第24話 対峙する時

 日が昇り始めた頃に村に戻ると、事態は急変していた。


「出ていけ!!」


 この現地語での叫びを聞き取れたのも、おそらくはマーリャのおかげだ。

 そして状況と合わせてみれば、なにが起きているのか察するのは容易だった。


 村の中心近くで、村長とフランキが向き合っている。

 いや、村長から一方的に怒鳴られている、というのが正しいか。

 フランキはわずらわしさと、困惑を混ぜたような表情で、相手の罵声をひたすらに浴び続けている。


 村長の怒鳴りをすべて聞き取れずとも、「お前みたい」「迷惑」「クズ」といった部分だけで十分わかる。


 どうにかこうならないよう避けてきたことが、ついに爆発してしまったのだ。


(来てしまった。けど、まずいな、今は手元になにもない)


 迂闊なことに、例の「武器」は宿屋の自室に放置したままだ。

 戻って取りに行きたいが……。


 フランキの方も徐々に興奮しているようだ。

 おそらくだが、喧嘩っ早いと言われていた彼も、村内のこうした場面で実際に手を出したことがないのだろう。そうでなければ、どう見ても力で劣る村長が、たった一人で攻勢に出れるのはおかしい。


(無意識にフランキの傾向を察しながら、というのが本当に……)


 周囲の家から顔をのぞかせる人々もいるが、どちらに加勢することもなく黙っている。


 そして、ここでフランキが手を出せば、今度こそ終わりだ。村長に暴力をふるったとなれば、追い出す口実には十分すぎる。


「どうしたんですか」


 私は駆け寄って、両者の間に入る。

 特に、フランキの前に入ると、彼は動かそうとしていた手を止めたように見えた。


「あーた、ですかい」


 一方の村長は、忌々しさを隠しきれない、どこか軽蔑したような顔を向けてくる。

 彼は咳ばらいをしてから、モロニ語で私に話しかけ始めた。


「この悪たれを宿屋に上げて、子供たちと授業受けさせてた。ってーのは本当ですかね?」


 一か月もやってきたのだ、いまさら本当も何もあるまい。

 宿屋の主人が知らなかった、ということもないはずだ。様子見をして、追い出す頃合いを図っていたのは明白だった。


「ええ。それがなにか」

「……なんかぁ? あーたね、知らないからそんなバカができるんですよ。こいつぁね、人と見ればすぐ殴って掛かるような、ろくでなしなんですよ、ええ」

「彼があなたを殴ったようには見えませんが、経験があるのですか」


 まずい、と思った時には口から反論が出てしまう。

 どうにかこの場を抑えなければ、戦いの場にすら至れないというのに。


 わかってはいたが、どうしても挑発気味になってしまった。帝都での件が、余計にそうさせるのかもしれない。


「うちの息子の……か、ん、なんだったか、『私的な教師』が殴られてるんですよ、こいつにね!」


 村長は「家庭教師」が思い浮かばなかったらしい。

 マラーマで私塾と言えず、「私的なガッコウ」だの言っていた一か月前の私を思い出す。が、もちろん笑ったり共感している場合ではない。


「彼はシャルロくんに暴力をふるっていたそうですね。暴言を吐いて、委縮もさせていたとか。教育方針がずいぶんと荒かった気がしますが」

「……そりゃ、あーた。親とちゃあ、いい気はしゃーせんでしたがね。しかし、息子のぶったるんだ根性を直すためにゃ、そのぐらいもあえて受け入れる覚悟っちゅーもんがいるんですよ、ええ。よそ様にゃ、わかりゃーせんでしょうが」


 村長はとりわけ、最後の一言を強調して口にする。

 他方私は、むしろ予感が当たっていたことに対して、暗澹たる気分になってもいた。


(親の公認、だったわけか)


 こうなると、話は平行線となる。鞭かアメか、というのは「学院」の教育部門などでも永遠の難題なのだ。


 実はこの点に限って言えば、私には村長の反対側に立ち続ける自信はない。


(一理は、あるんだ。罰則や威圧には、人を変える力がある)


 罰を避けたがる感情、すなわち「負の動機付け」には、一定の効果があるとされている。

 ああはなりたくない、つらい思いはしたくない。こうした心理は、人々に困難な壁を越える力を与える。

 そして、褒賞ばかりで一切自省しなかった子供がどんなものか。遺憾ながら、私は目の当たりにしてきた。いわゆる「お客様」だ。


 だから半分は同意する。

 恨まれても、と覚悟を決めて行使される罰則は、きっとだれかを救うのだと。


 しかしもう半分では、絶対に受け入れられない自分もいる。それはあくまで理想が実行できないから行われる「妥協」であって。

 「妥協こそが真理」だと吹聴するのは、褒賞だけが正しいと謳うのと同じ程度には害悪だと。


「今も、こっちを見るなりどっかへ逃げてった臆病モンなんでしてね、ええ。息子ながら恥ずかしい限りですがね」

「……シャルロくんのことを、信じてはあげられなかったのでしょうか」


 私が尋ねると、村長は険しい顔つきになる。


「信じる? なんの話で?」

「彼の内面には、豊かな可能性があります。モロニ語の能力も、決して罰則だけで育ってきたわけではないしょう」

「内側? 内側なんざ、どこで評価してもらえってーんですかね? ええ?」


 これ以上は互いに無駄だった。

 小さな村とはいえ、村長には過度な責任が付きまとってきただろう。そうした人物の持つ価値観は、それこそ内面から揺らがせる方法などみじんもない。


「……もう、いい。十分だ」


 するとフランキが、モロニ語で私の背後から声をかけてくる。

 彼はそのまま、踵を返してどこかへ去ってしまおうとしていた。


 此度もまた、その肩を手でつかむ。

 そこからの展開にも既視感がある。上がる肩と、振り向き様に振り下ろされようとする大きな拳。


 しかし、この前とは明確な違いがあった。

 

(当てる気だ、今度は……!)


 動作に込められた意思が、まったく違う。


 これで、推測が確信に変わった。彼はもとより、自分で泥をかぶって出ていくつもりだったわけだ。

 この前は予想外のことに混乱してくれただけで、今回ははっきりと、衆人環視の前で私を殴りつけようとしている。


(さ、避けなければ……!)


 拳を振るっただけでも問題だとしても、せめて直撃を避ければ言い訳が立つかもしれない。

 しかし見えていても、私にそんな反射神経はない。


 万事休す、となった刹那。


「やめて! フランキ!」


 マラーマで大声が飛んでくる。

 サラの声ではなかった。


 ちょうどフランキが拳を持ち上げたところで止まり、全員の視線がそちらへと集中する。


 村長から少し離れた場所で、金髪の少年が、肩で息をしていた。


 シャルロだ。荒い呼吸のまま、今度は私にモロニ語で叫ぶ。


「先生っ、あの、これ……!」


 こちらへと差し出された彼の手には、紙の束が握られていた。

 私はフランキから離れ、それらを手にする。一応青年の動向は視界に入れていたが、去ろうとする様子はない。


「これは、どうして君が」

「シャルロくんが慌てて呼びに来てくれましてね」


 シャルロの後方から、いつの間にかゼリア塾長が現れる。

 少年が持ってきてくれたのは、例の「武器」だった。これ以上ないほどの機会に、届けられてくれた。


「ありがとう、シャルロくん」


 礼を述べて、再び彼の父親に向き直る。


「村長。フランキくんが火事の犯人ではない、としたら。彼を追い出さずにいてくださいますか?」

「はあ? あーた、なに言ってんですか。ほいじゃあ、他にだれがやったと?」


 そう来る

のはわかっていた。

 他の人物になるぐらいなら、判断しやすい、排除しやすい対象を掲げるであろうことも。


「今からそれを、証明してみせます。こちらには、彼が犯人ではないという証拠がある」


 私は紙を村長の前で指さし、堂々と宣言する。


「なにしろ、犯人はすでに捕まっているのだから」

「……はあ?」

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