第8話 超絶アルティメットメガミラクルゴールデンフラフープ
船首デッキは異様な光景と化していた。
高さが三十メートルはありそうな巨木が、船体を鷲づかみするような形で根を張っている。
その根が船内に浸食し、無数の蔓となってうごめいていたのだ。
空を覆い隠す枝葉はワサワサと揺れ動き、威嚇しているように見えなくもない。
絡み合う形をした幹は一軒家ほどの太さがあり、とても強固に感じられた。
幹の上方には三つの樹洞が空いており、それが目鼻口を怪しげに連想させる。
それでも逃げ出す生徒は誰もいない。
みなは各々の武器を手に妖魔獣を取り囲み、戦闘の合図を待っていた。
太一もガクガクと震えながら、一番後方(船の舳先)でその輪の中に加わっている。
「みんな集まったな! この化け物に総攻撃を放て!」
律子先生の号令が甲走る。
そして彼女は、「蒼穹魔弾!」とひと言、肩に担いだバズーカーを発射した。
放たれた魔弾は蒼穹の明光に包まれ、上方の幹に着弾。
耳をつんざくような爆音とともに、樹表がクレーター状に吹き飛んだ。
しかし妖魔獣にしてみれば、ヘソの穴ほどの大きさだ。
対戦車ロケット弾顔負けのバズーカーでも、この巨大な敵を一発で倒せるはずがなかった。
「あたいは枝を切り落としてくる!」
里奈は日本刀を両手に妖魔獣の樹表を駆け上がった。
魔法少女の力か、重力を無視した仰向け走りで枝葉の中に潜り込む。
「妖斬乱舞! 百の太刀!」
笑っちゃうような技名の直後、枝葉はバッサバッサと切り落とされていく。
しかしそれは、ジャングルの中でちょこまかと草刈りをしているのと同じこと。
一時間や二時間で草刈り作業が終わるはずもない。
「聖なる光の加護のもと、忌まわしき闇を射てつくさん! ホーリーアローサウザント!」
次いで佳織の弓攻撃が解き放たれた。
樹表を射抜く幾千もの光の矢だが、巨大な敵に対し攻撃力は感じられない。
それでも佳織は弓をつがえ、何度も何度も中二ちっくな詠唱を口にした。
むろん、ほかの生徒たちも総攻撃を仕掛けていく。
「オリハルコンエクスカリバー! スペクタクルアタック!」
「臨兵闘者皆陣列前行! さあ、ゆけ! 式神よ!」
「パラ、アスナ、リンテ、ペス、ラベリア、アルマダーラ!」
「摩訶般若波羅蜜多心径観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五……ぶつぶつ……」
オリハルコンのエクスカリバーを振り回す男子生徒。
陰陽師のように式神を召喚し、その使役した朱雀で攻撃する男子生徒。
魔法のステッキを掲げ、炎の渦を発生させる女子生徒。
座禅を組んでぶつぶつとお経を唱え、なにかをしている男子生徒。
魔法少女の枠を超え、多種多様な異能攻撃が展開されていた。
「くそッ! くそッ! くそッ! 頼むから回ってくれ!」
そんな中、太一は船の舳先でフラフープに挑んでいた。
もちろんそれは一度も成功しない。
わかっている。
無理だとわかっている。
それでも自分だけがなにもしないわけにはいかなかった。
仲間が力を合わせて戦っているのだ。
だから太一は一心不乱となり、腰をクネクネと回し続けた。
そんなとき――。
「きゃあッ!」
近くにいた佳織が蔓に拘束され体を持ち上げられた。
十メートルほどの高さの位置で、大の字の格好にされている。
「そ、そこはダメ!」
佳織の抵抗もむなしく、一本の蔓がパンツの下からスルリと潜り込んだ。
触手のようにうごめくそれは、パンツの中でなにやらモゾモゾやっている。
「うぐッ!」
今度は別の蔓が佳織のお口をいやらしく塞いだ。
蔓のやっていることはエロアニメそのものだが、なんせ佳織は骸骨だ。
これを見て抜ける男がいるとすれば、そいつはなにを見ても抜ける。
「あたいになにすんだ!」
枝葉の中で作業をしていた里奈が、蔓に絡め取られて宙吊りにされてしまった。
高所でエビ反りの状態にされ、そこへニョロニョロと無数の蔓が群がっていく。
「やめろ! そこはダメだって!」
里奈のパンツの中へ一本の蔓が滑り込む。
蔓はしばらくパンツの中を蹂躙すると、妹の胸元より先端を覗かせた。
上のお口に狙いをつけたらしい。
「んぐッ! んぐッ!」
非情にも、蔓の先端が女子中学生のお口に強引に押し込まれた。
女子中学生のお口にだ。
児童ポルノ待ったなしの許しがたい蔓だが、里奈は気味の悪い骸骨だ。
骸骨の口にナニが押し込まれようが、エロいことなどまったくない。
太一はそんな妹の姿を見て、なんとも複雑な気分とともに心を痛めた。
「わ、私なにをする! 私はこれでもバージンなのだぞ!」
その歳で処女を公言する律子先生も蔓の餌食になってしまった。
船首デッキから持ち上げられた彼女は、空中でM字開脚の体勢で拘束されている。
そして黒いレース柄のパンツの中に、ニョロっと蔓が入り込んだ。
それも特大のサイズが二本だ。
まるで下のお口は二つある、と言わんばかりのいやらしい動きである。
しかし、処女喪失の心配はいらない。
律子先生はどこからどう見ても気持ちの悪い骸骨だ。
ほかの女子生徒たちも次々と蔓の餌食になっていく。
「きゃあああ!」
「やめてええ!」
「いやあ~ん! エッチ~!」
女子生徒だけを襲う、なんとも卑劣な蔓群だ。
およそ二十名のうら若き骸骨が、あんなことやこんなことをされていく。
「ぼくになにするんだよ! やめてってば!」
その中には、学級委員長らしき男子生徒もふくまれていた。
彼の本当の性別は女だったのか、それとも彼を襲うあの蔓が男色なのか。
それは太一にもわからない。
「俺のハニーになにをする!」
「花子! いま助けてやるぞ!」
「クラウディア! もう少しの辛抱だ!」
リア充どもを筆頭に、男子生徒たちは女子生徒の奪還に素早く動いた。
剣を振るい、槍を突き刺し、斧を叩きつけ、女子生徒らの拘束を解いていく。
大切な仲間を取り戻すため、みな必死になって武器を振るっていた。
「くっそ! 俺だって負けねーぞ!」
太一はフラフープを回すことをあきらめなかった。
女子生徒たちの武器は、手元をはなれたためか消失している。
くすねることもできないので、このフラフープに頼るほかはない。
だが結果は同じだ。
何度挑戦しても、フラフープは回せない。
そんなとき――。
「ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
妖魔獣の幹、そこに空いた三つの樹洞から、台風の勢いで突風が吹き下ろされた。
その猛風を受け、男子生徒らは船べりに叩きつけられ骨格がバラバラとなり、手元からはなれた武器も消え失せた。
「なんだ……今の突風は……」
太一も船べりに叩きつけられたものの、骨格の原形は保たれていた。
一番遠い舳先にいたことで衝撃が緩和されたのだ。
フラフープを腰に回していたこともあり、武器が飛ばされることもなかった。
「た、太一……頼む……」
「もう……おまえしかいない……」
「敵を……妖魔獣を倒してくれ……」
そこらに転がる分離した頭蓋骨、彼らは太一に望みを託した。
バラバラになった生徒たちは、もう動くことすらできない。
いま動ける者は、いま戦える者は、ただ一人――。
太一だけである。
「兄貴ィーーーーッ! あたいは兄貴を信じてるぞぉーーーーッ! 兄貴ならきっとやれ――んぐッ! んぐッ!」
上方でなおも宙吊りにされた里奈。
いっとき開放されたその口に、黒光りしたぶっとい蔓が再度ねじ込まれた。
このままでは乗客も全滅し、リアル幽霊船という最悪の結末が待っている。
一刻も早く妖魔獣を倒さなければいけないのだが、太一にはなすすべがない。
「どうしたらいいんだよ! どうやったら回せんだよ!」
何度挑戦してもフラフープはストンと落ちる。
腰幅のないスケルトンにこれはどうしても回せない。
逆に言えば、腰幅があればフラフープを回すことができるのだ。
「わかったぞ! そういうことかよ!」
そこらに散らばる仲間の骨を見て、太一にピカッと天啓が舞い降りた。
太一は上半身だけの裸スケルトンとなり、落ちている骨をかき集めた。
あばら骨、大腿骨、それら細長い骨を腰の位置で組み上げ、制服のネクタイを結んで固定する。
これでフラフープを回せるだけの腰幅ができた。
合体スケルトンの完成だ。
「よっしゃあ! 回すぞ!」
太一はフラフープを頭から通し、腰をクネクネと動かしてみた。
すると――。
回る、回る、回る、回る。
おもしろいようにフラフープが回る。
かつてこれほどまで腰をクネクネさせたことがあっただろうか。
腰は前後にカクカク動かすものとばかり考えていた。
しかし太一は今だからこそ、こう思うことができた。
腰はクネクネさせるためにある! と。
「うおーーーーーーーーーッ!! もっと回れえーーーーーーーーーッ!!」
遠心運動を増すたびにピンク色に輝くフラフープ。
その神々しいエフェクトに手ごたえを感じ、太一はフラフープを回し続けた。
すると頭の中に、このような文字がふと浮かんだ。
【超絶アルティメットメガミラクルゴールデンフラフープ】
ほかの生徒が詠唱や技名を口にしていた理由はこれだった。
こうして頭の中に文字が浮かんでくるのだ。
でも小学生が考えたような幼稚な詠唱だけに、いまいちテンションが上がらない。
しかもフラフープのエフェクトはピンク色なのに、ゴールデンという単語が混ざっている。
この詠唱を発案したであろうピーちゃんの投げやり感がハンパなかった。
それでも詠唱を口にするほかはない。
今は一分一秒でも早く、魔法少女の力を発動させる必要があるのだ。
もう一度言う。
一分一秒でも早くだ。
ゆえに太一は唱える。
「チョーーーーーーーーゼーーーーーーーーーーーーーーーーーーーツ!!」
伸びやかなボイスで第一節。
「アルティメーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーット!!」
続いて第二節。
「メガミラクルーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
第三節のあとに少々のタメを入れつつ。
「ゴーーーーーールデン、フラフーーーーーーーーーーーーーーーープ!!」
バシっとそれらしいポーズで決め台詞。
いざ唱えてみると、なんだかかっこよく思えてくるからあら不思議。
すると――。
腰の遠心運動とは関係なしに、フラフープが上昇していくのがわかる。
クネクネをやめても落ちてくることはない。
これはなにかあるなと思い、太一は両腕を上げてその逃げ道をつくった。
フラフープは楕円に横回転しながらさらに上昇。
十メートルほどの高度を維持したまま、その回転運動がピタリと止まる。
次の瞬間――。
「バブバブ」
なんと、フラフープの輪の中から天使が舞い降りてきた。
それはフルチン丸出しでほっこり笑顔を浮かべる、赤ちゃんの天使だ。
そして驚くことにその顔は、赤ちゃんにデフォルメされた太一のものだった。
「バブバブ」
「バブバブ」
「バブバブ」
しかも一人だけではない。
生ゴミから大量発生した小バエのように、無数の太一天使が舞い降りてきた。
もう気持ち悪いほどブンブン飛び回っている。
「バブバブ」
「バブバブ」
「バブバブ」
ほどなくすると、すべての天使がいっせいにおしっこをはじめた。
それは聖水のようにキラキラと輝く黄金色のおしっこだ。
天使たちは蔓の攻撃を避けながら、小便小僧のスタイルでそれをぶちまけている。
周辺はやや雨脚の強い小便模様となるが、その光景は神秘的でとても美しかった。
神の御業にも似た、黄金の雨が降り注いでいるのだ。
今ここでBGMが流れるとしたら、もう讃美歌しかありえない。
「奇跡じゃ……奇跡が舞い降りたのじゃ……」
太一は思わずじいさん口調となり、両腕の骨を広げて天を仰いだ。
神の奇跡を崇め敬うように、骨格に黄金水を浴び続けた。
鼻孔や口腔に染み入るそれは、不思議なことに柑橘系の爽やかな味がする。
黄金水には回復作用でもあるのか、なんだか元気も湧いてきた。
「ブオ……ブオオ……ブオオオ……」
逆に妖魔獣はダメージを受けているらしく、樹洞からもがき苦しむような不協和音を響かせている。
天使を叩き落とそうとしていた蔓群も、力なく落下し動きを失っていく。
それに伴い、女子生徒の拘束が解かれ、佳織や律子先生、里奈も危機を脱した。
「ブ……オォ……ブ……オォ……」
妖魔獣はすでに虫の息だ。
上方に広がる枝葉、船体へ絡みつく木の根は風化し、粒子状に崩れ去っていく。
幹の太さもどんどん細く、短くなり、やがて巨木のいっさいが霧散にいたった。
「バブバブ」
「バブバブ」
「バブバブ」
無数の天使はおしっこをやめ、列をつくるようにフラフープの中へ帰していく。
最後の一人が見えなくなると、フラフープは輝きを失いデッキの床に落下した。
まさかフラフープとは関係のない天使が現れ、そしておしっこで攻撃。
超絶アルティメットメガミラクルゴールデンフラフープ。
ゴールデンには重要な意味が隠されていたらしい。
「よし! 妖魔獣は青島が倒した! 動ける者は仲間の組み立て作業に入れ!」
そこへ律子先生が指示を出す。
男子生徒の大半はバラバラになってしまったが問題はない。
骨の各パーツには、名前と番号が書かれている。
太一も腰に組み上げた仲間の骨を分解し、復元作業を手伝うことにした。
みんなでカチャカチャ作業を続けていると、水平線から太陽が顔を覗かせた。
藍色に包まれていた大海原は、緩やかに稲穂色の広がりを見せていく。
写真に納めたくなるような、とても幻想的な一日のはじまりだ。
しかし、桃色吐息学園二年A組にとって、あの朝日ははじまりではない。
すべての終わりを告げる朝日なのだ。
「兄貴、スケルトン星ってどんなところだろう」
しゃがんで作業をしていた里奈が、すっと立ち上がり太陽を見た。
見納めとばかりにその声色も悲しげだ。
フェリーで正体をさらした以上、ぼくらのスケルトン戦争は終結した。
スケルトン星に移住するしか選択肢は残されていない。
「どうせ骸骨だらけの星なんだろ。行ってみないとわかんねーけどな」
太一も里奈の隣にたたずみ、しんみりと朝日を眺めた。
仲間の骨が組み上がれば、ピーちゃんの力で地球をはなれることになる。
これが地球で見る最後の太陽だけに、感傷的な気分にならずにはいられない。
佳織や律子先生、そのほかの生徒らも、横に並んで太陽を見た。
まだ動けない生徒の頭蓋骨を両手に抱え、みんなで一緒に太陽を見た。
泣く者は誰もいない。
後悔したくないからこそ、妖魔獣と戦うことを選んだのだ。
そんなところへ――。
「君たち……ちょっといいかな……?」
クラス一同の背後から、一人の男性が声をかけてきた。
海軍将校のような白い制服を身に着けた、船長らしき初老の男性だ。
だが二十メートルほどの距離からは近づかず、警戒している感は否めない。
彼はしばし逡巡したのち、おずおずとした口調でこう問うた。
「君たちは……人間ではないのだな……?」
「ああ、見てのとおりスケルトンだ。元は人間だったけどさ」
嘘をついてもしかたがない。
太一は正直に答えることにした。
正体が発覚した以上、すでに万策は尽きたのだ。
「本当のところ、私は怖い。君たちが恐ろしくてたまらない。しかし私には確信を持って言えることが、ひとつだけある」
船長はスケルトン一同を見渡し、
「君たちはこの船を救ってくれた」
胆力のこもった声振りでそう述べた。
そして彼は話を続けた。
「私は迷っている。警察に連絡するべきか、そうでないかを。しかしこの船で起きた出来事を、当事者以外の誰が信じるというのか。だからと言って、船を救ってくれた君たちを警察に突き出すわけにもいかん。そこで私に質問させてほしい。君たちはなんの目的で、この船に乗り込んだのかね?」
そんな船長の問いかけに対し、
「それは――俺たちが人間に戻るためだ」
太一は拳の骨をぐっと握り気丈に答えた。
牙を折るのはまだ早い。
この船長であればきっと話をわかってくれる。
はじめは怯えていたが、もう協力感がプンプン漂っている。
なんだか百万円でも貸してくれそうな勢いだ。
「事情はよく飲み込めないが、戻れる方法があるのだね?」
「ある。たったひとつだけその方法がある」
太一はこれまでの経緯を簡略的に説明し、目的地が東京であることも口にした。
バスに隠れて無銭乗船したことは、低頭に謝りを入れておく。
「わかった。なら早くバスの中に戻りなさい。あとは私がなんとかするから」
船長はそう言い残し、船首デッキをはなれていった。
なにか策があるのかはわからないが、彼が味方についてくれたことはありがたい。
太一はそう感謝し、仲間の骨の組み立て作業を急いだ。
その作業を終え全員でバスに戻ると、ピーちゃんは金魚鉢の中にいた。
「妖魔獣を倒したみたいだね。なら早くエナジーをくれないかな? もうボク、お腹ペコペコだよ」
ピーちゃんは水面から口をパクパクさせ、ふくれっ面で文句を垂れている。
そこで太一は思い出す。
妖魔獣を倒せばエナジーが得られるのだ。
そのためにピーちゃんは魔法少女の力を貸してくれた。
しかしエナジーを手に入れた覚えはないし、それがどんなものなのかもわからない。
そこへ――。
「兄貴、エナジーはあたいが拾っておいたぜ」
里奈は金魚鉢の中へエナジーを投げ入れた。
ドス黒い色をした飴玉のようなものである。
ピーちゃんはそれをパクリと丸飲みすると、トロけそうな表情でご満悦の様子。
金魚のくせにスイーツ女子そっくりの顔となっている。
ほどなくすると、クラスのコスプレ衣装が元の制服姿に変化した。
律子先生は白衣の変装姿、里奈はジャージのいで立ちだ。
魔法少女の力が解除されたらしい。
ひとまず太一は座席に着いて、事の成り行きを見守ることにした。
船長はなんとかすると言ってはいたが、乗客が騒げば収拾がつかなくなってしまう。
果たして彼はどんな方法でこの場を収めるというのか。
太一がそう考えていたところ――。
『乗客の皆さまにご連絡いたします』
船内アナウンスが告げられた。
船長のダンディな声だ。
『私は本船の船長を務めております、エドワード・スミスと申します。本船は午前二時二十分ごろ、東北三十キロの沖合にて、幻覚作用をもたらす謎の濃霧にみまわれました。よって先ほど起きた出来事は、すべて幻覚によるものです。考えてもみてください。現実にあのようなことが起こるはずがありません。ですから乗客の皆さまはどうか騒ぎ立てぬよう、大洗までの着港をお持ちください』
策というのはこのことだったらしい。
というか、幻覚作用をもたらす謎の濃霧。
小学生でも信じるか疑わしい、なんともファンシーな言い訳だ。
それでも太一は船長に感謝した。
彼は警察に連絡することなく、やれるだけのことをやってくれたのだ。
その後、車内ではスヤスヤと寝息が広がり、しばし休息の時間が訪れた。
午後の二時を少し過ぎたころ。
フェリーは定刻をやや遅れて大洗港に着いた。
不思議なことに、乗客が騒ぎ立てるようなことはなかった。
奇跡的に船長の言い訳が通じたのかもわからない。
となれば、その奇跡に乗っかり東京を目指すまでだ。
「よし、行くぞ。窓のカーテンはちゃんと閉めておけ」
律子先生はエンジンを始動させ、下船のための準備に入った。
船尾ランプウェイが開口したので、バスはそこから船を下りることになる。
誘導する船員も淡々と仕事をこなしており、とくに変わった様子は見られない。
そして、バスがランプウェイを通過しようとしたところ――。
「気をつけッ! 敬礼ッ!」
そんな掛け声が車外に響き渡った。
太一は仲間とともにカーテンをチラっとめくり、外の様子を確かめてみた。
すると架け橋の両脇には船員が列をなし、彼らは敬礼のポーズでたたずんでいる。
このバスに、いや、このバスに乗ったスケルトン一同に、敬意を表しているのだ。
その中にはトラックデッキでフラフープを拒絶したおじさんもふくまれていた。
太一はそんな海の男たちの心意気に感銘を受け、出もしない涙で視界を滲ませた。
そして、バスが船体から十数メートルほど遠ざかったとき――。
「わしらを助けてくれてありがとなー!」
「おまえら、最高にかっこいいぜー!」
「スケルトンのみなさん、どうかご無事でー!」
「あたち、ガイコツさん大ちゅきー!」
船尾デッキの上では、たくさんの乗客が手を振っていた。
お年寄りやカップル、幼女にいたるまで、あふれんばかりの笑顔で手を振っている。
彼らも気づいていたのだ。
妖魔獣の出現が、幻覚ではないということを。
その魔の手から船を救ったのが、スケルトンたちであるということを。
そんな彼らの応援を受けて、車内はがぜん奮起が湧き上がる。
生徒たちは互いの手骨を固く結び、各々が強く抱き合った。
以前、クラス一丸となって取り組んだ、YOSAKOIソーランを踊る者もいた。
太一も里奈のことをギュッと抱き締めた。
妹はちょっと照れた様子だが、ピトっと両腕を回しそれに応えてくれた。
佳織は感極まったらしく、嗚咽を漏らし泣いている。
頭蓋骨にたくさんの漢字を浮かべ、カタカタと肩を揺らして不気味に泣いている。
そんなところに――。
「YO! 桃色吐息って知ってるかい? NO! 知らないかい? YEAH! それは花の品種の名前だぜ! WHY? なんの花? YES! ペニチュアさ! WOW! 花言葉は苦労の成果、素敵だろ? YEAH! あーあ、われーらの、桃色吐息がくえーん」
律子先生が校歌をシラっと歌いはじめた。
鼓舞する車内に紛れ、校歌を歌ってエアトイレを済ます姑息な手段。
あの高潔で優美な律子先生が、随一の汚れキャラとなってしまった。
なにはともあれ、フェリーでの船路は、おしっこにはじまりおしっこで終わった。
もし人間に戻ることができたとして、十年後に同窓会がひらかれたとしたら。
クラスのみんなは居酒屋で酒を酌み交わし、
『ねえ、おしっこするときさ、なんでぼくたち鼻歌を歌ってたんだろ?』
『そうでしてよ。歌わなければバレなかったのに、逆にバレバレですわ』
『律子先生なんか、校歌を歌ってごまかしてたわよ』
『あ、その当人のご登場だぜ。律子せんせーい! こっちこっちー!』
こんな会話を繰り広げているのかもわからない。
バスは最終目的地、渋谷を目指す。
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