第7話 ウンコを手にした村人
太一は船尾デッキの一番後方にいた。
安全策に寄りかかるようにして、白波を引く未明の海を眺めている。
すでに誰かが倒したのか、この場所は蔓に浸食されてはいなかった。
乗客や船員の姿も見られない。
ここであれば、騒がれる必要もなく物思いにふけることができる。
佳織に逃げられた直後、太一はほかの生徒に武器の交換を持ちかけてみた。
しかし、フラフープを受け取ってくれる者など誰もいなかった。
『悪い太一。俺、急いでるからさ。そのフラフープでなんとか頑張ってくれよな』
『ごめんね太一君。ぼくの槍と交換はできないよ。だってそれフラフープだもの』
『青島君、ごめんなさい。いくらあなたの頼みでも、フラフープはちょっと……』
みなこの有様である。
中にはあきらかな嫌悪感を示し、フラフープを拒絶する生徒もいた。
一度バスに戻り、武器変更をピーちゃんに懇願したが、それも断られた。
その理由は、一人だけ特別扱いは許されないということだった。
むしろ一人だけ特別扱いをし、意地悪をしているのはそっちのほうではないか。
その疑惑は尽きないが、武器が変更できないとなれば戦えない。
戦えないということは、乗客を救うことができないということだ。
こんなところで物思いにふけるより、一刻も早く乗客の命を助けたい。
その気持ちはいまだ胸中に抱くも、フラフープではどうすることもできなかった。
みんなが伝説の武器を持つ勇者だとしたら、自分はウンコを手にした村人だ。
そんな村人がどこにいる。
ここにいる。
「クッ!」
太一は無性に悔しくなり歯を食いしばった。
そして、ウンコを処分すべく、フラフープを海に投げ捨てようとしたそのとき――。
「待つのでしてよ」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、大剣を背にする女子生徒が腕を組んでたたずんでいる。
彼女との距離、十メートル、頭蓋骨に書かれた名前までは見えない。
「あなた、青島ですわね」
「なんで俺だってわかったんだ?」
「そのフラフープですわ」
確かにフラフープは青島太一の代名詞だ。
名乗らずとも本人であることは一目瞭然。
「ところで、おまえはいったい誰なんだ?」
「わたくしが誰かなんて、今はどうでもいいことでしてよ」
その絵に描いたようなお嬢さま口調。
かつての派閥のリーダー、千崎美咲かもしれないし、そうでないかもしれない。
とりあえず女子生徒のいずれかだ。
すると彼女はため息交じりに上下の顎骨をひらいた。
「あなた、戦わないのかしら?」
「フラフープを回せないんじゃ、戦えねーよ」
「だからそれを海に捨てようとしたのでして?」
「ああ、そのとおりだ。こんなもん、俺には必要ねーからな」
「やれやれですわ。まるで駄々をこねた子どものようでしてよ」
「なんとでも言ってくれ」
太一は彼女から視線をそらし、唾を吐き捨てる思いで下を向く。
本当は悔しい。
涙を流せるものなら、そうしたいほど、とても悔しい。
でも、ウンコではどうすることもできないのだ。
「わたくしの知ってる青島は、どこに行ってしまったのかしら。あの千年戦争を終結させた、青島太一という男は」
千年戦争――。
それは二年A組の二大派閥が繰り広げた、血で血を洗う争いのことである。
クラスの全権限を握ろうと目論んだ、千崎美咲が率いる、千崎グループ。
かたやそれに異を唱え決起したのが、年所絵花が率いる、年所グループ。
派閥のリーダーの頭文字をとり、千年戦争と名づけられた。
それを終結に導いたのが、無所属二年目、青島太一だ。
新学期がスタートした春先のこと。
太一が登校して教室に入ると、派閥同士がギャーギャー言い争っていた。
『死ねブス!』
『うっせーチンカス!』
『この便所コオロギ!』
『ヒラメは海に帰れ!』
それはもう醜い罵り合いだ。
まさに血で血を洗う争いとはこのことである。
それを見かねた太一は消火器をぶちまけた。
一本ではない。
各階から用意した三本の消火器を、誰一人逃がさないよう噴射した。
教室の中は雪が降り積もったかのように白い粉だらけ。
派閥に属さない生徒、そこにいた全員が頭から足元まで真っ白だ。
そこで太一はこう言い切った。
『おまえら! お互いの顔を見ろ! これで千年戦争は終結だ!』
もう派閥など関係はなかった。
誰が誰かもわからない白粉顔を見て、生徒たちはプッと吹き出した。
ちょっと間違えば窒息死しかねない状況の中、大爆笑の渦に包まれた。
それ以来、千崎と年所は手を取り合い、二大派閥は解散。
新学期から一週間も続いた千年戦争は、こうして終結を迎えたのである。
「わたくしの野望がいかにちっぽけで愚かなことだと気がつかせてくれた男。それがわたくしの知る青島太一でしてよ」
「おまえ……もしかして千崎じゃないのか……?」
「どうかしら。そうかもしれないですし、そうでないかもしれないですわ」
女子生徒はしおらしく髪を耳にかき上げたかのような仕草を見せた。
もしあれが千崎美咲であるならば、元の姿は金髪ロンゲのキラキラおめ目。
彼女の周囲には謎の花が咲き乱れ、後光が差すほどの美貌の持ち主だ。
もちろん今のいで立ちは、魔法少女の衣装を着た不気味な骸骨である。
そんなとき――。
『こちら折原律子! 私はいま操舵室にいる! ここにいる船長たちも救助した! そして操舵室にきてわかったことがある! 妖魔獣の本体は船首デッキにいるぞ! でかい木のような化け物だ! 二年A組の生徒、青島の妹! 全員、今すぐ船首デッキに集まれ! 総力をあげて妖魔獣を倒す!』
律子先生からの船内アナウンスが告げられた。
妖魔獣の本体は船首デッキにいるとのことだ。
「戦うかどうかはあなたのご自由でしてよ。でもあなたは二年A組の一員、そしてレジスタンスのリーダーということを忘れないでほしいですわ。ごめんあそばせ」
女子生徒はそう言い残し、船尾デッキをはなれていった。
そんな彼女の後ろ姿を見て、太一は熱く震えた。
心臓はないが、胸の鼓動が勇むように高鳴った。
こんなところで腐れている場合ではない。
「俺が行かなくてどうするよ! 俺は桃色吐息学園、二年A組、出席番号一番! 青島太一だ!」
太一は駆けた。
フラフープを強く握りしめ、船首デッキを目指し走り抜けた。
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