうな時間帯の、〈夜間地区〉。

「おい、ラピス。江館に対抗するっつってんのに長良川江館のある〈夜間地区〉に来て、どうするつもりだ?」

 歩き疲れた涙子が言う。

 一行は〈黎明地区〉から、乗り合いバスと徒歩で遠く〈夜間地区〉までやってきていた。

「にゃはは。江館の奴らの同人雑誌の秘密は、『遊戯(ゲーム)』にあるのにゃ」

「ゲーム? わたしたちは本を書きたいのだ、ラピスちゃん」

 コノコは腕を組んで、疑問を口にした。

 それに、金糸雀ラピスは即座に返答した。

「にゃからぁ、ゲームが同人誌の〈核〉なのにゃ!」

 わからないという風に、首を振る朽葉コノコ。

「どーいうことなのだ、ラピスちゃん?」

「むっふっふ。ゲーム世界を下敷きにして作品を構築しているのが、江館の塾生がつくっている同人雑誌『文芸江館』の売れ行きの秘密にゃのにゃぁ!」

 空美野涙子があごに手をやり、しばし考え込んでから言う。

「なるほどな。ゲーム的想像力がその源泉になっていて、そういうのを集めたのが、『文芸江館』なのか」

「そういうことにゃ。にゃたしに感謝しろよ、愚民ども」

 メダカが歩き疲れながら、ラピスに訊く。

「で。どこに向かってるんですか、ラズリの妹さん」

「お姉ちゃんの名前は出すなぁ!」

「あー、わかりましたよぉ。で、どこへ向かってるんですか」

 佐原メダカが尋ねると、

「絵葉書屋さんにゃのにゃー」

 と、言うラピス。

「説明が必要にゃのね。〈湊屋(みなとや)〉って地下街の店で絵葉書屋が売ってるにょだ。その絵葉書は、電脳世界に届ける葉書……正確には、電脳世界に〈にゃたしたちを運ぶ葉書〉にゃのにゃ」

「その電脳に運ぶ葉書がどーしたのですかぁ?」

「売ってるのは正確には絵葉書型ゲーム基盤にゃの。それを寄宿舎の図書室にある蒸気計算機に差し込むと、電脳世界に没入できて、ロールプレイング・ゲームをすることができるにょにゃ」

「ゲームで遊べるんですね、その絵葉書型ゲーム基盤を使うと。それで、遊んでどうするのですぅ?」

「佐原メダカもわからず屋にゃのにゃなぁ? にゃたしらもそれで電脳遊戯して、それをもとに、真っ向から江館の奴らの同人雑誌『文芸江館』に喧嘩売るにょにゃ!」

 涙子が、目の前を指さす。

「路地裏の入り口がそこにあるぜ。本当に地下街に、行くのか?」

 ラピスが、一行に向けて、言い放つ。

「にゃたしの電脳遊戯の誘いに乗ったからには、基盤を買って、ゲームを一緒にするにょにゃ!」

 メダカはあきれた風に、

「遊び仲間が欲しいって、最初から言えばいいじゃないですかぁ」

 と、ラピスに返す。

 が、当のラピスは、とたとたと早足で、暗い路地裏の地下街の中へ、入っていってしまった。

「追うのだ、メダカちゃん、涙子ちゃん」

「はい、コノコ姉さん」

「しゃーねぇなぁ」


 ラピス以外は、初めての地下街。

 女学生が行く場所じゃない。

 緊張が走る。

 だが、それよりも彼女らには好奇心が勝っていたのも、事実だった。






 絵葉書屋である湊屋は、若い女性が一人で切り盛りしているお店だった。

 店主の名を、武久現(たけひさうつつ)、という。

 青い着物に身を包んで、憂鬱そうな表情をしている。

「いらっしゃい、ラピスちゃん。それに、ラピスちゃんのお友達も」

「ゲーム基盤を買いに来たにょにゃー! みんな、女学生でいいとこのお嬢さんだから、お金持ってるにょにゃー!」

「ぞんざいな説明ですね、わたし、泣いちゃいますぅ」

 メダカは瞳をうるうるさせた。

「まあ、泣くこたないのだ、メダカちゃん。ねぇ、店主さん」

「なんだい、お嬢さん」

「蒸気計算機に基盤を差し込んで遊ぶっていうけど、わたしには、意味がわからないのだ」

「なるほどねぇ。確かに、電脳世界に没入したこともないだろうし。蒸気計算機と電脳遊戯の関連性も、わからないよねー、普通は」

「そうなのだ! 教えるのだ、店主さん」

「武久現って呼びつけしてくれて構わないよ、お嬢さん」

「そっか。じゃあ、さっそく教えるのだ、現さん!」



 ……蒸気計算機は、蒸気機関で動く計算機だ。

 ……人間には複雑な計算でも、簡単に、早く、答えを出すことができる。

 ……ゼロと壱、つまり「ない」と「ある」の二択を、連続して読み取っていくのが、蒸気計算機の計算方法で、それをたくさんつなぎ合わせたのが、機械言語なのさ。

 ……その機械言語で、遊戯を作り出すことができる、蒸気計算機が高速で計算を行って、世界を構築するんだ、仮想世界を、ね。

 ……その仮想の空間を、電脳世界と呼ぶ。


 ……そして、電脳でつくった世界は、各々独立しているのではなく、〈電脳網〉でつながっている。

 ……その〈網〉の〈糸〉が、遊戯のプレイヤー同士をつなぐ。

 ……これをわたしらは〈千筋の糸(ちすじのいと)〉と呼んでいる。

 ……蜘蛛の習わしの言葉さ。

 ……網を紡ぐのは、蜘蛛。

 ……君たちは、その蜘蛛の糸の網の中で、つながりながら冒険するんだ。



「蜘蛛?」

 コノコは、頭をひねって考えている。

 どこかで聞いたことがあったような気がしたのだ。




「まあまあ、そう考えないでいいよ。君たちの女学校でも、一部でこの基盤でプレイする遊戯がすでに流行っていることは確かだからさ。流行に遅れないように、買っておいきよ」

 武久現は、ニッコリと嗤った。

 基盤は、カラフルな色合いの和紙に包んであり、コノコたちはそれぞれ、好きな柄の基盤を選び、買った。

 ゲーム基盤を、和紙からそっと取り出してみると、確かに、葉書のような形状をしていた。


「毎度有難う」

 店主の武久は、店先で帰るコノコたちに手を振っていた。



「にゃ! 怖いところじゃにゃかったにゃろ?」

「うーん、なにか引っかかるのだ」

「空っぽの頭のコノコが考えたところで、なにも浮かんじゃこねーだろ」

「むー、涙子ちゃん、酷いのだー」



 寄宿舎に戻った一行は、図書室へと向かう。

 そこには、冷却ファンが回る中、設置された、巨大な計算機が、奥の方に鎮座されてある。

 それが、蒸気計算機なのだ。


 無数のスロットル。そこに、コノコたちは買ってきたゲーム基盤を、ためらいなく差し込んだ……。






 朽葉コノコは、夢を見ていた。

 それは、ぽかぽかと暖かい草原の中、蜜とミルクの流れる川が通り抜ける、幻想郷だった。

 何日間、過ごしただろうか。

 夜は、星が瞬いていて、綺麗だった。

 その星々を、仲良しなみんなと草原に腰を下ろして眺める。

 しあわせだった。

 ここには、怖い人もいないし、怖いこともなかった。

 みんな、笑顔だ。

 ここにいればしあわせが続く。

 それは確実のように、コノコには思えたし、ここにいるほかのみんなもそう思っていると、確信が持てた。


 コノコは貿易港の街で育った。

 珈琲の香りが立ち込める家に育った。

 そこはしかし、怖い場所でもあった。

 笑顔は奪われた。

 だが、遠く離れて帝都に来て、いろいろあったが、寄宿舎に入ったら、友達がたくさんできた。

 コノコは、勉強ができる方ではなかった。

 つらいことも、高等女学校でたくさんあった。

 でも、それを支えてくれる友達が、できた。

 つらいことを乗り越える〈しあわせ〉。

 それと、この蜜とミルクが流れる川の草原の〈しあわせ〉を天秤にかけた場合、どっちがしあわせだろうか、と少し思った。


 違和感がある。


 耳元で、〈あやかし〉である〈土蜘蛛〉が囁く。

「ここを離れたら、しあわせも離れていくのだぞ」と。

 本当だろうか。

 本当のさいわいは、なんの疑問も試練も持たずに、ニコニコ笑顔で暮らすことなのだろうか。

 土蜘蛛がささやきかける耳元がざらつく。

 土蜘蛛の声は、コノコにとって、〈ノイズ〉になった。

 歪んだ声の、土蜘蛛の出すノイズ。

 みんなには、聞こえないのだろうか。

 あたりを見回す。

 ノイズを意識しだしてから見たみんなの瞳。

 瞳孔が開いている。

 放心状態で、ふらふら草原を徘徊しているだけ。

 楽しい会話だと思っていたものは、実際にはコミュニケーションが成立していない、すれ違いに気づかない心が生み出した産物だった。

 ここにいるみんなは、一緒にいるようで、そのじつ、自分の殻に閉じこもり、自分に都合のいいように周囲の物事を捻じ曲げて理解しようとしているだけだった。



「こんなの、しあわせなんかじゃないのだ!」



 コノコは叫んだ。

 空間に、亀裂が入る。

 亀裂は、幻想郷の空間を引き裂いた。


 ……コノコは、亀裂の外へと、吸いだされるように、追い出された。


 気づくとそこは、寄宿舎の寝室の中だった。

 机上ロールプレイの電脳網の糸が、こめかみに貼りついていた。

 コノコはそれを、引きちぎる。

 部屋の外から、うめき声が聞こえる。

 寄宿舎は今、〈瘴気〉で覆われている。

 そんな実感があった。

 廊下を歩く足音さえしない。

 無数のうめき声が聞こえるだけだ。


 そこに、木材を蹴り飛ばして破壊する音が、響いた。




「〈千筋の糸(ちすじのいと)〉ね」

「千筋の糸?」

「あー、もう、わからずや! 壊色、思い出しなさい! 〈土蜘蛛〉の糸の一種よ!」

「でも、それは『まつろわぬ人々』としての『土蜘蛛』じゃなくて、あやかしとしての土蜘蛛が操る糸では?」

「今、壊色が動けるようになったのは、わたしが〈術式〉で糸を切ったからよ」

「風邪の強化バージョンだったこれは」

「そう。〈千筋の糸〉は、〈血筋の意図〉でもある。あやかしの土蜘蛛の、血筋の、意図。それは、絡めとって巣に貼りついたところを捕食する本能よ」

「糸を切って、意図を消して、滋養強壮で立ち直った、っていうのね、わたしは」

「急ぐわよ、壊色。あなたの力が必要よ」

「わたしの? 向かう場所は?」

「十王堂高等女学校の寄宿舎。クビにならなかったの、不思議だとは思わない?」

「確かに」

「不可視である〈千筋の糸〉が絡まっているのよ。血筋の良いご息女様たちの『血筋』が、『意図を持って』絡まっているの。複雑に絡まっているから、あなたの力が必要よ」

「わかった」



 これは。

 用務員先生と、そして、鏑木水館の塾長の声だ。

 緊張感に満ちた声。

 脳内から直接、声が聞こえる感覚。

 これが、〈千筋の糸〉の電脳網……。

 コノコは、瘴気で重くなった身体を、動かす。

 なかなか動かない。

 だが、歩き出せた。

 本当のしあわせを掴むには、努力をしなくちゃならない。

 しあわせは、誰かに与えられるものばかりじゃない。

 自分から動かないで得たしあわせなんて、いつ消えるかわからない、〈虚構〉なのだ。


 コノコは、ふらつく手で、部屋のドアを開ける。

〈虚構の春〉から、抜け出すために。







「糸が……張り巡らされているのだ…………ッ」

 腐食が始まった木材と、カビの生えたコンクリート。

 ここが本当に、今までいた寄宿舎と同じ建物なのか、コノコは一瞬、戸惑った。

 だが、わかる。

 思い出したのだった。

「そう……だったのだ。蜘蛛と言えば、〈土蜘蛛〉のことなのだ。〈まつろわぬ人々〉……」

 天帝にすら逆らう者。

 ……そして、〈星を墜とす者〉に統率されているという……あの、叛逆の徒である〈土蜘蛛〉!



「瘴気よ、これ。強力な奴。どうする、盛夏」

「ふゆぅ。壊色。邪眼を開きなさい。〈索敵〉するわよ」

「はいよ。……仕方ないな」



 用務員先生こと夢野壊色と鏑木水館塾長・鏑木盛夏の声に、朽葉コノコは〈近づいて〉いく。


 蜘蛛の糸に引っかからないように。

 今度は、引っかからないように……。

 瘴気の中、一歩一歩、重くなった足を進める。



 図書室の中は、蒸気計算機が〈お化け〉のようになっていた。

 妖怪。

 あやかし。

 蜘蛛の糸を吐き、その体躯を増殖する、自律機械。

 それが、今の蒸気計算機だった。



 声が聞こえる。

 外から。

 反響して。

 まるで、〈ここにいる〉かのように。

 電脳網は、まだコノコの中で機能している。



 鏑木盛夏が、夢野壊色に、言う。

「この糸。遠隔操作ウィルスみたいなものよ。生徒たちは操られて、今頃、夢の世界で遊んでいることでしょうよ。それより壊色。もう一度言うわ。邪眼を開きなさい」

 壊色が言葉を返す。

「邪眼じゃないっつーの。そうやってひとを漫画の人物に自分を重ねてるような人間に仕立て上げようとするんだから」

「いいから、早く」

「わかったわ」




 夢野壊色は唱える。



 …………………。

 …………。

 ……。



 南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)。


 南無高祖承陽(なむこうそじょうよう)


 南無太祖常済(なむたいそじょうさい)



 …………正法〈眼〉藏!!


 ……。

 …………。

 …………………。



 息をのんだコノコは、呟く。

「用務員先生、格好いいのだ……」



 よくわからない。

 だが、眼が銀色に輝いた夢野壊色は、確かに格好良かった。

 コノコにとっては、だが。



「見えるわ」

「どう見えるの、壊色」

「不可視の糸は寄宿舎図書室を中心にして、張り巡らされている。図書室を叩けば、おーけーね!」


「じゃ。あちしがやるべきことは」

 緋牡丹の脇差を鞘から引き抜く盛夏。

「短刀〈蜘蛛切〉の出番ね」


 盛夏は〈蜘蛛切〉で十字に空を斬った。

 瘴気が弱まる。

 千筋通っている糸の一部が断線する。

 断糸というより、断線。

 ワイヤーの比じゃない心的硬度。



 ……それを、断ち切るのを。

 その様を、コノコは図書室にいながら〈見つめていた〉。


 そう、遠隔操作のウィルスの感度が高まった今の寄宿舎では。

 銀幕のスクリーンに投影したようなかたちで、〈襲撃者〉のモニタリングがされているのであった。

 それは、脳内にも映し出されている。

 接続された身体が〈観ている〉のだ。

 それが、絡まりあう千筋の糸なのである。



「見ぃつけた!」


 図書室に入り込むことに成功した鏑木盛夏は、ニヤリと笑んで、蒸気計算機に向かって、そう言った。


 今度は本物の二人が、コノコの目の前に現れた。







 鏑木盛夏が糸を手繰った先には、巣があった。

 蜘蛛の巣。

 土蜘蛛の意図するところの、病巣。



「これより〈病巣〉の摘出の〈術式〉を行うわ」


 鏑木盛夏は、短刀・蜘蛛切で、病巣を切除する。


 その手裁きは、慣れたものだった。

 一瞬で〈切除〉が完了する。


 そこにいる、土蜘蛛の〈巣〉である〈魂〉を、引き裂いたのだ。


「術式、終了よ」


 土蜘蛛は、

「ピキー」と息を漏らすと、消し炭になって消えた。



 幻想郷でコノコに囁いていた、土蜘蛛が消滅したのだ。





 その場にへたり込む朽葉コノコ。

「終わった、のだ……」




「さぁ、逃げましょう。器物損壊で訴えられるわ。ドア壊したし」

「奇遇ね、盛夏。わたしも、ほとぼりが冷めてから、寄宿舎には戻ろうと思ってたところよ。今は撤退だわ」


 ダッシュでその場を去る二人。

 夢野壊色はコノコに気づかない。


 だが。

「終わりじゃないわよ」

 走り抜けるとき、鏑木盛夏は、コノコに向かって、そう言ってから、走り去った。




「終わり……じゃ、ない…………?」

 頭の上にはてなマークが浮かんだままで、コノコは横に倒れ、気を失った。








 どうせ明日という日はあって、空虚がわたしを満たしていく、いつの日からか。

 だから、つくった小説がわたしの全てであるような、そんな気もするのです。

 それは虚構以外の何物でもないのだけれども、わたし自身の運命へのわたしのレジスタンス活動でもあって。

 散らばった夢をもう一度詰め込んで、照準を絞って引き金を引いて撃ち込む。

 その弾丸が、わたしの小説なのです。


 …………夢野壊色。




「これで、いいかしら。巻頭文は?」

 用務員先生、夢野壊色はコノコたちに書いた原稿を見せて、はにかんだ。


 コノコは結果として、〈用務員先生〉を、同人に引き込むことに成功した。

 ここに、同人雑誌『新白日』は、創刊する。


 その代わり、鏑木盛夏に今回の事件という大きな弱みを掴まれたコノコ、メダカ、涙子、ラピスの四人は、私塾・鏑木水館に、入塾させられてしまったのである。




 鏑木塾長は、水館の塾邸で、コノコたちに大きな声で言う。


「あなたたちにはこれから、〈水兎学〉を叩きこむわ! 険しい道になるけど、これからよろしく!」




「よろしくじゃないのだー」

 泣きそうになる、朽葉コノコたち。





「ね。終わりじゃないって、言ったでしょう?」





 こうして、今回の傍迷惑な事件は、一応の決着を見るのであった。




〈了〉

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