中間考査
第23話 焼け跡にて
アザ村の家々や畑を超え、西へと続く道を辿る。
まだ日が出ていない早朝ともなると、薄暗いのみならず気温も低い。上着を持ってきてもよかったが、他の人間に見られない内に出発したかった。
村からいくらか離れたところで、小さく土手になった部分が出てくる。すでに目的地の一部が見えていた。
私は止まることなく土手の上へ登っていく。
そこは拓けた原野といったところで、一部の草丈は膝に届こうとしていた。
天然の野原に、場違いな黒い異物が散らばっている。所々、燃えきらなかった木目が露出していることから、間違いなく学舎の焼け跡だ。
(にしても、徹底的に燃やされてるな)
わずかな色の違いのみで、ほとんどすべてが黒炭と化している。
壁はおろか、どれが建物を支えていた柱かすら、もはや判然としない。中に残っている物品に、希望はなさそうだ。
あくまでこの建物のみとなると、一切燃え広がらなかったことがわかる。わずかな地面の焦げ跡も、草で覆われ始めている。
おそらく火災時まで、周囲は定期的に除草されていた。
(たった一軒を燃やすのに、ここまでとなると。よほど強い動機でもなければ)
強烈な動機と、塾長が言っていた「勉強嫌い」。
これらを符合させられるのは、知っている中では一人しかいない。
「≪いまさら、現場なんて確認するんですか。もう四か月は前ですよ≫」
この場所で声がかかるとは思っていなかったが、なぜか私は平然とその人物と会話できてしまう。
「≪事件から四か月になりますか。いえ、本が何か残っていないかと。特にマラーマの辞書など≫」
振り返りながら相手と同じ言語で応じると、マーリャはいくらか私から距離を取って止まった。
いつもの三つ編みではなく、結うことすらしていない。腰に届きそうな長い髪をよく見ると、わずかな癖がついている。
「≪火事の犯人。探す気、あるんですか?≫」
いささか刺々しい問い方だが、こちらが返せる内容は決まっている。
「≪いいえ、特には≫」
ゼリア塾長の意見に、私は基本的に賛成していた。
引っ掻き回せば回しただけ、内部で不和が広がっていくに決まっている。そんな状況にならないようにするには、「立場の弱い者」を排除するしかない。
だから、犯人をこちらから探すつもりは毛頭ない。
仮に、結果として知ることになるとしても。
「≪……そうですか≫」
マーリャはこちらに一歩近づき、私ではなく焼け跡を見つめ始める。
「≪でも、それでどうにかできるんですか。だれも差し出さないで、解決なんて≫」
「≪おや、知っているんですか? 私がなにをするのか≫」
「≪知りません。なにがしたいかも、まったく≫」
「≪……一応、策は考えてありますので≫」
もっとも、できればもっと「練習」をしておきたいのだが。
相手のことは調べてあるが、こちらの動きに過不足がないようにしておきたい。自然に、一切の躊躇を見せないように。
「≪私、あなたの夢を視ません≫」
唐突に、マーリャがそんなことを口にする。
フリング母語話者の独自表現……だろうか。習熟度は高い方ではあっても、私にはフリングを母語ほどに操ることはできない。
言語的な知識を辿ってもまったく理解ができず、尋ねずにはいられなかった。
「≪ん? どういう意味ですか?≫」
「≪意味なんか知らなくていいんです。一か月経っても、というのは異常なんですから≫」
ぶっきらぼうに言い放ってから、彼女は続ける。
「≪教材も建物ごと燃え尽きて、こんな場所にも、意味なんか一切なくなってしまいました。こんなところで、意味がどうとか、未来がどうとか、どうだっていいんです。ただひたすら、全部が無意味なだけ≫」
微かな風が吹き、草の香りが鼻先をかすめた。
風で揺れた髪を、マーリャは耳の後ろへ梳いていく。
「≪無意味。……でも、あなたの講義は役に立ちましたよ≫」
私が告げると、冗談でしょう、とでも言いたげな顔でこちらに向き直ってくる。
「≪本当です。あなたの表現集のおかげで、マラーマの聞き取りが少しマシになりました。ありがとうございます、
彼女はいよいよ不快そうな顔になり、ついに吐き捨てた。
「≪どう考えても講義を妨害して、挙句、嫌がらせみたいな熟語を教えている私に感謝ですか? おかしいとは思わないんですか? 今だって、殴られた相手を守ろうとしていますし!≫」
そこだけ抜き出すと、たしかによほどまずい人間の気がしてくる。
もっとも、殴られた云々に関してはこちらの意図なので、フランキには一切責任はないはずだが。
「≪単語や状況は、文脈如何で意味合いが変わるということですね。それはきっと、人間も同じです。それに、傷はもう癒えました≫」
綺麗になった額を示すと、マーリャは冷たく返してきた。
「≪……あなたには、心がないんですか≫」
「≪こ、心がない……? ことは、さすがにないかと?≫」
とりあえず、今の返しで傷ついてしまう軟弱さはある。しかし自分に心があるかどうか、他者に口で説明するのは困難極まりない。
「≪だから、わからないんですよ。……苛立つんです。なぜか、無性に≫」
マーリャはこちらをにらみ、そのうつろな瞳を輝かせる。
相変わらず、不思議な眼光だった。悪友の不気味な視線とは異なる、あるいは真逆ななにかがそこにはある。
「≪あなたは見えるのに、こっちが視えないのは不公平なんですよ≫」
「≪と、言われても≫」
もしや、例の景色のことだろうか。
たしかに不思議なことではあったものの、見えた原理すらわからないのだから、まして見せ方など。
「≪固めた嘘なんかで、だれか救われることなんか、絶対にありません。そんなの、私は認めない≫」
言い放ったマーリャが、そのまま去って行ってしまう。まさかそれだけ言いに来たのだろうか。
「≪マーリャ
少女の背中にそう叫んでみたが、風に揺れる髪以外、応じてくれるものはなかった。
そしてこの日。
私は講義に行く前に、対峙するべき出来事と鉢合わせることになる。現実は、十分な練習時間など与えてくれないということだ。
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