第8話 疑義と返答

 すべてが終わると、生徒たちがぞろぞろと家路につく。サラたちはさすがに眠そうだったが、ネーナは仕事の手伝いをするのだという。

 村長に終わった旨を伝え、私も出ていこうとすると、ゼリア塾長が話しかけてきた。


「なかなか手際が良かったですよ、アレクサ先生。さすがにこの道十年弱というだけはあり、とても自然な運びでした」

「ありがとうございます」


 彼女が宿に案内してくれるというので、その後をついていくように私は外に出た。

 生徒たちはすでに各々の家に入ったのか、虫の声だけがこだまする闇に、私と塾長の足音が割り込んでいく。


「どうですか? 設備はあれですが、おっと、村長には聞かれるとまずいですがね。まあ、なんにしても、生徒たちはいい子たちでしょう?」

「そうですね、水準も高く、意欲のある子が多かったと思います」


 我ながら、だいぶ形式的な返事になってしまった。最大限の誉め言葉のつもりなのだが、トメイニ氏との会話形式から、まだ離れていないのか。


「女性の学習に関しては、意外にも盛んなのですね」

「あっはっは、あーたそれ、他の村人に言わんようにねー? 特に『意外にも』のとこ」

「あ、すみません……」


 虫の音をかき消すほどに、思いきり笑われてしまった。


「まあ実際のところ、下地にあった信仰的な理由らしいですがね。肉体の格差を認めない、っていう信仰が昔この辺を支配していたらしく」

「なるほど、男女の差を根本から否定していた文化があったと。私の専門ではありませんが、興味深いお話です」


 一説には西方の人々は、かつて大陸が二つに分裂していた頃、「海の向こう」にあったもう一つの大陸からやってきたという。

 西方には独自の信仰体系があったといい、その上にこちらの大陸で隆盛だった「ハースタン信仰」が上塗りされたのだとか。


(こういうのは、まさにあいつとかの領域だったな)


 悪友を思い浮かべ、すぐに振り払う。ここ五年ほど会っていないが、今頃どこでなにをしているのか。案外、伝説に出てくる「世界の外」への航海に乗り出しているかもしれない。


「ちなみにマーリャちゃんの件はね。あんな感じで大丈夫ですので」


 あんな感じ、というのは私の彼女への対応だろうか。

 あまり適切ではなかったと思うが、ゼリア塾長の顔はよく見えないので、本音はわからない。見えていても、わからなかったに違いない。


「ええ、見かけによらずフランキ君並みに狂犬なところがあるんで。たまに反骨精神出して来たら、叱ってやってもいいんですよ?」


 むしろ今の話で、マーリャよりもフランキに対する不安が増してしまった。

 「身体が大きくて荒っぽい性格」という前情報だけでも、どう対処すべきか悩んでいたというのに。


「そういえば、彼はなぜ、あの場にいなかったのですか? 仕事の手伝いにしては、だれも触れていませんでしたし」

「ふふふ、いい質問ですが、どのみち明日以降わかるでしょう。覚悟はしておいた方がいいと思います、彼の件については」


 さらりとかわしてから、塾長は話題を元に戻す。

 講義中に話が逸脱しやすいのが教師というものなので、難なく本題に戻せる技術というものは素直に教えを請いたい。


「ともかくマーリャちゃんは、昨今の流行の影で、意思なく踊らされちゃうかわいそうな子の一人というだけですね。ええ、理由がなく私塾に通ってしまう、通わされてしまう子はこんな田舎にもいるのですよ。悲しいことに」


 ゼリア塾長の説明は、私が最初に彼女に感じたものとまったく同じだった。大きな親心が傘となって、目的地が覆い隠されている子供たち。

 しかし。


「本当に『理由がないから』、なのですか?」

「おや、どうしました?」

「もしかすると、逆なんじゃないかと思えまして。彼女の場合は」


 マーリャの問いかけた内容だけなら、塾長の説明で納得ができた。

 しかし、どうにも引っかかることがある。彼女が問いかけに用いてきた、別言語の存在だ。


「……この地域に、他にフリングを話せる人はいるのでしょうか」

「ふふふ、私がいますよ?」

「そうですね。だから、お尋ねしたいのです」


 マーリャにとって、モロニ語を学ぶ理由がないと考えるのは、かえって自然なことだ。

 残る「実質的な公用語」が二つ話せるなら、一介の帝国領民、しかも若い娘としては十分に過ぎる。

 仮に帝都に職を求めることになったとしても、それほどの苦労はしないだろう。帝都の表舞台はモロニ語だが、他の二つもそこそこ見かけるし、二つとも話せると言えば評価を受ける場面は確実にある。

 モロニ語があれば、さらに向上できるかもしれないが、あとは本人の満足度による。


 だが、そもそもおかしいのだ。

 なぜ領土西方の果てで、東国の話者がいるというのか。それも、たった一人で。両親にもしゃべるのか。いや、生徒たちの驚きをみるに、きっと彼らもしゃべれない。

 「孤立しきった話者」という存在がどれほど馬鹿げた話なのかは、おそらく私ほど理解している人間はいない。


「うーん、アレクサ先生」


 塾長はふっと、短い息を吐いたようだ。


「もしかしてあーた、めっちゃくちゃ生きづらかったんじゃないですか? 敏感すぎますよー? 頭髪にきますよー?」

「ふ、不吉なことを言わないでくださいっ!」

「あらやだ、心当たりが?」


 思わず前髪を抑えてしまうと、くすくすとゼリア塾長が笑い声を上げる。

 前の職場でトメイニ氏が日に日に失っていくのを目の当たりにしていただけに、あまり私にとっては愉快な話題ではない。

 ……笑えない。少し不安になってくる。


「というわけで合格です」

「……は? え、なにがでしょうか?」


 まったく前後と関係のない言葉が塾長の口から出てきたので、私は首をかしげてしまう。


「なんでしょうね? こちらで教えていただく人として、ですかね?」

「いや、『ですかね』と言われましても。昼間の面接はなんだったのですか?」

「あれは最終確認ですよ。順番が前後したのです」


 それではまったく「最終」確認ではない。

 もしやこの人、とんでもなく気まぐれなのだろうか。手紙でのやり取りではこういった部分が伝わりにくくなりがちなのが難点だ。


「それで、どうしていまさら合格と?」

「あなたがそういう細っちいところを気にしいの、過敏で厄介な人だからです」


 ほめているとは思えないようなことを告げてから、塾長は虫の音と変わらないようなつぶやきで続けた。


「それでも、きちんと『わからない』ままでも生きられそうな人だからです」

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