第21話 劇物お届け


「この私塾に宛てた荷物だそうです」


 生徒たちを帰らせた後に、ゼリア塾長はそう教えてくれた。

 木箱は玄関口に放置されたまま、一向に開けたり、持ち上げたりするような様子がない。


「あ、図書館からの写しかもしれませんね。よかった、これで基礎練習もできますね」


 思いついた私が木箱に触れようとすると、塾長が軽々と持ち上げてしまう。私よりも柔い腕にもかかわらず、鍋でも移動させるかのごとく。


 彼女はそのまま器用に肘を使ってドアを開け、なぜか外に一歩出てから、荷物を軽く振ってみせる。


「うーん、にしては少ないですね。それになんというか、もっとばらけた感じがしますよ」

(なんでわざわざ外で?)


 奇行というほどではないが、文化的な行為なのだろうか。信仰に基づいているのかもしれない。


「おや?」


 私の背を向けて箱を確認していた彼女だったが、底面にあった文字を目にして、こちらを振り返ってくる。


「宛名、アレクサ先生ですね」

「……は!?」


 予想外のことに、つい声を張り上げてしまった。


「え、もう!? もう来たんですか、往復二か月弱の計算だったのですが?」

「ああ、こりゃ、一か月前の『お返事』というわけですかね?」


 砕けた口調となった塾長が、安堵したような笑みを見せた。


「ええ、まあ、手紙やこのぐらいの荷物には、今じゃあ高速竜車を使いますからねえ。長いのは村と北東の街との間ぐらいで。もっとも、御者以外は乗れたもんじゃありませんがね。ええ」


 彼女の態度が和らいだ気がするが、それはそれとして。


 本当に揃っているか、一刻も早く、中身を改めなくてはならない。


 私は木箱を受け取り、食卓上に置かせてもらう。

 しかし厳重に密閉されていたため、壊さずに中身は取り出せそうもない。

 仕方がないので槌を借りて、箱を破壊……しようとすると、今度も槌を持ってきたゼリア塾長が自分でやろうとしたので、さすがに止めてしまう。


「塾長。私は男としては細身ではありますが、この程度は問題ありませんよ」

「ん? そういう話ではないんですがね。こちらも、ちょっと神経質すぎましたか」


 塾長は苦笑いしながら身を引いてくれる。こちらを立ててくれたのかもしれない。


 私が難なく(というには時間を掛けつつ)箱のふたを破壊すると、たしかに中には想定していたものが入っていた。


「それが、秘策ですか?」

「ええ、少し中身を改めないといけませんが」


 箱の中にあったのは、古紙で丁寧に包まれた塊だった。内側にぴったりと収まっていたそれは全部で四つ、縦に重ねられていたらしい。

 取り出した包みの一つを開くと、それぞれに数百枚ほどの紙が整然とまとまっている。


(多いな……むしろ手間だぞ、これ。まあ、短時間で集められたのは、さすがだと思うが)


 念のため、塾長に見せないようにして、一番上の一枚を引き抜いてみせる。

 ざっと確認するつもりだったが、いきなり思考が止まってしまった。知らず、紙の端を持つ手を震わせてしまう。


「……だ、だ、だ、だれがここまでしろって言ったんだ、あのバカ……!?」


 あまりに想定外すぎた。

 どこにいるかわからずとも、どんな時でも役に立つことは知っている。だからこそ頼みたくなかったのだが。

 それにしても、こんなものを送られるとは。


 今の私は、海のように青ざめていたことだろう。


「くそっ、他に変なの送ってないだろうな、あいつ!!」


 一枚目の紙を食卓に伏せつつ、他を入念に確認しようとする。


 と、ここでようやく、すぐ近くにゼリア塾長がいるのを思い出した。悪友相手の口調に戻っていることを悟り、思わず口に手を当ててしまう。


「あ……」

「そういう口調にもなれるんですね、アレクサ先生」

「お、お恥ずかしい限りです」


 口元を隠しながら、書類束を脇に置く。

 顔面がとかく熱い。友人や一部の人物以外に、こんな乱暴な言葉遣いをするべきではなかったというのに。


「むしろ安心しました。実は人形なんじゃないかと思っていたほどでしたので」


 ゼリア塾長の私への評価には、ひそかに傷つかなくもない。

 たしかに教師としての態度を、ある程度自分で制御してはいるが、それでも性根がすべて変わっているわけではない。

 単に生まれた時から、アレクサという教師だっただけだ。「生まれていなかった頃」のことなど、関係はない。


 生徒たちには、できる限り、未来の可能性を拓いてもらいたい。そのためにできることをするのが、私の使命だ。たとえ、一つの言語を教える以上ができないとしても。


(嘘つくなよ、レッキー)


 悪友の一言が、奴の端正な美貌と共に想起される。

 あの時と同じ、悪意を微塵も感じさせない笑顔と、私の奥底に平然と足を踏み入れてくる遠慮のなさも。


(レッキーの心根は、僕以外には絶対にわからないよ)





「使えそうなのは、これと……こっちは微妙だな」


 昼食後。

 塾長に許可をもらって、書類の仕分けを開始する。

 できれば自室で行いたかったが、許してはもらえなかった。曰く、「一応私塾宛てなのだから隠し立てする必要はあるまい」とのことだ。


(たしかにまあ、宛先がここなのに、勝手に変な文章やり取りされていたら困るだろうし。こっちも、基本的には見られて困らない。……あのバカが気を利かせすぎた、危険すぎる一枚以外)


 ひそかに「恐るべき一枚目」を「使えない紙」の最下に置きつつ、書類を仕分けしていく。

 よく見ると、各束には内容物を示す小さなボロ紙が挟んであり、私の欲するものがどこにあるのかが一目瞭然となっていた。


(有能ではあるんだよな、本当に)


 だからこそ、できれば頼りたくない。

 奴に依存し続ければ、頭蓋の奥まで溶かされてしまう。善意で他者の精神を狂わせる猛毒のような男だ。


「なるほど、まあ、こんなところで十分かな」


 本来必要としていた書類は抜き出せた。

 それらを机の上で揃え、内容を確認していく。


「……念のためそちらだけ 、検閲しても?」


 急に背後から声がかかり、私はびくりと背筋を震わせた。


 見れば、ゼリア塾長がひっそりとたたずんでいる。

 まったく気配がしなかった。足音すら、途中からは耳にした記憶がない。


「え、ええ。まあ、見られて困るものではないので」


 心臓が大きく鳴っていた私は、ひきつった顔をしていたのかもしれない。


「すみませんね、鬱陶しいでしょう。ちょっと最近、自分でもやけに過敏でして、ええ」


 塾長はそう告げつつ、私が差し出した十数枚を吟味し始める。

 しばらくすると、彼女は目蓋をなんどか開閉し、小さく唸った。


「ううむ。どれも方向性はまったく違いますが、特に変哲のない証明書や調査書などですね。紙の質も十分ですから、印字された発行元も嘘ではないでしょう。一部の記述が妙なのは気になるものの、虚偽ではなさそうですし」


 再び心臓が跳ね上がりそうになる。一読しただけであの部分に言及されるとは、やはり只者ではない。


 ああ、悪事がバレかけている子供というのは、そういえばこんな心境だったかもしれない。幼い頃のことは、あまり覚えていないものの。


「しかし、あーた。これのどこが、秘策なので……?」


 彼女が首をかしげてくれたのなら、ほとんど成功したも同然だ。

 塾長に想像できないのであれば、なにが起きるのか察せられる人間はいないと見ていい。


 だが、安堵したためだろうか。


「で、こちらは」


 油断していた私の脇を抜けて、塾長は器用に「あの紙」を抜き取ってしまう。隠す動作は不自然ではなかったはずだが、最初から狙われていたようだ。

 

「あ、それは……!」


 唯一、彼女に内容を見られてはまずいものだ。

 そして止めようとした時には、すでに遅かった。


「……は!? な、なんですかこれ!?」


 素っ頓狂な声を出して、「劇毒」を目にした赤髪の女性は目を白黒させる。

 私がわざと殴られた時よりも、感情の振れ幅が大きかった。


 もう観念するしかなさそうだ。

 これに関しては私のせいでないのに、なぜ罪の意識など抱かなければならないのか。まったくおかしな話なのだが。


「申し訳ありません。私はもうちょっと、こう、控えめにと願ったのですが……。そして、これだけは偽物であって欲しいのですが」

「……他よりもずっとなめらかな、高品質の紙。そして蝋印の形からして、まず本物でしょう。筆跡も、私が私塾開設をするさいに承った特認状、そこにあったサインと酷似しています。もし仮にこんな偽物を作れるのなら、それはそれで危険な存在です」


 冷静な分析をしながらも、塾長は疑わしそうになんども紙を裏返す。


「やはり本物、ですか」

「どうやってまあ、こんな恐ろしいものを」

「まあその、あいつならできそうだなあ、と」


 私の返答に、ゼリア塾長は眉を寄せる。


「友人は選んだ方がいいですよ」

「いやその、なんどか『選んだ』のですがね。……腐れ縁という奴は、なかなか切れないもので」


 だが余分なものはさておき、目当てのものは手に入った。

 どう使うべきかも、頭の中で描けている。


 あとはこれらを、使うべきか。

 積極的に攻め込むのはやめておきたい。時期を考えなくてはならない。しかし幸か不幸か、そう遠くないうちに機会は訪れるだろう。


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