第12話 言語の障壁
「ええと。『竜騎士』というのはね、いくつかの伝説を基盤に、『竜騎兵』が美化された結果として生まれた想像上の存在。要するに、うわさ話ででっち上げられただけのものなんだ。実際はもっと地味で、華々しい騎士道みたいなものは期待しない方がいい」
ただし、彼がそれでも竜騎士を夢見て竜騎兵となることを選ぶのなら、私はそれでもかまわないと思う。
あくまで竜騎士は実在しないが、そのように生きようとして、伝説に昇華された人物もいるのだから。
「『じゃあいい、その竜騎兵だ。俺はそれになるから、別に私塾に顔出す必要は全くねえし、ショボい道具屋からもおさらばできていいぜ』」
ところが、彼がその決断を下したうえでも、私はさらなる壁を見せることになる。
「竜騎兵になるには、モロニ語が必須。それも、とりわけ高度な専門用語を使えないといけない。それはもう、日常的には絶対に出てこない単語の羅列だ」
「『……なんでそんなこと知ってるんだよ?』」
「私は教えていたからね、兵士用のモロニ語。正直、母語話者でもきつそうな言葉ばっかりだったけど、仕事だったからね」
すると、ゼリア塾長がぽん、と手をたたいた。
「履歴書に載せてた奴、それなんですね」
「それなんですね、と申されましても……。え、評価対象に入ってなかったんですか?」
「ええ、意味不明だったので。兵士用がなんなんだ、と」
腫れた額がさらに上から叩かれたような衝撃だった。職歴としては自信のある部分だったので、当然、評価されたのだと考えていたのだが。
フランキがなにかを言いたそうにしていたので、すぐに我々は講義に戻る。
「『んなもん、部隊に入っちまえば、その場にいるうちに慣れるだろ』」
「いいね、とても冷静な反論だ。習うより慣れろ、私もその発想が好きだよ。君の妹が証明している。必ずしも間違ってはいない」
これについては、第二言語の習得をめぐって大きく意見が対立するだろう。
ヒトは最初の言語習得と、第二言語の習得では、どうにも大きく過程が異なってくるらしい。
なので私も、完全に彼の説に同意するわけではない。いくら面倒でも、ある程度は文法知識に取り組まなければならないのだ。
もっとも、彼が竜騎兵になろうとして直面する問題は、こうした部分とは根本から異なってくる。
「でも、ダメなんだ。残念ながら」
「『なんでだよ』」
「試験があるからだよ。練兵所でさえ、それを通過しないと入れてもらえないんだ」
通訳をしていたゼリア塾長が、微かに目を細めた。
「……試験ですか?」
「はい。大々的な『入隊試験』が導入されたのです、五年前に。大半は実技なのですが……」
「モロニ語を母語としないものには、語学試験があると?」
「はい」
しばらく気難しい顔をしてから、塾長はフランキへと内容を伝える。
え、という吐息が漏れた様子からして、彼は知らなかったのだろう。万能そうな塾長も知らなかったのだから、当然かもしれない。
内部から上位を目指すならいざ知らず、外部から兵士になるのにそんなものが必要だなんて、通常は発想すら出てこないだろう。それこそ五年以上前なら、力量だけで入ることも可能だった。
「学院入試よりはよほど簡単といわれているが、試しに受けてみた私からすればとんでもない。文法問題や理不尽な問いこそ要求されないが、とにかく知識量が問われる。そしてさらに、『学院』由来の最新知識まで範疇に入ってくる始末」
余談だが、私もどうにか(講義用に勉強した甲斐もあって)筆記だけは通ったらしい。
が、実技などできるはずがないので途中で棄権した。当時の上司には「生徒のために、実技の傾向もつかんでくださいよ!」と無茶を命じられたが、やはりというべきか、一度も通ることはなかった。
「おかげで五年前から、大量の兵士が私塾に流れ込んできてね。慣れない知識を取り入れるのに、私はとんでもなく苦労をしたんだ」
当時の上司、トメイニ氏はほくほく顔だったが、私はどんな資料が必要なのかすらわからず途方に暮れていた。あの時ばかりは、あのバ……もとい、悪友がいてくれなければどうにもできなかった。
「アレクサ先生。詳しく、その背景をお聞かせ願えませんか? 端的に、初耳です」
「え? ああ、はい」
ゼリア塾長が、再び中断させてくる。
気が付くと、すっかり不機嫌そうな顔になってしまっていた。またなにか、怒らせてしまったのだろうか。
「塾長、怖い顔……」
「うん、ちょっとね。ぼうっとしている間に、愉快じゃないことが起きているらしいから」
不安そうなサラの指摘すらも、届いていないかのように軽く受け流してしまう。
「では、ちょっと脇道にそれますが。元々、竜騎兵の多くはいわゆる『外国人部隊』として成立していたとのことで。これは奴隷が大々的に行われていた時代における、歴史的な成り立ちがあるのですが……」
「ええ、それで?」
「その、フランキくんにも伝えたいので」
「おっと、これは失敬失敬!」
通訳を放棄するほどに集中していた塾長が、わざとらしく表情を明るいものに戻した。口元以外はまったく緩まっていないため、サラでも嘘とわかりそうな不自然さだったが。
とにかく通訳を再開してくれたようだが、フランキ側から質問が来るような内容でもないので、いささか一方通行な話し方になる。
「竜騎兵部隊は伝統的に、どこも愚連隊とでもいうべき人々だったそうで。帝国が戦乱期にいる間はよかったのですが、基本的に平和の続いた近年では、そうした部隊の一部が凝り固まってしまうという現象が生じていたのです。言葉の通じる内々で固まって、大きな戦争はないから鬱憤だけはたまっているような状態ですね」
「危険ですね、とても」
「そのようです。実際、即座に鎮圧されたとはいえ、二十年前や、十年前には竜騎兵による反乱もあったぐらいでして」
どちらの造反も単に鎮圧されたばかりではなく、軍部による「見せしめ」として領土外にあった無関係な村や都市が破壊されたことがあり、単なる個々の部隊による暴走だけが問題ではなくなり始めていた。
「事態を重く見た貴族院は『学院』に解決案を求め、その結果として外国人部隊を解体し、他へと混ぜ合わせることになりました」
「お給金も上げたと?」
「おそらく」
奴隷上がりで安値でこき使われていた歴史からすれば、一つの快挙として評価もされそうだ。
ただし、その後の展開を考えると、あまり実質的な給金は変わらないのではないか、という疑念さえ湧いてくる。
「こうして、無理やり母語話者と混ぜ合わせたので。モロニ語で話せる機会を与えるために、とりあえず部隊内での教育というのを始めたのですが……」
「『数が多くて間に合わない』と判断した、と?」
「はい、そのようです。
無駄に大量の教師を雇うよりは、『機会を与えるから各自が帝都内で学んで来い』という判断に至ったようで。成果を確認する目的で、『学院』と独立私塾の合同で作られた筆記試験を導入したのです」
ここで試験対策のための学費その他は兵たちの自腹だったため、上がった給金はここで帳消しになったかもしれない。
「と……眠いかな?」
「ううん、ちょっと難しくて」
私の隣に座っていたサラは、こくん、と首を縦に振りながら必死に眠気と戦おうとしていた。
塾長はマラーマで彼女に話しかける。
サラは心配そうに兄や我々を見比べていたが、やがて塾長にうなずき返して、奥の部屋へと引っ込んでいった。ベッドで寝るように、という指示だったらしい。
「大丈夫かな、フランキくんは」
兄の方に向き直ると、彼は腕を組んで首をかしげていた。
背景知識については、大人でも難しいところがあるため、余計な話で混乱はさせたくなかったのだが。
それでも、納得してもらうまでは私も続けたい。
「くす……『つまり、竜騎兵がいきがりまくって邪魔臭いから、都合のいいようにしつけるために、モロニ語の試験を受けさせたってことか?』」
「……うん。それでおおよそ大丈夫かな」
厳密さが求められる試験でもなし、要約としてはそれで正しい。
もちろん、表立って口にできることでもないのだが。
「初めて受けた世代にとっては、比較的簡単に感じられたでしょう。なにしろ、普段から触れているものなのですから。フランキくんの言った通りです。
……本来はその時限りで終わるはずでしたが」
そもそもが内々で固まっていた部隊の解体、それを完成させるための策でしかなかったのだ。彼らを同化しやすくする役目を終えれば、道具は朽ちていく定めのはずだった。
「ところが、その『即戦力を集められそう』な絶妙な難易度に、だれかしらが気付いてしまい」
「はい。四年前、正式に新たな入隊試験として定着してしまったのです」
ゼリア塾長と私が交代で言った通りだ。
せっかく取り入れたのだから、そのまま入隊用の篩として採用しよう、という方針が最終的に取られたらしい。
「『粋がる騎兵ども用のしつけが、ぺえぺえのクソガキにも通じそうだから、ついでにやらせることになったんだな。きたねえ奴らだ』」
「うん、ここはその解釈で合ってる。採点者が私なら、少なくとも合格点を出すよ。最後のは立場上、減点するかもだけど」
妹が持っているような驚異的な吸収力はないとしても、もしかすると彼には要約力はあるのだろうか。惜しむらくは、その能力はあまり入隊試験の語学では通じないことか。
「翻って、君の進路の話だ。どうだい、この試験を通るのに、私塾での勉強は本当に不要かな」
翻訳を聞いたあとの彼は、それでもまだ首を振った。
「『だとしたら、なおさら帝都で受ける方がいいだろうが。こんなところより、そっちの方がよほど、色々揃ってるんだろ?』」
「……いい判断だ。うん、ここ数年で対策がとても進んでいるから、一理あるんだけど」
しかし、現実の壁はまだ厚い。
「学費を、どうしますか? 帝都の私塾は、はっきり言って、どこもとんでもなく高いけれど」
これを受けると、さすがにフランキも沈黙した。
あまり青年の目標を妨げるようなことはしたくない。したくないからこそ、こうした状況を教えないわけにもいかない。
なにもなしに帝都へと出向いていけば、せっかく手元にある機会を無駄にするかもしれないのだ。できれば一歩引いて、考えてもらいたいと願ってしまう。
「ちなみに、ちょっと気になっていたんですが、こちらは……」
「実はここはほぼ無料ですね。契約上、私の生活費を皆さんにまけてもらっているぐらいです」
「え!? だ、大丈夫なんですか、私がお給料をいただいても?」
「まあ、どうにかこうにか。貯えもありますし、一応赤字ではないので。この前の火事以外は」
私塾の誘致などからそれとなく感じていたが、もしや彼女は生まれが貴族かなにかなのだろうか。
軽い態度には似つかわしくない背景を感じざるを得ない。
「『話はわかったよ。めんどくせえし、どうしていいのかもよくわかんなくなっちまったけど』」
フランキの態度は、やや殊勝なものになっていた。
「『だが、そこまでして引き留めたいのかよ、あんた? その傷だって、なんの義理があって』」
なんとも苦い思いがするもので、どうしていいのかは私にもわからない。いたずらに生徒の心を折るようなことを、したいはずがない。
そしてたしかに、そこまでして引き留める義理などはなにもない。来て二日、彼とはほとんど初対面ですらある。
「君こそ。どうして、今日だったんだい?」
義理はないが、個人的な理由ならばある。
なにしろ、帝都で私が私塾を離れた原因と、似たようなことが起きていたためだ。
「唐突に思いついたのだとしたら、それこそもっと前でもよかったし。ここまで言われて、その反応ということは。君は引き留められたくないんだね。自分の目的すら建前にしてまで」
今は踏み込むべきでないと、良識のどこかがそんなことを告げてきた。
「村長が受け入れないという話、普段の素行について、そして君が昨日来なかったことを加味すると」
ここで踏み込まないでどうすると、意識はすでに結論を口にしようとしていた。
「これは、推測でしかないのだけれど」
「……ほう?」
通訳を止めて、ゼリア塾長が吐息をもらす。
特段、驚くようなことではない。状況がそれとなく示していたし、単に似たような例を知っていただけだ。
そして、二度と同じことは起こさせたくなどない。たとえ、どんな卑怯な手を使っても。
「君は、火事の犯人と疑われているんじゃないのかい?」
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