第10話 自己犠牲
「おい、おまえ。ちょっと落ち着け。そんなにパニクってたら、逆に怪しまれるだろ」
「ご、ごめん……」
太一が注意したところ、男子生徒は周囲をうかがいながら声を潜めた。
「で、刑事が来たってどういうことだ? 俺たちを捕まえようとしてるのか?」
「そうじゃないよ。サービスエリアの出口で、車の一台一台に声をかけてるんだ。警察手帳を見せてたから、間違いなくあれは刑事だよ」
「サービスエリアの出口? そんなところで刑事がなにやってんだ?」
「たぶんだけど、なにか事件の捜査をしてるんだと思う」
「てことは、俺たちのバスも声をかけられるってことか?」
「うん……」
「バカ野郎! それって、めっちゃ大変なことじゃねーか!」
太一は怒鳴り声を上げて席を立ち、大急ぎでバスへと引き返した。
カーテンをめくり窓から覗いてみると、たしかに刑事が二人いた。
高速道路に戻る出口の手前で、一台一台の車に警察手帳を見せて呼び止めている。
五十メートル以上は距離があるため、刑事の言葉は聞き取れない。
それでもなにかの捜査をしているのは間違いないだろう。
ほどなくして全員がバスに集まり、緊急対策会議がはじまった。
念のため、覆面は外さずに話し合うこととなる。
「あれではサービスエリアから出ることができんな」
律子先生の意見は至極当然であり、覆面をしていたとしても刑事はごまかせない。
捜査ともなれば覆面を取るように指示を受け、スケルトンであることが露呈する。
生徒が人体骨格模型になりきる作戦も不可能だ。
運転手である律子先生の正体が発覚してしまう。
野球帽をかぶりサングラスをかけ、口元をマスクで覆った怪しい人物。
顔を見せろと言われるに決まっている。
どのような捜査をしているのかは知らないが、ここにきてよもやの事態が訪れた。
「ここで刑事が帰るのを待てばいいんじゃない?」
佳織の考えはもっともだが、刑事がいつ帰るかはわからない。
それに学級委員長っぽい彼の話によれば、刑事がやってきたのはつい先ほどだ。
現在の時刻は十八時。
夜遅くまで捜査が続けられてもおかしくはない。
深夜ともなれば駐車場の車の数もぐっと減る。
刑事はそこを狙って、しらみつぶしに捜査にあたるのではないか。
時間が経てば経つほど、それだけリスクが高まるということだ。
太一がそれらのことを説明すると、クラスメイトからも多数の同意見があがった。
「じゃあ兄貴。どうするんだよ。強行突破でもするのか?」
そこで里奈は誰もが思いつくことを口にした。
しかし、それは中学生という若さゆえの誤り。
その無謀な策だけは断じて許されない。
「いいか里奈。そんなことしたら、たくさんの巻き添えが出るかもしれないんだぞ。関係のない人までたくさん死んじまうかもしれないんだ。俺たちの戦いは人間に戻ることであって、人を殺すことなんかじゃねー。強行突破とか、そんなことできるかよ」
「それはそーだけどさ、このままじゃ刑事に見つかっちゃうんだぜ?」
「いずれ見つかるだろうな」
「それなら意味ねーじゃん。それって戦いをあきらめるってことか?」
「いや、そうじゃない。戦いはあきらめない。そして刑事に見つかるのは俺だけだ」
ここで車内がざわつきはじめた。
みんなは意味がわからないと口を揃え、コキコキと首をかしげている。
これはできれば使いたくなかった最終手段。
自分だけが人間に戻れなくなる、生贄という名の自己犠牲だ。
太一は座席を立ち、それをクラスメイトに伝えることにした。
「いいか、みんな。俺はトイレかどこかで、白骨死体の振りをする。それを刑事に発見させる。なにかの捜査をしてるみたいだけど、白骨死体が出ればそれどころじゃないだろ。だからみんなは、その隙に脱出してくれ」
しばしの沈黙。
サービスエリアのどこかでカラスがアホーと鳴いた。
それを合図にしたかのように、車内のみなが立ち上がる。
「太一! それって、あんた一人だけが人間に戻れなくなるってことなのよ!」
「兄貴! かお姉(ねえ)の言うとおりだよ! そんなことしたらダメだって!」
「青島! 貴様はなんと大バカ者なのだ! 担任として私は許さんぞ!」
「そうですわ! わたくしたちは全員揃って二年A組なのでしてよ! それに呪いの伝染もありますわ! 骨にふれた者もスケルトンになるのでしてよ!」
千崎美咲、もしくは年所絵花の言うことは一理ある。
白骨死体の振りをしたとしても、誰かが骨にふれればスケルトンとなる。
しかし太一には、そうならない確証を抱き、最悪の対処法も考えていた。
「刑事だろうが鑑識だろうが、骨を調べるときには手袋をはめる。だから呪いの伝染はないはずだ。最悪、直接手でふれられそうなときは、正体を明かすさ。それでピーちゃんにお願いして、俺はスケルトン星に行くことにするよ。おい、ピーちゃん。おまえが近くにいなくても、お願いすれば転送できるんだろ。不思議な力かなんかでさ」
念のため金魚鉢に向け問う。
ピーちゃんはバスに乗ったまま渋谷に向かうのだ。
遠隔で転送できなければ、この計画自体が破綻する。
するとピーちゃんは水面でプクっと口をひらいた。
「遠隔でも転送はできるよ。『私をスケルトン星に連れてって』、と口にすれば、ボクの力が発動されるんだ」
「それはわかったけどさ、その『私を』のところ、『俺を』でもいいんだよな?」
「ダメだね」
「…………………………」
太一はそれ以上、口をきかないことにした。
たぶん、このクソ金魚とは、前世からの因縁がある。
来世でも決してお友だちになれることはないだろう。
すると車内のどこかかしこから、すすり泣く声が聞こえた。
里奈や佳織、律子先生も、悔しさを滲ませるように泣いている。
つまるところ、ここでみんなとはお別れになるということだ。
最後まで戦いをともにできなかった無念が募るも、太一の自己犠牲の念は強かった。
これでみんなが人間に戻れると決まったわけではない。
しかし、そのチャンスを紡ぐことはできるのだ。
別れの言葉はつらくなる。
だから太一は無言でバスを降りようとした。
兄貴、兄貴、と泣き叫ぶ妹に振り返ることもなく、出入り口のステップを踏む。
そんなとき――。
「太一君が犠牲になっちゃダメなんだ! 太一君はみんなを導くリーダーなんだ! そんなリーダーが欠けたら、ぼくらのスケルトン戦争に勝利なんかできないよ! だから犠牲になるのは、このぼくなんだ!」
一人の男子生徒が太一の背中を引っ張り、入れ替わるようにして外へ飛び出した。
彼は何度か転びながらも、がむしゃらにどこかへ走り去っていく。
一瞬の出来事――。
しかも太一は尻もちをついたので、追いかけることができなかった。
口調からすると学級委員長のような気もするが、そんな彼を身代わりにさせてしまった。
太一は尻もちをついたままでうなだれた。
そして何度も何度もバスの床を拳で叩く。
「なんでだよおおお! なんで学級委員長が犠牲にならなきゃいけないんだあああああ!」
涙があふれる気持ちで慟哭しても、彼はもう戻ってはこない。
このサービスエリアのどこかで、一人心もとなく白骨死体の振りをしているのだ。
思い起こせば責任感のある学級委員長だった。
人が嫌がる仕事も率先して引き受け、幹事役などはすべて務めていた。
元の姿は少し幼さを残した小柄な少年だが、縁の下の力持ちだった。
その学級委員長がここにきて脱落、彼はスケルトン星で一人寂しく余生を送ることになるのだ。
太一がそう悲しみに打ちひしがれていると――。
「太一君……学級委員長のぼくならここにいるけど……」
車内のどこかから、真の学級委員長が名乗り声を上げた。
太一は顔をガバっと上げ、出入り口のドアからバスの外を見る。
「じゃあ、おまえはいったい誰だったんだよおおおお! うおおおおおおお!」
太一のやるせない慟哭はしばし続いた。
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