第4話 新たな上司
「はっはっは、マラーマもしゃべれないのにこっっんなド田舎に来てくださるとは! アレクサ先生、あーた、かなりの物好きですね!」
家に入ってきたのは燃えるような赤髪の女性だった。
にんまりと緩んだ表情で、私へと話しかけてくる。非常に流暢なモロニ語だ。発音には一部西部らしい訛りもあるが、方言というほどにはきつくない。
「ええと、お手紙を差し上げた……」
「はい、ええ、そうですとも。私がこのアザ村の私塾長、ゼリアですとも。ええ、ええ」
女性はドカッと、私の正面の椅子に座る。
改めて顔を見ると、年齢の特定が難しい。四十に達していないのは確実だが、三十代か二十代かというとどちらかわからない。ともかく、「娘」というほどではないにせよ、比較的若いことだけははっきり見て取れる。
それから彼女は家主である夫婦へと、これまた流暢なマラーマで話しかけた。なにかを確認しているようだったが、その内容は直後に判明する。
「ええでは、家主の許可を得られましたので。失礼ながらここで面接を始めてしまっても?」
「え、ここでですか?」
「ええ、はい」
「その、この状況では」
途中で食べるのを止めたとはいえ、卓上には料理がいくつか広がったままだ。落ち着いて話をするような状態ではない。
「ああ、肩ひじ張らずに。あなたとの手紙のやり取りで、経歴上はほぼ審査は通ってますので。最終確認でしかないので。ほら、古代の『学院』では食事しながら会合を開いたというじゃないですか」
そういうと、ゼリア塾長はためらいなく料理を口に運び始める。髪や顔立ちは整っているのだが、動作に遠慮のないところはなんとも「非文明的」な印象を受けた。
口に運んだ料理をある程度嚥下してから、正面の女性はやにわに首を傾げだす。
「しかし、マラーマは『学院』の言語部門なら、どこでも必修科目のはずでは? 『中央』であれば、なおさら……」
「いえ……まあその、お恥ずかしながら。第二はフリングの方に、全部集中していまして」
「学院」の語学部門では、母語がモロニ語である場合、合計で三言語の習得を余儀なくされる。最終的に「四言語習得者」にならなければ卒業できない仕組みだ。(母語がモロニでなければ三言語)
うち二つはフリングとマラーマが固定されている。どちらも帝国に隣接する国家の公用語にして、領土内でも事実上の第二、第三公用語である。
「マラーマは一切?」
「いえ、後から何度も挑戦しているので、片言でならなんとか。フリングであれば、少なくともマラーマよりは」
「ほう、では一つ。『君がなぜ僕のことを見捨てないのかは知らないし、分からないけれど』」
そう言って、塾長は言葉を止める。
これは「セリフ練習」というもので、続きを言えるかどうかという暗記問題である。「学院」時代に散々やらされた。
初対面相手に無礼極まりない気もするが、試験を兼ねているのだろう。
「『あなたがそれをご存じでないからに決まっておりましょう、と言って飢餓なるものは己が……』」
「おっと、これはどうやら本物。よく返せましたね」
ゼリア塾長はくすりとほほ笑んだ。切れ長の目が醸し出す妖艶な空気は、これまでかかわった女性の中では見たことのないものだった。
彼女が出題してきたのは、フリングで書かれた古い叙事詩に出てくる一説だ。
いわゆる古典の一環ではある。
が、今の問題は意地の悪いことに、有名な「名言」ではなく「どうでもいい(とされてきた)部分」なのだ。こんなもの、丸暗記させられた奴でもなければ発想さえできない。
ほぼ決まっていたわりには、ずいぶんと挑戦的な「最終確認」だ。どうやら彼女、とんでもない「ひねくれ者」なのかもしれない。
「それはまあ、偽物ではありませんよ」
そこはかとなく馬鹿にされている気がして、つい意地になって反論してしまう。だが塾長は涼しい顔で肩をすくめる。
「でもいるんですよ、教師の経歴詐称してくる輩が。マラーマが苦手というので、ちょっと疑ってしまいましたが、今のがわかるのなら潜りではないですね。安心できました」
ふいに女性は背筋を伸ばし、表情を引き締める。
「アレクサ先生、改めましてよろしくお願いします。辺鄙な村ですが、老若男女を問わずに学びの機会を与えてほしいと思います」
「え……ああ、はい」
女性の態度が豹変した。
姿勢ばかりか口調にも明らかな変化があり、つい戸惑って胡乱な返事をしてしまう。
メリハリをつける人なのかもしれないが、このレベルでの急変は以前に一人しか見たことがない。だとすると、彼女の出身地にも心当たりがなきにしも……。
だがそんな私事は今は捨て置こう。今は新しい仕事の方が大事だ。
「それでアレクサ先生、なにか質問はありますか? ちなみに塾の活動は不定期ですが、基本的に日中よりは夜間に集中しています」
「ではその、教材についてなのですが」
さっそく仕事内容に移る。
給金その他の話は手紙で済ませてあったので、いまさら不要だろうという暗黙の了解があった。
「写本はどのようなものを用いていますか? 『学院』用の試験となれば、古典用の書物が必須ですが、すべてが揃っているのでしょうか? それとも、子供向けに……」
「……ああ、はいはい。もちろん、その件ですねえ」
にっこりと笑ったゼリア塾長。
直後に彼女は、カッと目を見開いて叫びだす。
「ないんだな、これが!!」
「は?」
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