第11話 仮面の瑕疵
とはいえ一度、宿へと戻ることになってしまう。目的は果たせたので、ここは良しとしておこう。
初めは一階にあるベッドなどで診察を受けていたが、命に別条がないことがわかると、居間の方へと移れることになった。
治療については、サラたちの家が道具屋だったことや、ゼリア塾長に薬学の知識があったことが幸いした。医者の役割も兼ねているようなことを言っていたので、ますます塾長の万能ぶりに圧倒される。
彼女は村に来るまでに、各地の私塾でも巡っていたんだろうか。「学院」でも、これほど博学な人はいないはずだ。
「いたたた……」
「だいじょうぶ、先生?」
額の傷へと、サラが薬を塗ってくれていた。鋭い一撃は、額の肉を割いてしまったほどだったが、骨を破壊するほどではなかったらしい。
しかし傷の周辺が、後から徐々に腫れてきている。しばらくはコブとして残りそうだ。
「うん、特に問題はないよ。もっとボコボコになったこともあるし。それでもわりとすぐに直ったからね」
兵士に絡まれた時の嫌な記憶だが、あの時ほどはズタボロにならずに済んだ。我ながら、皆目、自慢にはならないが。
すると、キッと鋭い視線が私に投げかけられた。
ゼリア塾長だ。食卓にある一席で、腕と脚を組むように座っている。さっきのフランキに勝るとも劣らない、殺気立った様子で。
「…………」
「あの、なんといいますか、その」
怒っていますか? などと尋ねれば、余計に怒りに引火させることになりそうな空気だった。
「私は『お説教』という傲慢極まりない概念が、するのもされるのも大嫌いでしてね。だから長引かせるつもりはありませんがね」
ふう、と前置きの後に一息をついて、塾長は大きく怒りを抑えたようだ。
「あーた、さっきみたいなのを次やったらクビにしますよ」
「ええ!? いやその、それは困りますよ、さすがに! 二日目ですよ、まだ!?」
「なーにが『さすがに』ですか! 新種のカニですか、それは!! フツカメってどんなカメなんですか!? まとめて捌いて煮込みますよ!?」
私の抗議に大きく叫び返し、さらに深呼吸をしてから、彼女はもう一度声量を下げてくれた。
「まったく、おかしいと思ってたんですよ。『学院』出なのになんかまともすぎて逆に怖い……なんて思っていたら、やっぱり『学院』生じゃないですか」
わけがわからない。
と言いたいところだが、「学院」出身はどこかおかしい、という偏見はしょっちゅう耳にする。閉鎖的な環境で猛勉強をやらされるから、頭がおかしくなるのだとも。
卒業生として釈明をすると、あそこにいる大半の学生にとっては「閉鎖的な環境」というより、「開かれすぎている」ことの方が原因だろう。
やろうと思えばなんでもやれるような環境で過ごすと、世間の常識の枠から外れてしまう部分がどうしても出てくる。
もっとも、最上位の連中は「封印された秘密」を見て気が触れてしまうらしいが、所詮は凡々とした学生だった私個人には縁がない。
「でもよかったです、すぐにこちらに移動させてもらえて。フランキくんが私を殴ったなんて話が広まったらどうしようかと……」
「悪いことをした生徒がいたら、叱るのも教師ですよ。それに、いささかその心配は、遅すぎると思いますね」
皮肉っぽい苦笑を浮かべて、ゼリア塾長は言ってのける。
「え、だれかに見られて……」
「いえ。不幸中の幸いか、現場に寄ってきた人々には、『転んで頭を打った』というのが通じたようです。サラちゃんも口裏を合わせてくれましたし」
それはなにより、というのもまずそうなので、黙って塾長の続きを聞くことにする。二日目にして間抜けな印象が根付いてしまいそうだが、生徒の悪評よりはいいだろう。
「フランキくんの、普段の行いという奴です。いわゆるワルだと思われているんですよ、彼は。喧嘩もよくやりますし、ケガもさせたりさせられたり、しょっちゅうですよ」
と、そこで、それまで黙っていたフランキが口を開く。特有の荒々しさは消えていないが、かなり落ち着いているらしい。
塾長は苦々しそうに通訳をしてくれた。
「『いいから、話せよ』だそうですが」
「ああ、そうだね」
ケガの件でうやむやになってしまったが、彼に説明すべきことがあった。将来のことを考えれば、ある程度腰を据えて話さなければならない内容だ。
彼は昨日居合わせなかったから、ちょうどいいはずだ。
「せっかくですから、ここで話をしてしまっても?」
「……どのみち、村長宅はちょっと使えない状況ですしね」
許可を取ろうとすると、ゼリア塾長は肩をすくめる。村長の都合が悪い、という意味にしてはいささか回りくどい表現だ。
「私からすれば、アレクサ先生はしばらく安静にするべきなんですがね。終わったら休んでくださいよ、まったく」
塾長の小言は多少続いたが、本気で止めないあたり、なんだかんだと調子が戻っているようだ。
「ええ、では。簡単な言葉の成り立ちから講義をしましょうか」
私は食卓を囲む椅子の一つに座ったまま、小さな講義を始める。対面にはフランキと、訳するためのゼリア塾長がいる。
難しい話になるが、サラは兄や私のことを心配しているらしく、そわそわしながら傍で聞いていた。
「まず、『竜騎士』というものは、どんなものか。フランキくん、答えてみてくれますか?」
「『腕っぷしが強くて、竜に乗って、名剣を振りかざして、敵の竜騎士と一騎打ちをする奴』」
塾長が同時通訳してくれるおかげで、内容が伝わってきやすい。
どうしても間が空いてしまうのは難点だが、おそらく彼女よりも素早く訳せる人は「学院」の言語分野でも五人といない。
「その通りだね」
フランキの出した「竜騎士」の定義は、なかなか的を射ている。口承か、あるいは現地語の本を通じてか、多くの物語に触れてきたのだろう。
だからこそ、告げなくてはならない事実も出てきていた。
「それはね、大変残念ながら創作なんだ。ほとんど嘘と言い換えてもいい」
私が断言すると、大柄な青年は見るからに不機嫌そうに鼻を鳴らしていた。
「『嘘つくんじゃねえ、帝都の兵士も、竜に乗って戦うだろうが』」
「うん。実際のところ、その職業に最も近いのが『竜騎兵』だ」
両者は混同されやすい、というよりも、まったく無関係というわけでもないのがややこしいところなのだ。
「ただし、その実像は『竜騎士』と大きく異なってくる。まず、『すごい剣』は持っていません。柄の長い竜上槍が基本で、近年は『射槍』という武器などを用いるのだとか。また、一体一の決闘形式もほとんどないようです。多くは陣形を組んで、地道に戦います」
伝承と歴史の違いについて差し掛かったところで、ふいに塾長が挙手をする。ちなみに指を一本立てる帝都式だ。
「アレクサ先生、『射槍』とはなんですか?」
「ええと。恥ずかしながら、私も実物は一度見ただけなので、正確な使い方などは詳しく知らないのですが。細長い筒のような武器で、先端にある穴から空気を撃ち出す……のだとか」
塾長の表情が、ふいに無へと変わる。肉体のあらゆる部分が蝋にでもなったかのような、まったくの静止。
時間が止まってしまったような錯覚がして、私は彼女に問いかけようとする。
「あの」
「……ありがとうございます。いえね、さすがにそういう単語はこういうところじゃ出てこないもんでして、ええ」
気が付けば、彼女は生気を取り戻したように動いていた。顔も柔らかく、いつもの軽い調子になっている。
なんだったのだろう、今のは。
見間違いか、あるいは白昼夢のようなものだったのか。
気にはなるが、今は先に進めておこう。
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