第15話 冤罪と偏見
「認めませんよ、もちろん」
翌朝、すなわち三日目の始まり。
朝食を食べ終えたゼリア塾長は、私の提案をにべもなく一蹴してしまう。
「え、だ、ダメですか?! 一応、理由も意図もありますし……」
宿の食卓に、私の驚愕が響き渡る。
彼女に断られるのは想定していなかった。
昨日の様子からして、講義やその構成については一任されているものだとばかり。
「まず、契約上の話をしましょうか。お給金はどうしますか?」
「対等な相手として教えを乞うのですから、私の分は削って、マーリャさんに払う……べきですね。ないのでしたら、私が個人的に相場から判断して……」
「なにを真顔で返しているのですか?」
塾長はまったく茶化している風ではない。
だからこそ私も、真面目に返したつもりだったのだが。
「どうにも本気らしいですが、そんなことはしませんよね、常識的に?」
「いえ。それを言うのなら、塾長が彼女にフリングを教えていた方が常識的には奇異なことです。
すると、対面の女性はゆっくりとほほ笑んだ。声音だけは、低く抑えたままで。
「……あーた、なにが言いたいんですか。なんですか、逆って?」
「言葉以上の意味はないはずです」
彼女は自分の食器を片付け始め、洗い場にある程度の分量を運んでから、再び席に着いた。
「やっと尻尾出してきたな、という感じですね。以前の職場で起きた問題というのも、案外あなたに原因があったのでは?」
「……どう捕えていただいても構いません。が、彼女の意思がモロニ語に向かないのなら、尊重したいと思いました。これは本心です」
唸っていた塾長が、ふいにため息をつき、首を大きく横に振る。
「まあ、実はね。内容には賛成なんですよ。面白いかな、とは思うんです。逆転授業という奴も。実際彼女にとっては、いい薬になりそうな気もします」
「でしたら……」
「でもね、あーた。よおく、客観視してくださいね?」
じろり、と私をにらみつけた彼女は、単語ごとに私に確認を取るような調子になった。
「それなりの紳士がですね、あの年頃の娘と。『邪魔が入らないところで二人っきり』は、まずいでしょうよ」
「……あ」
うかつだった。
彼女を一個人として扱う、という方針は私の勝手だとしても、外から見てどうなるかは完全に失念していたのだ。
マーリャはまだ若すぎるものの、それは私個人の観念でしかない。
想像した構図は、帝都でも相当な醜聞になるが、小さな村ではあっという間に噂になるだろう。
「本当は二、三人という少人数での講義も、あなたの人格を信じたからこそだったのですが」
重々しい空気になってしまった。
誤解されているのだとすると、さすがにまずい。弁明しようとした時、ふいにゼリア塾長が髪をかきむしった。
「……まったく、ああ、もう!」
私は驚いて目をしばたたかせていたが、塾長はこちらにかまうつもりはないようだった。
「わかりましたよ、わかりました。私が付き添いになれば文句はありませんか?」
「え、いいのですか?」
「でもその分のお給料はどちらにもナシです! もちろんタダです、私の独断、文句は!?」
「あ、ありません」
「よろしい」
にんまりと頬を緩めると、塾長はいつもの余裕のある、悪く言えば軽薄そうな表情に戻った。
あのまま断られると思っていただけに、私としてもうれしい結果にはなったが。
「で、まあ、話を戻しますと。火事の件は聞いてみたんですか?」
そうだった。
フランキが犯人と疑われているという件について、初めは話していたのだった。
残っていた朝食の麦粥を平らげつつ、私は現時点で得られた情報を報告した。
「はい。マーリャさんは早々に帰ってしまいましたが、残り二人には聞くことができました」
「道具屋の油が盗まれていて、という話ですね」
「はい」
火事があった日に道具屋の主人、すなわちフランキとサラの父親が、取り扱っていた灯油が盗まれたと口にしていたのだ。
「火の回りが非常に早かったことを考えても、油を撒かれたという可能性は否めないでしょう。そして出どころも、量からして、ほぼ確実に道具屋から盗んだものです」
「となると、大方の推測通り、フランキくんが怪しいと?」
特に疑うべきところのない、自然な帰結だった。
たとえばこの一連の事実を、私が文などを通じて知ったのだとすれば、異議を挟もうという気にすらならなかっただろう。
「二人は強く否定していました。とりわけ、シャルロくんは」
だが私はフランキに会い、そして彼を知る二人に会ったことで、もはや確信してしまっていた。
彼は放火犯などではありえない。
「皮肉ですね。シャルロくんの家庭教師を殴りつけてしまったせいで、フランキくんは村長も含めて多くの村人に嫌われているというのに」
「友達思いなんですね、フランキくんは」
私の意見に、塾長は肩をすくめた。
「私としては、やり方は他にあったと思いますがね」
シャルロが語ったところによれば、彼は数年前に村長、つまり彼の父親が付けてくれた家庭教師に暴力を受けていたという。
細かい間違いを犯せば謗られ、挙動がおかしければあげつらわれ。
どうも総督府がある北東の街で教鞭を振るっていたらしいが、話を聞くだけでも私とは異なる教育方針の持ち主らしい。追い詰められた人物に、教育の機会を奪うような威圧を掛けることだけは、私は絶対にしない。
シャルロがすっかり意気消沈してしまったのを知った幼馴染のフランキは、ある日、その家庭教師を夜道で襲い、しこたま殴りつけたのだ。
当然その家庭教師は村には二度と近づくことはなく。それ以来、フランキは村長から嫌われ、今も半ば村内で冷遇されているらしい。
「でもアレクサ先生。それはちょっと感情的、いえ感傷的過ぎませんかね? 根拠が弱すぎます」
「ええ。ですが今回に関しては、彼がやったわけではないという証拠は、ネーナさんから聞き出せました」
「ネーナちゃんが? ほう」
興味深そうにうなずき、彼女は腕を組む。
「あの日、火事があったのと同じ時、フランキくんは酒場で飲んでいたそうです。他にも複数人が、それを同じ酒場で目撃しているのだとか」
「……そうですか」
塾長は首を上に向け、目をつむった。
首の後ろで結ばれただけの赤い髪が垂れ下がり、静かに揺れている。
「アレクサ先生、なんで彼女がそれを告げなかったと思いますか? 簡単でしたよね、言ってしまえれば。なにしろ、彼女だけではないのだから」
「ネーナさん曰く、その、『塾長が犯人捜しを止めるように告げた』と」
ゼリア塾長は、まぶたを薄く開いた。
「ええ。では、なぜ私がそうしたと?」
私は言葉に詰まってしまう。
わからないわけではない。たとえばネーナがフランキの所在に関して伝えたとする。となると、ネーナは彼をかばっているかのような印象を与えてしまうことになるのだ。
なぜなら、犯人は村長の中で、最初から決まっていたのだから。
「ネーナちゃんでなくともよかったはずなんです。でも、誰も言いださない。そしてね、あーた。『酒場の娘』ってのはね、こっちじゃ……」
「……娼婦、ですか?」
「絶対に口にしないでくださいね。あの娘の前で」
酒場はその昔、酒を飲むだけの場所ではなかったという。
いや、今でも有事の時には場所を借りるなど、帝都周辺でも独特の空間となっている。娯楽用の設備は当然として、時には医療、宿泊施設と化し。そして時には、売春宿すら兼ね備える。
「私の知る限り、ネーナちゃんはそうじゃないんです。あの酒場でそうしたことは行われていない。ですが、一部には根強くそう思われている」
「偏見、ですか」
「ええ。なまじ彼女、見た目も良かったですし。ちょっと前には恋人もいましてね。そういうのが、かえって悪い方向に捉えられるらしいんですよ。一つ一つは、なんにも関係ないというのに」
そんな彼女が、フランキをかばう発言などすればどうなるか。
他の人間もしなかったほどだ。単なる孤立無援では済まないのだろう。
「アレクサ先生。私もね、是非ともフランキくんの疑いは晴らしたいんです。ですが、下手に犯人捜しなんかやって、事態をかき乱すようなことだけはしたくない。できるだけ、綺麗に終わりたいんですよ。わかりますか?」
「はい」
彼女の意思は私にもわかる。
周囲が変わらない以上、どこかで妥協しなければ、救われない人間を増やしていくだけになる。そして仮にフランキを助けられたとしても、結局のところ、一人には犠牲になってもらわなければならない。
村という有限の中で、罪過のやり取りをしている限りは。
「二か月ほど、いただけませんか?」
私は食器を洗い場へと運んでから、塾長へと宣言する。
「どうにか解決できるよう、尽力しますので。彼が何の問題もなく、私塾での学習を継続できるように」
ゼリア塾長は返事はしなかったが、これについては肯定と受け取って良さそうだった。
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