第26話 偽りなき勇
村長は苦しそうに唸っていた。
納得はできていないが、理解はできてしまったのだろう。
この辺境で、モロニ語をこれだけ話せるのだ。彼の知性は決して、あなどれるようなものではない。
だからここからは、できれば話し合いに持ち込みたい。
「あの火事で、村長。あなたは、なにかを失いましたか」
「そりゃ、息子の勉強を邪魔されたようなものですからな。どうせまた、そこの奴が嫌がらせを」
理解した真相をかなぐり捨てて、村長は私の背後にいるフランキを攻撃しだす。
そう簡単には、一度振り上げた矛を止められないのかもしれない。
「家庭教師を殴ってしまった件に関して、たしかに彼は反省してしかるべきでしょう。ですが、火事との間にはなんの関係もないことが、わかっていただけたはず」
しかめ面ながら、村長は反論をしてこなかった。
「さらに村長、シャルロくんはあなたの家でも学習を継続できている。それは彼に、しっかりとした軸があるからです。他人と共にいても、ぶれることはないのです。重ねていえば、シャルロくんとフランキくんは組が別です。その状態で、これ以上問題が起きるのでしょうか」
暗に息子への偏愛が原因と追究すると、相手は村長としての立場で返してくる。
「う、うちの息子だけじゃないんですがね、他の子も……!」
「フランキくんを一か月教えてみましたが、その間の彼も、子供たちに暴力をふるうようなことはしていません」
そこで、会話が途切れる。
村長は、まだ、認めてはくれないらしい。
(使うしかないのか、アレを)
手前側に隠されている紙へ、指を這わせる。
シャルロが持ってきた紙束には、分けておいたはずのあの「劇毒」があった。
忍ばせておいたのはゼリア塾長だろう。暗に彼女も、この猛毒が状況を一変させることは気付いていたに違いない。
(たった一枚の。でも、たしかに相手を叩き潰すだけなら、これ以上はない一撃)
使えば、きっと勝利は確実になる。
私は、そしてその意図を汲み取りすぎた悪友は、互いに権威主義者の倒し方を知っていた。両名とも、権威に勝てなかった側だからだ。
だから、使いたくない。
それは私が、帝都の頃から。あるいは、「生まれる前」からなにも変われていない、敗北宣言でしかないからだ。
悪友の、悪意なき憐れみに負けることを意味するからだ。
(なんで、こんな時に、そんな個人感情を! フランキを助けるなら、これぐらい、このぐらい)
震える私の指と流れる冷や汗、正面の男性から忌々しそうに漏れる吐息。
不気味な静寂を砕いたのは、意外な人物だった。
なにか聞き取れない言葉で、村長の右斜め後ろに突っ立っていた少年、シャルロが口を開く。
(なんだ……?)
マラーマなのはいいとして。
わからないということは、暴言などではないらしい。
視線をそれとなく塾長に向けると、彼女がゆっくりと通訳をしてくれた。
「『先生の言っていることは、嘘じゃないよ。父さん』」
少年は一歩前に出てから、父親へと、そしてその場に居合わせた他の村人へと語りだす。
「『フランキはあの日、火事が起きた時に、酒場で飲んでいたんだ。それはネーナが良く知っているし、他にも知っている人はたくさんいる。……ここにもね。みんな、父さんににらまれるのが怖いだけだ。僕にもわかる』」
少年が言い放つや否や、何名かがやるせなさそうにそっぽを向いた。
村長は苛立たしそうに、自分の息子へと叫んだ。余談だが、その叫びは私も独力で聞き取れている。
「お前は黙っとれ! なんも知らん、軟弱モンが!!」
「『僕は、見たんだよ!!』」
少年の叫び返した内容が翻訳されるのには、いささか時間がかかった。
「『僕は火事の日、学舎に忘れ物をして。夜に向かってた最中だった。知ってるよね、父さんは。そこで、飲んだくれたフランキと合流したんだ』」
通訳が再開された時には、彼はすでに全体をぐるりと見まわしているところだった。
「『もう学舎はとっくに燃えてた。そんなあの火事の現場に、黒い人影があるのを。僕とフランキは見ているんだ。明らかに見たこともない顔をした、村の外から来た人間の姿だった』」
寝耳に水だ。
まさかこんな場所で、援護を受けることができるだなんて。
他の全員、村長も、同じくゼリア塾長も驚いてしまっている。
「『ごめん、フランキ。君はいつもかばってくれたのに、今まで勇気が出せなくて』」
シャルロはフランキに向けて、半泣きながらも、しっかりと断言した。
「『だけど、今は戦う。一人じゃないから。もう、他の誰かを犠牲にしなくていいから。臆病者で、こんなに長くなったけど。ごめん』」
フランキはなにも答えなかったが、相手の心は伝わっていたようだ。
それは内気な少年が見せた、精いっぱいの勇気だった。
彼が、あるいはその友人もそろって真実を告げなかったのは、不器用で正反対なやさしさからだったというのか。
四か月たってからのこんな証言など、客観的になるのであればだれも信じまい。
だが、現状の村長にとっては、これ以上ないほどの一撃となってくれた。
「『ほ、本当なのか、そんな……。じゃあ、これは……』」
「村長。私は、提示できるだけの証拠を用いました。そして、シャルロくんも」
私は追撃をする。
ここは、逃がすべき時ではない。
「む、むぐ……。わ、ワシは、頭は下ぎゃーせんぞ! そいつがロクデナシなんは、事実だ!!」
「謝っていただくような必要はありません。村長の判断自体は、仕方のないことです。現在のこの状況はすべて、突如湧いてきたオー・ケスタという男のせいです」
真偽の判定は必要がない。
これは私が差し出せる、死すべき男、忌むべき罪の存在でしかないのだから。
「ただ、認めてほしいのです。彼は犯人ではなく、立派に村の一員だということを」
頭を下げる。
あとはもう、小細工などない。
要不要を考えることすら、シャルロの勇気への侮辱となる。
本当は。本音で言えば、フランキの行為の
体感では、とても長い時間が経過した。
かすかに村人たちが困惑する中、ついに村長は溜息を吐く。
「ああ、わかりゃーしたよ、ったく。なんでこっちが、悪いみたいになってるんだか」
愚痴垂れる様は変わらないが、彼はやがてこちらに言ってのける。
「ただし、息子と一緒の組にはせんでもらいたい。あと、あくまで学舎が直るまでですからな、とっととやってもらいたいもんだ!」
「……あ、ありがとうございます!!」
頭を上げた私が感謝すると、村長は毒気を抜かれたように後頭部を掻いた。
そこで、それまで黙っていたサラが話し出す。
「え、じゃあ、フランキは悪くないの? これからも村にいても?」
「ん、ああ、まあ。そう、なるな。オー・なんちゃらとかいうクズのせいだからな!」
村長がぶっきらぼうに返すも、少女はすでに舞い上がって親友と飛び上がっていた。
「やった、やったよ、フロル!!」
「うん、サラ、やった。フランキ、悪くない」
極々、簡単な語彙ばかり。
それでも、罵声以外の現地語も聞き取れたのが、私としてはうれしかった。はしゃぐ彼女たちを村長は一喝したが、ゼリア塾長がいさめるまで、二人は止まることはなかった。
私は手元の紙を握りしめ、背中側へと重心を傾ける。
(こんなものは、必要なかったな)
村長が権威主義者というのはわかっていた。
だから、こうした小細工集めに奔走することこそが、戦いの主軸。それだけがすべてだと、私は考えていた。
悪友、いや、ただ一人「親友」と呼べそうな彼も、その意思を過剰に汲んでくれた。
無駄ではなかっただろう。私がしていることを理解し、シャルロは立派に戦ってくれた。きっかけになった、という程度の自負はある。
しかし村長に勝利したのは、外部からの圧力などではなく、彼の内側が蓄えてきた知恵だ。状況を理解して与するだけの、機転のことだ。
そう、おそらく彼も、「嘘は言っていない」。
その意味で、私すらも彼は打ち負かしてしまった。戦法を逆手に取られたのだから。
(コモロ、どうやら。
(ちょいちょいちょい! そもそも勝負してないし、勝手に巻き込むなよ、レッキー! ……あーあ、せっかく力入れてやったのにさ。わりと苦労したんだよ、あれ! なのに、なんだよ、この茶番!)
想像上とはいえ、悪友コモロの子供みたいなふくれ面は、個人的に痛快だった。十中八九、顛末を知った彼はこんなことを言うだろうから。
(バカめ、茶番でいいんだよ。それで救われる奴がいるならな)
心地よい解放感と共に、私は息を吐く。
一つの戦いを、ともあれ、乗り越えることができた。
だが、どこかで予感もしていた。
偏見によって覆われていた類推の裏に、どんな含蓄が隠れていたのか。
シャルロの証言は、冥府への扉を開けてしまったかもしれないことも。
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