補講2
第27話 悪問の解説
村長宅での「証明」が終了して、村人たちは各々散開していた。
「アレクサ先生。やってくれましたね」
宿へ戻るや否や、ゼリア塾長がため息交じりの苦笑を浮かべてくる。
「シャルロくんのおかげです」
手元の紙束を見つめ、私もまた肩をすくめた。
「おかげで。こんなものを、使わなくて済みました」
今回のことで余計に実感してしまう。
教師は「火付け役」にはなれたとしても、結局のところ、内部を根幹から変えてしまうにはあまりに無力なのだと。
「権威ある一撃は、強烈な武器となります。けれど」
私は、最後の最後には「外」に頼ろうとした。
自分すら超えた外側からの攻撃は、確実に難境を破壊してくれると期待しながら。
思い違いも甚だしい。仮に効果はあったとしても、枠組みすべてを歪めてしまうだけだ。
「私個人として、できれば使いたくなかった。特に、これほどのものは」
なんにしても。
コモロの用意したものは、想定を上回りすぎていて、扱いにくかったのもまた事実。
「なので、負けも同然なのに、勝ちでもある。そんな、とても清々しい気分です」
講義もそうだが、世の中は想定通りにいかないことばかりだ。
それでも、目標を達成できた、フランキの無実を訴えるのに成功した。今夜までぐらいは、その感慨を噛みしめていたい。
「そうですか。ええ、彼の小さな一歩を感じられて、私も少し驚かされました。本音で言えば、うれしい部分もあります」
ゼリア塾長も顔をほころばせる。
コロコロと表情の変わる彼女だが、混じり気のない笑みには不思議な安心感がある。
ついこちらも、その表情に見とれ……。
「さて、それはそれとしましてね」
ふいに表情を引き締めた塾長が、私の傍へと歩み寄ってくる。
やにわに肩を掴まれたかと思えば、彼女は目を見開き、
「≪お説教の時間です≫」
「……え?」
「≪なにが、え、なんですか? ええ?≫」
彼女は私から紙束を奪い去り、それらを指し示しながら、私を真顔でにらみつけてくる。
流暢なフリングで、端的かつ抑揚なく、用件が繰り返される。
「≪久々に本格的なお説教です≫」
(ほ、本気だ……)
冷え切った声色だけで、背筋が震える。
まさかここまで怒らせるなど、私としても予想外だった。
命じられるまま、彼女とともに自室へと入っていく。
幸い、片付けは定期的に済ませてあったものの、まさかこんな形で女性を連れ込む、いや、連れ込
「≪あの、クビですか?≫」
「≪は? どうしてですか?≫」
恐る恐るフリングで尋ねた私に対し、塾長は目をしばたたかせる。
「≪その、あの件でお怒りなのだとすれば……≫」
「≪上司としてではありません。あなたの意思を知れば、どうして怒ることができましょう≫」
こう断言している時、彼女の態度は柔和だった。
「≪人としても、むしろ認めてあげましょう。というか、個人的に褒めたいところもあります≫」
返す返すも、シャルロの勇気なくして、あれは成功しなかった。
なので今件について、私個人に賞賛などいらない。
とはいえ、逆にお叱りを受けたいはずもなく。
「≪しかしあなたは私を、上司としてではなく、人としてでもなく。
インチキ、と糾弾されると反論できなかった。
塾長は息を整え、それから話を再開する。
「≪会話の四つの原則、というものがあります。知っていますか?≫」
「≪えー、知っています……≫」
いまさらながら、なぜフリングなのかわかった。
彼女は私の罪を、すべて目の前で暴露するつもりなのだ。私にだけわかる形で。
「≪いわく、嘘をつかないこと。いわく、情報量を適切に。いわく、適切な文脈で。いわく、曖昧な表現を避けること≫」
彼女からの「説教」を受けつつ、頭の片隅で懐かしんでしまう自分もいた。
「≪しかし面白いのは、この原則。破られた時にこそ、会話の含蓄が見えてくるというのです。面白いですよね。人間は会話するとき、文字通りの意味だけでは話していないのです≫」
ゼリア塾長は深呼吸をする。
彼女なりの切り替え方法なのだろう。私の場合は自覚がないが、多くの教師にはなにかしら、一定以上の負荷がかかると出てくる妙な癖があったりする。
「≪……あなた、本当にモロニ語の教師ですか? 実は詐欺師なのでは?≫」
これは正直、精神的に刺さる罵倒だった。
私が「詐欺師でない」証明はできないし、さっき行ったことは詐欺以外のなにものでもなかったのだから。
「≪そ、そう申されましても……私は、一つも嘘は≫」
「≪そうですね!? あなたのセリフだけ追えば、嘘もでっち上げもありませんでしたね!? あくまで相手に、適当に想像させただけですもんね! ええ、そうでしょうとも!!≫」
声を張り上げたのち、再びの深い息。
塾長は手にしていた紙を、私の作業机へとたたきつけた。
「≪なら一つ一つ、丁っ寧に、あなたの悪行を論証してやりますからね。覚悟してくださいよ≫」
すう、と大きく息を吸った彼女が、机の紙束から一枚を取り上げ、掲げてみせる。
「≪まずはこれっ、『この一帯で山賊が暴れまわっていました』という、なんの変哲もない、報告書っ!≫」
報告内容に、一切の虚偽は含まれていない。アザ村周辺、マラーマとモロニ語の語圏が重なるこの一帯で、たしかに山賊が悪行三昧だった時期がある。
盗みは横行し、村々は破壊され、惨状は目に余るばかりだったはずだ。
なのに村長たちは、まるで耳にした覚えがないという。
「≪しかし日付が……≫」
当たり前の話だ。
なにしろ、塾長が示そうとしている通り。
「≪百年前っ!≫」
この村の住人、そのだれもがまだ「誕生していない時期」のことなのだから。
「≪他のなんら関係もない資料から渡すわ、
普段の口調よりもさらに砕けた言葉遣いで、ゼリア塾長は早口にまくし立てる。
あまりに早いので、得意なはずのフリングにもかかわらず、私が理解するだけで手いっぱいになるほどだ。
「≪余裕で独立してましたからね、この頃の『学院』は!! モロン帝国、まだ東! っていうか、帝政かも微妙! 依頼した総督府って、その頃あったちっちゃい別国の奴じゃないですか!? 原本が『学院』の図書館にあっただけですよね!≫」
「≪そ、そこまでバレてましたか?≫」
総督府の件まで。
私も送られてきた紙を見るまでは知らなかった事実なので、彼女の勘か知識には圧倒される。
「≪それからこれ、肝心の犯人扱いされたオー・ケスタ、とかいう謎の男!!≫」
二枚目の紙を出しながら、燃えるような髪の女性は思いきりそれを振り乱した。
「≪身柄を預かっているって……単なる在学証明書じゃないですか、この紙!? そしてやっぱり二十年ほど前! そしてこの男は当時まだ少年で、村長まだわりかし青年っ!! 私がこっち来て……≫」
ここで、ゼリア塾長は咳払いをした。
「いえ、なんでもありませんがね」
「ああ、塾長がこちらにその頃来たというのは、聞いています」
「……他人の年齢を詮索して楽しいのですか、ええ!?」
「そ、そんなつもりは……」
モロニ語でそんなやり取りを挟みつつ、すぐに言語は切り替えられる。
「≪まあ、そいつがとんでもない奴だってのと。拘束しているという表現からして、厄介そうな輩なのはいいとしても。どこにも、こいつが『山賊』だなんて、書いてない! 家宅侵入としょっぱい盗み、しかも証拠のない疑惑だけ!≫」
この男に誘導するまでが、私にとって最大の山場だった。
ここさえ乗り越えられれば、村長との論戦はどうとでも制せただろう。
「≪しかし輪をかけてひどいのはこっちの! 山賊が『学院』に盗みに入ったって奴!!≫」
この記述の方が許せないのであれば、たしかに塾長は学究の徒として怒っているのだ。
これまでが曲がりなりにも「信頼のできる根拠」だったのに対し、こちらは我ながらひどい。
「≪これ証明書どころか、ただの歴史書の写しじゃないですか!? それでもって事件の日付が……なんと三百年以上前!≫」
さすがの学院と言えども、外部から三百年前の一次資料を得ることが難しかったので、こうせざるを得なかった。
「≪村長どころか、村があったかも謎! というか、これ……ともかく≫」
なぜか激昂を一度抑えて、彼女はまとめに入っていく。
「≪どれもこれも、『証明書が発行された年月』だけ伝えて、それっぽく並べただけ!! 一つ一つの
だれに向けているともわからない叫びを吐き出すと、ついに彼女は落ち着いた。
……まだ説教そのものは続いていたが。
「≪極めつけにたちが悪いのは、おそらくこれ全部、事件の日付だけわざわざ古語で書かせてますね。五十が『百の半分』とか表現されてた頃の≫」
「≪ご存じなんですね……語源学でもやらないと、そうそう知らないはずですが≫」
「≪ええ、こんなしょうもない表現知ってる輩、『学院』関係でもなきゃ、とっくに絶滅してます。他も肝心な数字のところだけ、絶妙にわかりにくく方言と組み合わせおって……こんなことできるんですね、『学院』で。なんの役に立つんですか?≫」
「≪はい、現地の人間でも読めるようにと、翻訳の指定はある程度できるようになっています≫」
この手間が相応にかかるため、さすがに二か月では厳しいかもしれない、などと予想していたのだが。
つくづく、あのバカの有能ぶりには舌を巻きたくなる。
「≪なるほど。本来は読めるように。けど、村長に読ませてないでしょう? 読ませないために数字を妙な記述にしましたね? マラーマ翻訳すらしていない≫」
「≪……その、ええ、まあ≫」
つながっていない事実の連鎖が、穴だらけなのは当然のことだ。
どこかしらを突かれれば崩壊していた。
いかにも堅牢な鎖のように見せられたのは、村長のモロニ語読解能力がシャルロ未満だった、のみならず。彼にも多少なりとも、証拠不十分で青年を追い詰めていた自覚があったからかもしれない。
「≪今日のまとめです。それっぽいだけの情報の塊でも、他人は権威と印象で騙せる。騙されないように気を付けましょう≫」
(……だれに向けているんだろう?)
まさしく講義の締めくくりのようなセリフで、彼女はフリングからモロニ語へと戻した。
「以上、ゼリア塾長の特別補講『インチキ論述に騙されないようにしよう~反面教師編~』でした。今度真面目に売り出しましょうかね、これ」
この一帯で売れるかはさておき、帝都ではおおいに受けそうな題だ。
そしてゼリア塾長は、首を傾げ、机上にまだ残っていた紙片たちに顔を向ける。
中からそっと一枚を取り出し、だれにも見られていないか確認してから、目線を紙面に落としていた。
「……この紙だけは、なぜ手に入ったんですかね?」
「それは私にも謎です……」
例の「劇毒」は、他と違って、マラーマでの翻訳まで付されている。
その内容は、前半だけならば、比較的穏当とさえ言えた。
すなわち、「アザ村私塾で起きた火災の件について、アレクサ・シノニマ・フィロロギア(私の名前)が総督府に代わって調査、判断を行う権利を有するものとする」。
この文章については、私が事前に
やり込める策として下の下ながら、外部からの威圧は単純に伝わりやすい。
だが、後半。付け足されている一文のせいで、想像をはるかに超えた恐るべき紙へと変貌してしまうのだ。
「上述の文章は、モロニ帝国第七代神帝ルダーフ直筆であり、逆らうものは『国賊』ないし『帝敵』として、村長一族のみならず村内全員が責任を負うものとする。アザ村村長ラズロへ」
奴が今何をしているのか、そろそろ私も気になってくる。
いくら神出鬼没、話しかければほぼ確実に返答を得られる、そんな怪物だからといって。
まさか、神帝から直々の脅迫文を手に入れてくるなど。
帝国辺境の公用語塾 ~炎を宿した瞳~ @terraforming
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