第17話 手段問わず
「面白い手法ですね。非常に基礎的な部分のみですが、効用はあると思います」
試験的な講義だったが、終了後に寄ってきた塾長は、悪くない反応をしてくれた。
「特に語彙力、初歩的な構文理解などにはうってつけではないかと」
「ありがとうございます」
しばらくはこれを中心にしていくつもりなので、まずは一安心か。しかしサラという無自覚な補助役がいてくれなければ、もっと手間取ったかもしれない。
「ところで塾長は、二人にこうした授業は行わなかったのですか? 小児向けの教育では、普遍的なものですが……」
「ええ、まあ。この二人を教え始めたのは、比較的最近のことなので。あとはちょいと、田舎が長いと情報がねえ」
今まさに帰ろうとしていた生徒たちを横目に、ゼリア塾長は苦笑する。
個人的に、塾長がどのように教えていたのかはつかんでおきたい。雰囲気から察するに、堅実な、悪く言えば古典的な書写の形式だったのだろうか。
試験対策を進めたい「夜組」には効果的だが、「昼組」の主目的が商用と考えると、必ずしも適切ではない。
(まさか苦手なのか、子供が?)
漠然と、そんな印象を受けた。
現在でこそ多くの対象が子供、未成年とされる私塾だが、元は志ある青年たちを集めていた施設だった。
彼女の過去が「私塾渡り」だとしても、一応、それなりの辻褄は合う。とはいえ、だとすると帝国への火種がくすぶっている頃を経ていることになり、さすがに外見に関して合理的な説明がつけられない。若作りで説明するには、いささか……。
ふと、背後に気配を感じた。
振り返ると、まだ帰っていなかったフランキが黙って佇んでいる。
「フランキ!」
友人と共にドアから出ようとしていた彼の妹が、兄の名を叫んだ。そういえば、マラーマには「お兄ちゃん」に相当する単語がないのだったか。
不安がるサラに向かって、フランキは煩わしそうに手を振った。何ごとかを母語でつぶやく。
サラはしばらくそこに留まっていたが、兄へとマラーマで返してから、フロルともども宿から出て行ってしまう。
「訳しましょうか?」
「いえ、大丈夫です。危害を加えるつもりはない、という意味でしょうから」
ゼリア塾長の提案を断り、私はサラやフランキを信じることにする。
とはいえ、自分よりも体格や力で勝る青年というのは、やはり突っ立っているだけで半端でない威圧感があるのだが。
彼の視線が、私の額に向けられていることに気が付く。
湿布の張られている部分だろう。腫れは引き始めている、ような気もするが、まだまだ痛みやうずきは去りそうにない。
「あ……」
フランキが、もぞもぞと口を開く。苛立たしそうに、顔をしかめながら。
「俺、止める、前」
「ん?」
よくわからない羅列に、私は首をかしげる。
おおまかに予測できなくはないが、伝えたい意図はつかみかねていた。
しびれを切らしたフランキは、塾長にちらちらと視線を送り出す。塾長はしばらく思案していたが、現地語で「自分の言葉……」といった表現を彼に投げかけたようだ。
「俺、止める、前。あーた、ぶつかる、なんで」
「……あー」
それとなく、彼の言いたい内容を察し始める。
「あれはね、うん。……私が、どん臭かったからだね。君が気に掛けることじゃない」
そう返しつつ、塾長に助けを求める。さすがにこちらからの言葉は伝えてくれるようだ。
「ともかく、あと二か月ほどは待ってほしい。その間に、どうにかして君の無実を晴らす」
青年は複雑そうな顔をした。怒るわけではなく、ひたすらもどかしそうに。
そして、無言のまま、宿屋を出ていこうとする。
「『それじゃあ、また』」
どうにか私に口にできるだけのマラーマで、私は挨拶をした。
彼はぴくりと背中を震わせはしたが、特に振り返ることなく、ドアの外へと姿を消す。
がらんと空いた居間にて、私たち二人はしばらく無言で立ち尽くしていた。が、ついに塾長が大きく息を吐く。
「アレクサ先生。あーた、どうやらとんだ食わせ者だったようですね」
「え、ええ?! そ、そんなことはありませんよ! 私は至って凡庸な」
「やはり知ってたんですね。……あの瞬間のフランキくんが、あなたを殴るつもりがなかったことを」
見抜かれていたのか、などと驚くことはなかった。
まだ確証はないが、塾長が私の悪友と同じ出身なのだとすれば、それぐらいは理解できて当然だ。
フランキが私を振り払おうとした時、彼は寸前で止めるつもりだった。
若いころに殴られ慣れていた私なればこそ、よく理解している。「脅かせば逃げる」といった心根がなす動きは、もはや感覚で把握できるのだ。……別に避けられるわけではないので、自慢できる能力ではないものの。
「……お恥ずかしながら」
「別の部分を恥じてほしいものです。まさか、『わざとぶつかって、罪悪感に付け込んで思い留まらせる』など。どこで身に着けたんですか、それは。悪徳にもほどがあるでしょう」
「いえ、その」
面と向かって咎められると、どうにもばつが悪い。「どこで」というのを、はっきり覚えているのだから、なおさら自分で始末に負えなかった。
「『学院』での師匠がですね、そのまた師匠の師匠から受け継いできた、伝統的な手法なので」
すると、ゼリア塾長は口を曲げて黙り込んでしまった。
「学院」生への偏見を強める結果になったのだすると、我ながら母校に大変申し訳ない気分になる。
「しかし、彼の無茶を止めるには、これしかありませんでした。そもそも、帝都までの一人旅なんて危険極まりないですし。幸い彼は、殴るべき時以外には殴らない人物だったようです」
「……どのみち暴力を振るうこと自体、褒められるべきことではないのですがね」
塾長は後頭部を雑に掻いていたが、ぴたりと止めて、こちらをにらみつけてきた。
「まさかとは思いますが、治る前に傷口を自分でえぐったりしたら、私が直々にトドメを刺しますからね」
「し、しませんよ! そんなこと!」
いくらなんでも心外だ。あくまでも彼を止める「きっかけ」が必要だっただけで、残りは自分の努力でどうにかしなくてはならない。
彼にかかっている疑いを晴らし、その目標を援助する。生徒一人を引き留める代償がコブ一つで済んだのは、ともかく幸運なことだ。
「……塾長、今日は幸い、『夜の組』がマーリャさんのみなので。私はそれまで自室で手紙を書かせていただきます。一刻も早く、フランキくんを問題なく参加できる生徒へと戻したいので」
「手紙ですか。失礼ながら……念のため、あて先を尋ねても?」
聞かれて困るわけではないが、おそらく私は拒否感を顔に出してしまった。
するとなにかを勘違いした塾長が、軽薄な笑みとなる。
「おやぁ、これはあれですかね。私的なお相手でしたかねえ? だれぞ、帝都に残した方でも?」
「違います、断じて違います」
時に嘘を吐く必要があるとしても、望まぬ誤解は総じて避けたい。とりわけ奴に関しては、私にとっては冗談ではすまないのだ。
少年時代から奴と共に育ったせいで、周囲にはしばしば「そういう関係」と噂されてきたのだから。
こうなると、観念して白状するほかなかった。
「本当はあまり、頼りたくない相手だったのですが。『学院』を通じて、同期の男に依頼したいことがありまして」
どこでなにをしているのかは知らずとも、どこにいようとも役に立つことは知っている。
奴を頼ること自体が私にとっては敗北に近いが、今回ばかりは自分だけでどうにかできないのだから、やむをえまい。
帝都での過ちを繰り返さないためには、悪友の悪用ぐらい、どうといことはない。はずだ。
「なるほど。ええ、さすがに講義以外の時間はどう過ごしてもらっても大丈夫ですとも。部屋でおとなしくしてくれるなら、ケガ人としては優秀なぐらいです。素直に寝てくれれば、もっといいんですがね」
塾長の許可を得られた私は、それからしばらく手紙の文面と格闘することになった。
なにしろ、直接的には友人ではなく、厳しかったあの師匠に尋ねなくてはならないのだ。適当に流すわけにもいかず、かといって仰々しく誇張するわけにもいかず。
どうにかそれらしい文面を書き上げた頃には、すっかり夜になってしまっていた。
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