第一回講義
第6話 生徒と対面
そして夜になる。
帝都も暗さそのものはあまり変わらないはずなのに、閑散としているためなのか、こちらの方が闇を深く感じてしまう。
村長の家を貸してもらえることになったそうだ。入り口で出迎えてくれた本人に、挨拶が遅れてしまったことを詫びておく。すぐにでも向かうべきだったが、打ち合わせがやや長引いたのが原因だ。
初老の村長はいくらかモロニ語を話せるのだが、なんというか、ひどくおっかなびっくり口にしているような印象だった。
「ともかく、場所を貸していただきありがとうございます」
「いえ、問題はねえですとも。……毎日ってわけにゃ、いきゃーせんが。まあ、できるだけこっちも手配するんで。ええ」
村長とそうした短いやり取りをしてから、先に入っていた他の生徒たちの元へと向かう。
灯りがともされているとはいえ、夜ゆえに暗いのが難点だったが。昼間に招かれた夫婦(「苗字」はないそうだ)の家よりはよほど広い。大きめのテーブルは会合用も兼ねているのだろう。
全部で八名の生徒たちのうち、実際に来ていたのは五名だった。年齢はバラバラのようだが、そのうち四名が若い女子のようだ。
男子は一名しかいないためなのか、やや落ち着きがない。
(痩せ気味で、いつもキョロキョロしてる……シャルロくんか)
塾長から事前に聞いていた情報と合致する。
だとすると彼は村長の息子であるはずなので、自分の家なのだから落ち着いていればいいものを……。
いや、逆か。自分の牙城に攻め込まれたような不安感があるのかもしれない。
「さあ、みんな。彼がアレクサ先生だよ。モロニ語を教えてくれる」
離れた場所にある椅子に座っていたゼリア塾長が、私のことを紹介してくれる。
「みなさん、こんばんは」
第一印象はなるべくよくしておかなければならない。多くの人間は中身にたどり着く以前に、外面ですべてを判断してしまう。
ただし、素の自分よりも明るすぎるのも問題だ。始めたばかりのころはよくそんな風に飛ばしていたいたが、はっきり言ってあとまで続かない。
「こんばんはー!」
「ばんわー」
元気のいい少女たちが反応してくれる。事前情報通りなら、「小さくて元気がいい」のがサラのはずで、もう一人の……十七、八あたりに見えるのがネーナだろう。今来ている中では最年長のようだ。
となると、サラの隣にいる「小さくて大人しそうな子」がフロル、そして奥の方には昼間に顔を合わせたマーリャがいる。
返事にモロニ語を用いてくれたことから、塾長が言っていたように基本的な挨拶などはできるのだろう。
おかげで最初のとっかかりはできたと見てよさそうだ。こういう時に一番怖いのは無反応で、空気をつかむのに地味に時間がかかる。(とかつて友人に話したところ「喜劇役者かな?」と返事に困る反応をされた)
「お、元気がいいですね」
基本的には、どんな些細なことでもほめる方がいい。約二名だけだとしても。(他にも誰かがぼそっと「こんにちは」と口にしたようだが、はっきりとは聞き取れなかった)
叱責や威圧の効果はあるにはあるのだが、こうした小さな集団でそれを行うわけにはいかない。まして、初回でわけもなく威圧するのは単なる悪手だ。
誉め言葉にも反応しているようだから、やはり基礎的な単語などは身についているのだろうか。
(想定よりも水準が高いのか、もしくは半端に使えるのか)
後者だとやや面倒なことになる。
「さて、ではさっそく……。自己紹介をしていきましょうか」
各々の習得度を確認する意味で、自己紹介は一つの指標になる。少なくとも、「対象の言語をどう感じているのか」というのは浮かび上がってくるものだ。
「ではまず、君から」
サラに視線を送ったところ、幼い少女はくいっと首を横に傾けた。
「じこしょうかい?」
「うん、名前と……そうだな、好きなものをモロニ語で言ってくれるかな?」
まず「自己紹介」という単語をサラが理解していないのだとすると、あまり会話主体では行われなかったのだろうか。
しかし意味を理解するやいなや、サラは勢いづいたように話し出す。
「サラだよ! 好きなものはね、えーと、お父さんと、お母さんと……フランキ。うーん、うちで作るお母さんの食べ物! あ、フロル、フロルも!」
フランキというのは彼女の兄だ。今日は来ていないが、彼女と同じくこちらの私塾を受けている。道具屋のせがれで、いくらか荒っぽい性格だとか。
やや間を置いたことから、サラは「兄」や「料理」という単語を知らないか、しっかり身についていないのだろう。
(でも、予想以上に文章構造が身についてるな)
悪い癖で最初に生徒の弱点から考えてしまうが、基本的な文の構造が身についているのはすばらしい。接続詞などの語彙を増やしていけば、より流暢にしゃべれるだろう。
「サラちゃんか、よろしく。上手に自己紹介できたね」
「えへへー」
「それじゃあ、その隣の子もいいかな?」
大人しそうなフロルへと話を振る。
単語のすべては拾えなかったのか、こちらが顔を向けるとやや驚いていたようだが、サラが先にやってみせたので流れはつかめたのだろう。
「フロル。好き、サラ」
こちらも最低限度の語順は身についているらしい。ぶっきらぼうで短かすぎるのは、表情を見る限り、動詞の変化形などでつまずいている可能性がある。サラほどは自信がないのだろう。
「うん、そうか。友達のことが好きなんだね、いいことだ」
サラもえへへ、と緩んだ笑みを隣の友達に返した。
「じゃあ、次は……」
「ほいほい、ネーナさねー。よろしゅー」
年長の少女が、ひらひらと手を振る。
独特のなまりがあるが、ある意味ではもっとも流暢なしゃべり方だ。代表的な西方方言と言える。
(たしか酒場の娘だとか。客との会話で覚えたのか)
ちなみに帝都の「学院」、ひいては私塾でもこうした方言は徹底的に矯正される。喜劇であげつらわれることも多いので、西方出身者もいる貴族院あたりから劇場の規制にまで問題が発展しているほどだ。
当然、その点についてはいずれ触れざるを得なくなる。
「そうか、じゃあ、好きなものは?」
「んー好きなんは、えっと、お金! あとぉ、イケメン!」
彼女のセリフは他の生徒には伝わっていないらしい。
単語と発音が違う「方言」までは、習得途上の生徒たちには厳しいものがあったに違いない。
そのため、彼女の歯に衣着せぬセリフで吹き出しそうになったのは、ゼリア塾長だけだった。
私はあまりの直球ぶりに、苦笑いするしかない。
「正直だねえ……」
「へへ、ありがとさーん。先生ぇは、もうちょい若ければありだったんよー」
冗談めかしてほほ笑んだ彼女は、年齢以上に大人びてみえる。
「光栄なことだね」
肩をすくめて、受け流しておく。
こういう戯言には正面から取り合わない方がいい。ネーナはたしかに若くて美しい娘なので、余計な冗談を返すと噂だけが独り歩きしていきかねない。
なにはともあれ、ネーナに対しては他と根本的に異なる対応をしなければならなさそうだ。彼女の習得した言語は「不正解」ではないのだから。
(しかし。いまさらながら、ここまで女子が多いのは意外だったな)
帝都の私塾でも、純粋に語学だけの教室では女子の方が多くなる。生来の才能なのか、社会的に身に付いた技能かは研究が進んでいないが、統計的にはそういった結果になりやすい。
意外だったのは、こうした辺境の私塾にもそうした傾向がみられたことだ。下手をすれば、「女が学問などけしからん」といった無意味な偏見が飛んでくるかもしれない、と覚悟していたのだが。
「じゃあ、男子の君」
シャルロの番がやってくる。ネーナよりは年下のようだが、次に来るマーリャとは同い年に見えるので15ぐらいだろう。
すると彼はそれまで以上にガチガチに固まり、つまったような音を繰り返し始める。
「しゃっ、ろ……えっと、しゃるろ、で、でです。よ、よろしく、おねがいしますっ」
どうにか一文を最後まで口にできたのはいいが、それだけで彼がモロニ語を恐れていることがわかった。
(大方、村長の息子だから……。という風に、厳しくしつけられたか)
文法上は間違えていないのだが、間違えないようにしゃべろうとしているせいで、かえって聞き取りづらい。
「うん、いいね。それじゃあ、君の好きなものは?」
「えっ、ええ、えっと、あの、その……!」
涙目になって、シャルロは呼吸を取り乱してしまう。
「大丈夫、落ち着いて。短くていいから」
こういった子に対して、「飛ばして次に行く」というのはかえってよくない。「いらないと判断された」ととらえて、余計に落ち込みかねないからだ。
もちろん、すべての内気な生徒に向いているわけでもないのだけれど。
少年はしばらく深呼吸を繰り返してから、一言だけ答える。
「……ど、読書、です」
「いいね、よく最後まで言えたね」
シャルロはほっとしたように息を吐く。
ここまで見てきた限りでは、それぞれが方向の異なった課題を抱えていそうだ。まあ、別言語の習得ではよくあることだ。幸いにも、少人数ならば一人一人に割ける時間は増えてくれる。
(あとはマーリャに自己紹介してもらって)
その後の展開も、ある程度頭に入れておく。
想像以上に全員の習熟度が高いので、できればすぐにでも学習の方向を見定めておきたい。塾長との打ち合わせで、おおまかに決まって入るのだが、なにしろ教材がない以上はしばらく自前の本だけでやる必要がでてくる。
「それじゃあ、最後に……」
マーリャの方を向いた時だった。髪を三つ編みにしている彼女が、急に立ち上がりだす。
「お、ずいぶんとやる気だね……」
私がそう言うと、急に唇を開いた。暗い中で灯りで照らされたその顔は、どこか幽鬼を思わせる透明さがあった。
「≪先生≫」
驚いたことに、それは私が指示したモロニ語での自己紹介ではなく。それどころか、現地語のマラーマですらない。
フリング……帝国をはさんで反対側にある東側の言語だった。「学院」主導の調査では、この辺りに話し手は(訓練を受けたものを除いて)いないはずだ。
やがて、彼女は非常にきれいなフリングを用いて、私に問いかけてくる。
「≪どうして、モロニ語を学ばないといけないんですか?≫」
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