第22話 少年の発見
夜組の講義も、同じく一か月を迎えようとしていた。
もちろん生徒の都合に合わせる前提なので、毎日教えてきたわけではない。それでも回数をこなしてくると、様子も微妙に変わってくる。
「先生、その……」
シャルロも最近では、物おじせずに質問してくるようになってきていた。
まだ自信のなさそうな表情は変わらないものの、顔見知りのネーナや私しかいない空間に慣れたのか。
「はい。どうしましたか、シャルロくん」
「もしかして、モロニ語には女性形がないんですか?」
「ん、それは男性名詞や女性名詞のことですか?」
男性名詞、女性名詞というのは、名詞の変化に関する類別だ。
勘違いされやすいが、「名詞が実際に男性かどうか」には一切関係がない。たとえばフリングでは「貴婦人」が男性名詞だし、逆に「益荒男」(廃用語に近いが)は女性名詞だ。
このようにマラーマやフリングには存在する概念だが、モロニ語には一切存在しない。代名詞はさておき、固有名詞は形を変えることがないためだ。
「いえ、そうじゃなくて。その、雌竜だとか。雄竜だとかの」
「ああ、なるほど」
つまりシャルロが尋ねているのは、実際の性別によって変わる単語のことだった。
モロニ語の古典ではたしかに、一部の動物を性別ごとに分けていた。人間に関しても同じで、例えば同じ地位や職業でも語尾が異なっているなど。
しかし、それらは少数になりつつある。
「そうですね、古典では出てくるのですが、現在ではあまり使いませんね」
「ふーん、なんでなん?」
ネーナも話に乗ってくるが、これに関して説明するのは大変厳しい。
「うーん。これは詳しいことはわかってないのですが、必要が薄れたから、と言われてますね」
「必要?」
「はい。効率化と分業化を進めていった結果、雌竜と雄竜の区別をする人間が、限られていった。帝都に住む大半の人間は、そんな知識を知らなくても生きていけるからでしょうか」
この説明は、一般的にはよく通用するのだ。
竜種の飼育や調教を行う人々などにとっては、繁殖の問題と直結するため、現在でも使われている。逆に、そんな事情がない人々には、竜は竜でしかない。
気になる点と言えば、竜種のみならず、他の獣や人間に関する単語も同時に姿を消していることだろうか。どうしても、他の説明を援用しなくてはならない。
「もう一つは、財産権が女性にも認められたからでしょう」
「ってことは帝都だと、女も財産受け継げるん?」
「はい、五十年前に『学院』を吸収してから、交換条件で入ってきた制度ですね」
私の解説に、ネーナは一度目をしばたたかせた。
「んん? 『学院』って、帝都の学校じゃないん?」
「今ではそうですよ。ただ、五十年前は独立した一つの都市国家だったのです」
「へえ……!」
ネーナが興味深そうに声を漏らす。
帝国は元より力のある国家ではあったものの、黎明期には隣国エアルシーンとの戦争で敗北を繰り返していたものだ。最終的には、モロンという言葉の元になった都市すらも奪われている。
しかしちょうど元の都市を失った五十年前、それまで中立を貫いていた「学院」を接収したことで、はるかに強大な国家へと変貌している。(兵士向けの用語によれば「戦略的遷都」だとか)
そこからはまさしく帝国の絶頂期とさえ呼べるだろう。エアルシーンには逆に威圧を繰り返し、不平等な条約もいくつか飲ませていた。
二十年前や十年前など、なんどか陰りを見せつつも、根幹から傾くようなことはないまま、今日まで続いている。
「と、ごめんごめん。話がそれましたね。シャルロくん、これで説明になりましたか?」
「え、ああ、はい。わかりました……」
それ以上重ねてこなかったので、おそらく質問内容には満足したと思われるが。
シャルロは浮かない顔で、教本として扱っているパネッテの作品を見つめている。
「どうかしましたか?」
「い、いえ、なんでもないです」
彼はそこで口を閉ざした。こちらからはあまり追求すべきではなさそうだ。
「さて、そろそろこの本も終わりが近づいてきましたね」
昼組と違って夜組は黙読、しかも文法解説を繰り返すため、一つの教材により時間がかかる。
だがそれでも、終わりは見えてくるものなのだ。
そして、一つの教材の終わりは必ずしも喜ばしくはない。次に使うべき本が思いつかない状態では、私にとっては厳しいものがあった。
(塾長が頼んでから三か月は経つのに、まだ写しがもらえないか)
辺境であれば、さして珍しいことではあるまい。
わかっているのだが、塾長が私塾を招致した経緯から考えると、なにかチグハグな印象を受ける。写本の方が、よほど簡単なのではないだろうか。
(彼女が昼間やけにピリピリしていたのは、このせいなのか?)
写本が届かないのは、私としても途方に暮れてしまう。
今更ながら、見通しが甘かった。わかっていれば、こちらへ来る前にいくつか個人で手に入れておいたものを。
「けど先生ぇ、あて、まだわからんさね。なんで、エアル
今度はネーナからの質問が来る。が、前に注意した歯間音を気にしすぎた結果か、別の発音を間違えてしまっていた。
面と向かって注意せず、直しながら応じる。
「そうですね、パネッテは直接描写をしていないので、わかりにくいかもしれません。登場人物であるエアル
言われたとおりに、二人の生徒はそれらの個所を比べ始める。
「そういえば、なんか性格おかしいんさね。最初はもっと、優しそう? なんよ。それが、もう一個は。なんか、嫌な奴?」
「いい指摘ですね」
ネーナが口にした通り、パネッテは最初に出てくるエアルシーン王と、次に出てくる王を、意図的に別人として描いている。
最初の王は厳かながらも、どこか子供のことを案じている風だ。それが第百十九段では、権力をほしいままにし、民などを虐げる人物として登場する。
「では、第九段に出てくる大臣を見てくださいね」
そこで、あ、と声を漏らしたのはシャルロだった。
「これ、次に出てくる王様って、大臣……?」
「え、嘘ぉ?」
気づいたネーナが、比べ始める。
「ほんとさね……。よく見ると大臣と、同じこと話してるんよ。そう考えると、たしかに。え、でもぉ、元の王様は……」
私が黙っていると、生徒たちはどちらも察してくれたようだ。
「そうです。十年前、モロン帝国がバクロニア、つまりエアルシーンの主要都市の一つを攻め落とした時。ちょうど王宮内部で革命が起きてしまいました。そこにいた第三王子を助けようとした前王は、背後から大臣に討たれた形になります」
「……これ、本当の話なん?」
ネーナも疑っている。
都合がよすぎるからだろう。子供に気を取られ合間に、味方が背中を狙ってくるなど。
「すべてがパネッテの本通りではないでしょう。が、二つの事件はほとんど同時に起きています。なので、前王朝の子である第三王子は、本国へは帰れなくなってしまったのです」
前王の遺児など、新王朝からすれば邪魔なだけ。
そもそも王子の生存自体が眉唾物ではあるが、生きていることが伝われば殺されていた可能性は十分だ。
なにしろこの本が帝都で売れるほどに、「燃える丘」という形式にそぐうのだから。広く受け継がれた、古代の恐怖を思い起こすほどに。
反抗勢力にとって、民を扇動するのにうってつけの旗頭になる。
ちなみに、この先は明らかに創作だ。
復讐を胸に秘めた王子は、帝都で竜御者の世話人として働き始める。そこから事故や手違いなどの経緯を経て、少しずつ、自分の都市を滅ぼさせた帝都の主要人物を殺害していく。
極めて残忍に、容赦なく。(といって、細かい描写はないのだが)
「この本で起きている復讐は、言いたくはありませんが、絵空事です。しかし、単なる絵空事で終わらないのは、パネッテがある種の真理を突いていたからでしょう。そう、報復は協力者なくして成功しえないのです」
あくまで私個人の評価となるものの、ここまで読んだ二人には伝えておきたい主題でもある。
この本の主人公である王子の場合、故国で自分に仕えていた従者や、身柄を預かってくれた商人などがそれに相応する。
復讐は個人的なものであったとしても、個人だけで完結させるのは困難極まりないのだ。
「もう少し進めたかったのですが、時間が遅くなってしまいましたね」
今日は解散して、彼らを家路につかせようとする。
私自身も、早めに睡眠を取っておかなくてはならなかった。明日の朝、向かっておきたい場所があるからだ。
去り際にシャルロはなにかを口にしようとしたが、私はあえて見なかったフリをする。
中間考査の後には、期末考査があるものなのだ。だとしても、まずは眼前の問題に取り組まなければならない。
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