補講1

第18話 途絶する根

 三日目の夜。

 この日行われる「講義」に関しては、村長宅を借りるわけにもいかず、かといって宿屋を使うわけにもいかず。


 最終的に使わせてもらえることになったのは、ネーナのいる酒場だった。

 端の方にある小さなテーブル席に腰掛け、近づいてきた看板娘に礼を述べる。


「お忙しい中、ありがとうございます、ネーナさん。お父様にも、よろしくお伝えください」

「ああ、いいんよ、別に。あても、とっとも、そんなん目くじら立てんよ。……今日は閑古鳥も大声で鳴いてるさね」


 彼女と共に店内を見渡すと、席の半分程度は埋まっていた。アザ村の住民もいるようだが、大半は旅人か、周囲の村々からの客らしい。

 帝国からの街道は最低限のものしかなく、西側にはいくつかの小山がある。そんな村の立地を考えれば、本来はこれでも十二分に盛況と思われる。


 白状すれば、あまり騒がしくないのもありがたいことだった。


「今、塾長がマーリャさんを連れてきているので」

「うん、わかった。……けどぉ、先生ぇ? 今度はぁ、お金払って飲みに来てほしいんよ? ちょっとはまけるさねー」


 媚びるように目配せをするネーナには申し訳ないが、私には酒を飲めない事情がある。


「お酒は、ちょっと……」

「え、弱いん? それとも、飲んじゃダメな家?」


 ネーナの問いには、この村の情勢が絡んでいた。

 なにしろ、マラーマ使用地域の多くは禁酒を原則に掲げている。

 その厳しさたるや、場所や状況次第では死罪もありえる……などという冗談が、東や中央の全域で通用するほどだ。(さすがに実情は、まだわからない)


 帝国領となる前、あるいは現在でも西方と関りがある以上、村内でも飲酒は繊細な問題らしい。


 ところが、ここにある種のねじれがあった。

 同じ言語を使うことは必ずしも同じ文化圏に属することを意味しない、ということだ。


 アザ村はちょうど、「文化の境」に属する位置にあるようだ。マラーマを用い、多くの文化を継承しつつも、禁酒の原則に拘束力はない。


 村長など一部の人々は酒を激しく嫌うが、一方で、家庭規模ながら地酒の醸造さえも行われている。

 この酒の泥水じみた濁り具合には食欲をそがれるものの、果実によって淡い香りづけがなされており、嗅いでいるだけで私も好奇心を煽られる。わざわざこれを飲むためだけに、近くの峠を越えてくる者も続出するのだとか。それでも大々的に喧伝できないのが、境界に住む者たちの苦悩なのだろう。


 そして、こうして小さな村の経済に大きく貢献しているからこそ、迂闊に動けばそれだけで執拗に毀損されかねない。村長の視点からは、必要悪にでも見えているはずだ。


「酒癖が、悪いんだそうです」


 まさに恥じ入るばかりの事情だが、真摯に問われたのであれば、こちらも答えざるを得ない。


 二日酔いの経験がない、という意味では「強い」のかもしれない。

 とはいえ、いつもその場での記憶がなくなり、次の朝には私へと白い目を向ける同席者……。

 そんな展開が続けば、嫌でも反省する。


「あー……」


 ネーナは私の顔を見つめながら、納得したような声を出す。

 私の人相からわかる、とでも言いたげだ。抗弁したい気持ちもあるが、酒場で働く彼女の経験則はあまりに手強い。


「にしても、マーリャが先生の先生かあ。うーん、想像もつかん」


 ネーナが話題を変えたので、そちらに私も追随する。ちょうど、彼女に関して尋ねておきたいこともあった。


「ところでマーリャさんは、いつからこの村に?」

「あれ、先生知ってたん? マーリャが他所から……って、そっか、異国の言葉でしゃべってたさね」


 納得した直後、顎に手を当てて、うら若い娘はぽつりとつぶやく。


「もう五年前さね、両親と一緒にこっちに来たんよ」

「それは、もしかして東から?」

「ん? いや、西にある港町らしいんよ? 元々そっちの出身で」


 村外から来たのは確定したが、やはり言語の道筋がたどりきれない。


 西にある港町であれば、まずマラーマ語圏であろうし、少なくともフリングが公的に話されているということはない。交流にしても、帝国を挟んだ向こう側となると、東西どちらから向かっても不必要に遠すぎる。


 私の推測では、マーリャの母語はマラーマではない。両親に挨拶をうながされた時の様子では、一部の表現に難があったように見受けられた。


 きっと、ゼリア塾長が後から教えたのだろう。


 だが、両親と子供の母語が異なるというのは、やはり考えられない。彼女の異様に流暢なフリングは、いったいどこから来たのだろうか。


(一応の予想は、ある)


 私はそれとなく、マーリャの背景を察し始めている。


 荒唐無稽な、魔の差した三流喜劇詩人でも絶対に書き出さない、そんな妄想はしている。根拠らしいものも、私個人の中にはある。


 そして妄想は得てして、より噴飯物の設定を要求する。

 つまり、ありえない仮定を想定するために、余計にありえない創作をしなければならない。


(ダメだな、どうしても)


 マーリャの周りでは可能性ばかりが先行して、蓋然性が圧倒的に欠如していた。だから結局、見過ごさなければならなくなる。


「ネーナさんから見て、彼女はどう映りますか?」

「んー? 先生ぇ、ああいう子好きなん?」

「……違いますよ?」


 目を細めたネーナに、即座に否定を返しておく。

 塾長にたしなめられたことが、頭に強く引っかかっていたのかもしれない。というか、私はこの村ではそう見られているのか? どうにも納得がいかない。


「ふーん。でも、そうさね。マーリャは、ちょっと前はああいう子じゃなかったんよ。なんか、こう、微妙に変わったさね」

「変わった? それは、前まで明るかった、という類の?」


 いまいち要領を得ないのは、口にしている本人も同じようだ。

 ネーナは腕を組み、しきりに唸りだす。


「ん、んん……なんなんかな。内気? なんは前から同じなんよ。来たときは一言もしゃべらんかったし。けどぉ、前はもっとこう、はきはき? いや、目がメラメラしてた? 内側で。出さんけど、強そう? だったんよ」


 内気、というのは私も首をかしげたくなるが、おそらくマーリャの「狂犬」ぶりは伝わっていないのだろう。

 「学院」時代に目にした研究の一つに、「多言語で話す人物は言語ごとに性格が変わることがある」といった主旨のものがあった。


 神がかりのような異常事態ほどではないにせよ、たしかに同期でも話す言葉次第で雰囲気が変わることはあった。


 つまりマーリャという少女の、あの鋭く尖った精神性はフリングで会話した時のみで、塾長や私ぐらいしか把握していないのか。


「全然話さんくなったけどぉ、モロニ語も上手いんよ。私塾で勉強していた中で、もんのすごい上達してたさね」

「私塾では、同じころから?」

「うん、そうなんよ。シャルロが新しく家庭教師が欲しいって時に、あてと一緒に。なんか、両親がどうしてもって」

「なるほど……」

「あ、あとは。マーリャ、前はもっと……」


 と。その時ちょうど、待っていた人物たちが、酒場の扉を新たに潜ってきた。


「いやあ、すみません。に時間がかかりましてね」


 軽口をたたきつつ、ゼリア塾長がこちらに寄ってくる。

 その後ろをトボトボと歩いていた三つ編みの少女に、ネーナは私の対面にある席を勧めた。


 マーリャは微かに戸惑いを見せながらも、ゆったりと腰を掛ける。


 酒場の娘は次いで新しい席を持ってこようとしたが、ゼリア塾長は断り、他のテーブルを指さした。


「あくまで付き添いですので、離れておきます。……それはそれとして、一杯いただきましょうか」

「塾長、授業前は飲まないんじゃないん?」


 ネーナが仕方なさそうに腰に手を当てると、塾長は自らの赤髪をなでながら、涼しげに返す。


「繰り返しますが、単なる付き添いですから」


 よほどの酒好きなのか。

 いくら仕事ではないとはいえ、名目上は私の「お目付け役」だったはずだが。


 ネーナは苦笑しながら、注文を受け付けたようだ。父親へと内容を叫び、同時にそちらの方へと小走りで向かっていく。


 塾長は私たちに軽く目配せをしてから、予告していた別の席に座る。


 そうして、私とマーリャだけが同じ卓に残された。

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