第10話 非言語暴力

 フランキという少年……いや青年は、幸いにも村の入り口付近で立ち止っていた。


 話に聞いていたように、体つきは私などよりも大きく、筋肉もがっしりと付いている。一方、顔はどこかまだ初々しく、かといって「幼い」というほどでもないという際どい印象を与えてきた。そして浮かぶ表情には、常に周囲をにらみつけるような、抑えきれないいら立ちを漂わせている。

 総じて青年期の始まりにありがちな、荒々しい攻撃性が全身からにじんでいるような、そういった男児だった。


 駆け寄ったこちらを見つけると、彼はめんどくさそうに現地語で短く吐き捨てた。妹の名前を出していたことから、おそらく「ちっ、サラの奴だな」といった内容だ。


「やあ、フランキくん」


 私とともに駆けつけたゼリア塾長が、大柄な青年に語り掛ける。人称につける「くん」などから、明らかにモロニ語だ。


「どうしたのかな? 急に村を出ていくというのは」


 フランキはなにも答えない。

 しばらくその場にとどまっていたが、塾長を無視して村から出ていこうとし始める。


 私は急いで彼の前に走っていき、進路を妨げた。


「ま、待ってほしい。とりあえず、理由だけでも話してもらわないと」


 恐ろしい表情で、青年は上から私をにらみつけてくる。「学院」生時代に、兵士に絡まれた経験が蘇ってきた。


 退くに退けなくなってしまったが、せめて理由だけでも知らなければ、という感情が先に働いてしまったのだ。

 サラに頼まれたということも、当然あるのだが。


 青年は私を見据えたまま、何ごとかを口にした。二人称が聞こえたので、きっと「なんだあ、おめえ」といったセリフだろう。

 塾長のモロニ語に反応しなかったことから考えると、妹と違って語学はそれほど堪能ではないのかもしれない。


「わ、『わだぢ、あっだらす、モロぬい語スンセエ……』」


 マラーマでなら理解してもらえると踏んで、なんとか片言で話しかけたのだが。


 眉根を思いきり寄せ、こめかみに青筋を浮かべ、青年は私に現地語で応じてくる。速度もそうだが、俗語が多いのだろうか、まったく表現を拾えない。


「ええと、ごめん。全然わかんない……」


 すると青年はさらに語気を荒らげ、ついには私の胸ぐらをつかんでくる。

 力が有り余っているのか、私のかかとがわずかに浮かび上がってしまったほどだ。


「うぐっ……」


 私が苦しんでるのを見て、サラが叫びだした。兄を止めようとしてくれているのだろうか、かすかに首元にかかる力が和らいだ気がする。

 次いで、ゼリア塾長がフランキと私の(おそらく)双方へと提案してきた。


「通訳しましょうか? 彼、モロニ語は正直……って感じでして」

「お、お願いします」


 フランキが口を開くと、わずかに遅れてゼリア塾長が訳し始める。同時通訳というわけだ。私も「学院」で最低限の技術を習いはしたが、さらさらとできてしまう彼女の熟練度は筆舌に尽くしがたい。


 荒々しいフランキがなんと言っているのか、塾長が教えてくれた。


「『先生! 僕、先生のような方のもとでしっかり勉強してみたかったんですぅ! 感激ですぅ!』……とのことです」


 脅しをかけているとしか思えない表情で、胸ぐらをつかみ、私の踵を宙に浮かせて言うことがそれとは。

 なんて熱心な生徒なのだろうか。あまりの熱意で死んでしまいそうだ。教師本望に尽き……るわけがない。


「……嘘でしょう、絶対に!! 遊ばないでください、こんな時に!」

「いやあ、これは失敬。どこまで伝わらないのかな、と」


 いわゆる身体言語、つまり身振り手振りには、文化的な差がある。


 たとえば授業で挙手する時、帝都では人差し指だけを立てて行うが、西方などでは手のひらを開いているのだとか。また、上げる高さも異なる。西方式はまっすぐ上まで伸ばすらしい。帝都はせいぜい頭頂を超えるあたりだ。


 帝都の私塾でこうした西方式の挙手をやっても意味はない。端的に、多くの教師は無視をする。疲れて腕を伸ばしているだけか、といった解釈になりやすい。

 

 ……現状がそんな次元の話ではまったくないあたり、暴力表現はある種の超言語的なものがあるのかもしれない。


「『てめえ、なめてんじゃねえぞ、クソが!! なんとか言ったらどうなんだ、おおん!?』だそうです」


 ゼリア塾長は翻訳しなおした。今度はたしかに本物のようだ。安心できる内容では全くなくなってしまったが。

 続けざまに、フランキは威圧するような猛り声を上げる。


「ああん!?」

「『ああん!?』だそうです」

「さすがにわかります……」


 これまた声色などに地域差は出るのだが、多くの場合、叫び声は叫び声でしかない。

 いまさらながら、どの言語を用いたとしても、フランキ側には理由を話す意思がないようにみえる。本人に伝達の意図がない限り、不毛なやり取りに終始するばかりだ。


「あのね、フランキ、竜……竜……」


 見かねたサラが、こちらの助け舟になろうとしているのがわかった。

 だが、肝心の単語が出てこないのか、慌てているためにド忘れしてしまっているのか、青年の妹はひたすらに「竜」と繰り返している。


「なるほど。竜騎士になりたいから、帝都に行きたい、といったところかな?」


 塾長が単語を出し、サラに確認をする。少女が激しくうなずいたので、私もようやく状況が飲み込めてきた。

 そしてかえって、首をかしげてしまう。


「『竜騎士』、ですか? あの、本当に?」

「ええ、一字一句間違いなく『竜騎士』です。彼の夢なんですよ」


 私が確認すると、ゼリア塾長が口の端を吊り上げる。

 おそらく彼女は知っているのだろう。知っていて伝えていないのだとしたら、ある種の親心で夢をつぶさないでやっているのか。


 胸ぐらをつかんでいるフランキの腕を、私は両手でつかんだ。


「なら、なおさらダメです。まずは、こちらの話を聞いてもらいませんと」


 私の行動にたじろいだのか、フランキは腕を振り払おうとする。こちらの肩が抜けかねないほどの遠心力が働いたが、どうにか彼の手をつかんで離さないようにした。


「いいかい、フランキくん」


 うっとうしそうに歪めた顔を見つめ、はっきりと断言する。酷なことかもしれないが、このまま帝都へと送り出すよりは、私一人が恨まれる方がマシだ。

 私も理想論や夢物語は好きな方だが、無意味に青年の人生を狂わせるだけなら、容赦することなどできない。


「よく聞いてほしい。この国に『竜騎士』という職業は存在しないんだ」


 ゼリア塾長は苦笑しつつ、内容をフランキへと伝えてくれたらしい。


「『あ? なに抜かしてんだ、てめえ』」


 予想通りの反応が返ってくるも、想像以上の威圧感だ。言葉選びを間違えれば、それだけで殺されかねない。


「順を追って話すから、こちらの話を聞いてくれませんか」


 翻訳がなされるよりも前に、フランキは私をつかんでいた手を乱暴に離す。私を話の通じない輩と判断したのかもしれない。

 そのまま村を出ていこうとしたので、私は即座に彼の壮健な肩をつかんだ。


「待ってください。とにかく、このまま帝都に行っても……」


 すると、彼が振り返りざまに、拳を放ってきた。小さな岩を思わせる拳骨が、猛前と顔面に迫ってくる。


 素人目にも、喧嘩慣れしている動きとわかった。私程度の反射神経では、避けることはできそうにない。できたことは、せめて顎や頬ではなく、先に額を突き出して受けることだった。比較的、防御力が高いからだ。

 なにがあっても、今ここで倒れるわけにはいかないのだから。


「ぐあ……っ」


 ぐわん、と頭の中が混ざりそうな揺れが生じ、足が一瞬もたれてしまう。体勢は保てなかったが、握力だけは失わずに済んだ。

 フランキの肩を全力で握り、もたれかかるようにして、どうにか立った状態を維持する。


「は……!?」

「な、なんてことを!!」


 熱を感じる額と、ぼやけた思考にはなったが、二名の驚愕とサラの悲鳴はどうにか理解できた。


「あーた、あなた、正気ですか!! 避けようともせず、なぜわざわざ自分から当たりに!?」


 ゼリア塾長が駆け寄ってきて、私の額の様子を確認しだす。はっきりと怒気と不安が表情に浮かび上がっており、さっきまでの余裕が消えてしまっている。

 私は痛みのあまり吐き気を感じてもいたが、フランキをつかむ手だけは離さずにいた。


「ふ、フランキくんのため、です」


 塾長はあんぐりと口を開け、フランキも当惑しているように見えた。私は、けれど、すでに限界に達しつつあった。


「は、話、話を……うぶっ」


 せり上がってきたものを道端に吐くことになってしまったが、結果としてフランキもその場を去らず、話を聞いてくれることになった。

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