第四回講義

第16話 語彙と遊戯

 その日の午前中、私は「もう一つの組」を宿へと招き入れた。

 サラやフロルの含まれた、いわゆる昼組だ。仕事の手伝いなどによって、時間帯は多少前後するものの、基本的には夕方前に教えるべきと判断していた。


「あまり騒がしくするな、と宿屋の主人からお達しがあったので、是非とも静かにお願いしますよ。ええ」


 塾長は私に確認を取ると、サラたちにもマラーマで(おそらくは)同じ内容の注意をしたようだ。

 村長宅を使えなかったのには理由がある。なにしろ、昼組にもう一人、追加で編入させた生徒がいるためだ。


 ゼリア塾長は全体に命じた後、再度その人物にだけ念を押していた。私の弱い聞き取り能力でも、「わかりましたね、フランキくん?」というのが理解できる。


「ん」


 フランキが返したのは、不承不承といった様子の短い唸りだ。表情もとにかく居心地が悪そうなものだが、見たところ、嫌悪感にまでは昇華されていない。

 無理からぬことだろう。幼い妹や、その友人と同じ扱いを受けている、というのは彼にとっては我慢がならないことなのかもしれない。


(今日の内容的にはどうかな……)


 しかし実際、騒がしくするな、というのは私にとっても大きな課題だった。あくまで塾長は、釘をさすために言ってくれたのだ……と信じたいが。


「では、席についてください」


 生徒たちには、小さな食卓を囲むように座ってもらう。

 サラとフロルはすぐに隣り合った椅子を選んだが、フランキはしばらく迷った後、やや離れた席に腰を下ろした。顔もこちらに合わせず、たった今入ってきたドアの方に目を向けている。


 ゼリア塾長は椅子の一つを引っぱっていき、生徒や私から身を引いたところでそれに腰掛ける。

 私は全体が見やすいよう、椅子は使わずに立っておく。実際に始まってからは、威圧しないように座った方がいいかもしれない。


「さて。今日は……」


 さっそく始めていく前に、私は持ってきた手のひら大の革袋を開けた。

 中から小さな紙束を取り出す。各々の紙は厚めでやや固く、縦長の四角に切られていた。

 一見すると、賭けで使われる札と似ている。というより、書かれている内容は異なれど、たしかにこれは「遊び用の紙札」なのだが。


「こちらを使って、少し遊んでみましょうか」

「え? お勉強じゃなくて?」


 サラが驚き、ゼリア塾長の方に視線を送る。

 ほぼ同時に、フランキの目がこちらに向けられた。言語的に理解できていないのか、軽く眉を顰めてはいる。それでも明らかに、ドアよりは妹の反応に興味を引かれていた。


「もちろん、勉強はしますよ。そのための遊び、準備です。さて、何枚かに分けて、それぞれに配りましょうか」


 全部で三十枚の小さな紙片を、三人に均等に分けていく。互いに見せないように指示してから、説明を行う。


「そこにはそれぞれ、単語が書いてありますね?」

「うん、サラのはね、リ……」

「おっと、まだ言わないで」


 読み上げようとしたサラを、手を伸ばして制止する。

 これから「当ててもらう」内容を言われてしまっては、根本から成立しなくなってしまう。


「そこにある単語……その下に、三つの説明がありますね?」


 たとえば、今サラが読み上げようとした”リンゴ”の札には、その単語名の下に「赤い」「丸い」「果物」といった説明が書かれている。それぞれの札に、このように「単語」と「特徴」が分けられている。


 今度はサラも読み上げず、隣のフロルと共にコクコクと首を縦に振る。

 フランキだけは札を手に取らなかったが、机上に置かれた分を目で追っているのがそれとなく確認できた。文字のある面が上になってしまっているものの、ルールを理解しつつあったサラたちは見ようとしない。


 「『極々初歩的な単語』は知っている」というゼリア塾長の言を信じれば、フランキの抱えている弱点はフロルと傾向が似ているのかもしれない。

 文の組み立てができない、文の構造への認知が足りていない。となると、「極々初歩的な単語しかない」この遊戯札は、絶好の教材となってくれるだろう。


「今から順番に、下にある説明を『それは〇〇だ』という形で読み上げてください。たとえば、サラちゃんの場合、そこに『赤い』と書いてありますね?」


 サラは相変わらず無言でうなずいている。その都度、耳にかかる程度の髪が揺れていた。

 この組では彼女に「先達」となってもらう必要がある。できれば、両隣二人にも自力で理解してほしいのだが、まずは一人を確実に仕立て上げる。


「それを、『それは〇〇だ』という形で言ってみてください。しゃべって大丈夫ですよ」

「それは赤い?」


 言われた通りにしたサラに、私は力強く首肯する。


「そう、その調子。残り二つも同じように読んでみてください。残る二人は、それがなんであるかを当てなくてはなりません。モロニ語で、ね」


 課題を把握したサラの表情が明るくなり、フロルも理解ができたようだ。

 肝心のフランキはというと、二人の様子をチラチラと確認している。微妙なところなので、順番は後に回しておこう。他の生徒がやれば、自ずとついていけるはず。


「そして、当てる側も『それは〇〇だ』という形でお願いします。さあ、とりあえずやってみようか」


 うながされたサラが、さっそく続きを始めた。


「それは丸い、それは果物」


 あまりこちらの習俗には詳しくないが、思いつく果実はそう多様ではないはずだ。ほぼ確実に、リンゴと同定してもらえる。


 と、思っていた矢先に、フロルから別解が出てしまう。


「ザクロ……?」


 マラーマだったが、これは私も知っている。

 借用語として、同じ単語がモロニ語にも存在する。モロン帝国の出発地である東地域にはなかったが、西進の中で発見され、後から輸入された言葉の一つだ。


「たしかに、ザクロでもいいね。赤くて丸いし、果物だ」


 この別解に安堵できたのは、果実そのものを私が食したことがあったからだ。想像もできない果実名を挙げられると、特徴を確認するのが厳しい場合がある。


 サラは「違う」と言いたげな表情だった。しかし実は、正解そのものに至ることはそれほど重要ではない。これが、遊戯を遊戯としてとらえるか、教材として活用するかの違いとなってくる。


「それじゃあ、フロルちゃん、今のを『それは〇〇だ』という形にしてください」

「それ、ザクロ」

「いいね。でも、ちょっとおしい。『は』という『つなぎの言葉』が、抜けています」


 こうした単語について、「学院」では「コピュラ」なる専門用語を用いる。一方、帝都の私塾などで教える時には「ディ動詞」と呼ぶ。モロニ語における「〇〇は〇〇だ」を示す、所在や属性を示す特殊な動詞だ。


 ……が、この用語を出すのは、もう少し先に進んでからがいいだろう。おそらくサラは大丈夫だが、フロルやフランキにはまず、文の形式から理解してもらわなければ。


「それ……、ザクロ」

「うん、その間に、『は』を入れてほしいんだ。それ、は」


 フロルは時間をかけながらも、こちらの指示には納得してくれたようだ。もしかすると、小さな発音や省略形のために、これまで聞き取れてこなかったのかもしれない。

 かくいう私も、「学院」で初めてモロニ語を学んだ時、「まぎらわしい」を「巻藁まきわらしい」と書いていたことがあった。当時はそう聞こえていたのだ。


「それ……は、ザクロ?」

「そうです、よくできたね」


 私が褒めると、頬に届く黒髪をいじりつつ、フロルがはにかむ。

 マーリャほど生気を失っていないにせよ、どちらかと言えば彼女も無表情な子だったので、こうした顔を見せてくれるというのは意外だった。


「さて、次に行く前に……。他に、同じ条件に合う果物はないでしょうか?」


 遊戯としての軌道修正をしつつ、フランキの方に視線を送る。

 リンゴが一般的な果実でない可能性があるものの、サラの口から出かけたのだから、概念はあると見ていいだろう。


 フランキが参加してくれるかどうか、いささか疑問だったが。


「『りんごプリーセ』」


 フランキがぶっきらぼうに正解を口にしたのがわかる。

 反応があって、正直こちらもうれしい限り。

 しかしながら、私は不正解だと告げなければならない。なぜなら「プリーセ」とは、マラーマでの表現だからだ。


「そう、それなんだ。でも、それを、モロニ語で」


 若い青年は困惑している。

 これはおそらく、先ほどの「ザクロ」がかえって混乱の原因となったのかもしれない。なまじマラーマからの借用語だっただけに、そのまま通じているものとして認めてしまったからだ。


 背景を説明をしてもいいのだが、この場では不必要にくどくなりかねない。教師側からの一方的な押し付けでは、受け取り手は迷うばかりになってしまう。

 理想的には、このあたりで……。


「先生、さっきの『ザクロ』はマラーマだよ?」


 こちらが求めた瞬間に、サラから質問が届く。


「そう、いい質問です。実は『ザクロ』は特別で、モロニ語でも同じ単語で表現するんだ」

「へえ……!」


 面白いことを聞いた、といった顔の少女に、私はさらに依頼をする。


「フランキくんに、マラーマで教えてあげてくれないかな?」

「うん!」


 サラがうれしそうに、兄へと語りだす。

 兄はさして内容には関心を示していなかったが、素直な妹の感性を相手にするのは、まんざらでもなさそうだ。


(サラを中核にしたのは正解だったみたいだ)


 いい質問というのは、当たり前だが、教師がしてほしい質問というわけではない。

 質問の良し悪しは、普遍的かどうか、あるいはだれかの学びを助けてくれるかどうかで決まる。つまり生徒全員が知りたいようなことか、特定の生徒が知らなければならないことが、「いい質問」と呼ばれる。


 もとより教師は、関連するすべてを授業内で説明などできない。

 たとえば私の場合、文法や例外的な文法は語れても、あらゆる言葉を網羅など到底できない。小さな組み合わせから「無限」に生み出せることこそが、「コトバとヒト」の最大の能力なのだから。


 ゆえに、生徒からの質問は教師にとって、恐ろしいと同時に味方でもある。来れば手間だが、来なければ不安になる。わかってもらえているのだろうか、と。

 ある意味で……教師というのは、赤子よりも無力な存在だ。こういう事情を、生徒に赤裸々に語れない程度には。


「それじゃあ、もう一度、フランキくん。モロニ語ではなんというかな?」


 サラの話を聞いたフランキに、モロニ語で尋ねる。

 意図は伝わっているのだろうか。顔をしかめていた彼は、やがてぽつりと、短くつぶやいた。


「……リンゴエフェリ?」

「大正解! そうです、それです!」


 つい、声が大きくなってしまった。

 直後、ゼリア塾長が眉間を力ませていたのが視界に入り、私は咳払いをする。


「さあ、次はフロルちゃんですね」


 その後も、いくつかの語彙を確認しつつも、属性に関する構文の講義はどうにかうまくいってくれたようだ。


 フランキは積極的な参加こそしなかったものの、いくつかの単語はモロニ語で口にしてくれるようになった。知らない単語も、妹を通じていくつか記憶してくれた……というのは、さすがに楽観的過ぎるかもしれないが。


 それにしても、生徒が初めて共通の言葉を話してくれる瞬間というのは、どうしてもうれしくなってしまうものだ。

 たとえその感慨が、教師のエゴでしかないとしても。

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