第2章 フェリー

第4話 スケルトンでも屁は出る

 桃色吐息学園、二年A組一行を乗せたバスは、苫小牧港にいた。

 バスで東京へ行くためには、ここからフェリーに乗る必要があるからだ。

 およそ二十時間の船旅を経たのち、茨木の大洗港に着船。

 あとは高速道路を経由し、バスは東京を目指すこととなる。

 小樽や函館にもフェリー乗り場はあるが、それは選択肢にふくまれない。

 その理由は二つ。

 できるだけ東京に近い場所で下船するほうが、リスクが低い。

 それと桃色吐息学園の所在地の関係による。

 以上の理由により、苫小牧大洗ルートが選ばれた。

 現在の時刻は夕方の四時。

 発船まではあと三時間近くあるので、残る課題もクリアしておかねばならない。


「ですから学園長、これは夏休みの合宿だと言ってるではありませんか。生徒の成績向上のため、青年の家で何日か合宿するのです。だからバスをお借りしたのです」


 運転席に座る律子先生は、携帯で学園長に言い訳をしている最中だ。

 東京へ着くまでに騒ぎ立てられては困ることになる。

 よって必然的にブラフは欠かせない。


『バッカモーン! わしの許可なく、独断でそのようなことを決めていいと思っておるのか! 折原君、君は教師失格だ! いや、これは解雇ものだぞ! わかっておるのか!』


 太一の耳孔にも届く、電話越しからの学園長の怒鳴り声。

 学園長が怒るのはあたりまえとして、律子先生はどうこれを乗り切るのか。

 太一は固唾を飲んだ思いで状況を見守ることにした。


「解雇ときましたか、学園長」

『ああ、そうだ! このことを理事長に報告すれば、君は必ず解雇となる!』

「なら学園長も道連れです」


 律子先生は一変、強気な態度に出た。


『道連れとはどういうことだ! 君はふざけておるのか!』

「ふざけてはいません。学園長と保健の田畑先生とのことを、理事長に報告します」

『な、なんのことを言っておる!』


 今度は学園長が一変、動揺の声色をみせた。

 ハゲ頭のでっぷりとした初老の学園長には、なにか秘密があるらしい。


「学園長は結婚されていますよね?」

『そ、それがどうした!』

「田畑先生も、結婚されています」

『そ、それが今、なんの関係があるというのだ!』

「私は見たのです。学園長と田畑先生が、ラブホテルに入るところを」

『う、嘘をつくな! わしと田畑君は、そのような関係では――』

「証拠があります。なにかの切り札にと思い、私はスマホでそれを撮影しました。ラブホテルの名前は魔王城。そこに二人が手をつないで入る画像が、バッチリ残されています」

『う、うぐぅ……』


 犬のクソを踏み潰してしまったかのような、学園長のうめき声。


「学園長、それを秘密にしますので、私のことも不問としていただければ。それに合宿をするだけです。生徒の成績向上のためなのです。学園長のように不倫をするわけではありません。学園長は人として、田畑先生の奥さまに申し訳ないと思わないのですか?」

『わ、わかった! 今回のことは不問にする! だからわしと田畑君とのことだけは!』

「わかりました。そのことはもちろん秘密にしておきます。それでは」


 律子先生は交渉を終えて通話を切った。

 太一もこれには驚いた。

 女子生徒から人気も高い、あのイケメンの田畑先生と、学園長ができていたのだ。

 人は見かけによらないものである。

 ひとまず学園側の問題は解決した。

 東京では大騒ぎになるだろうが、そこにたどり着くまでが重要なのだ。

 クラスのみんなも親への言い訳は欠かせない。


「母ちゃん! 俺、勉強したいんだよ! 急だけどさ、合宿に行っていいだろ!」


 学年テストでビリッケツを争う男子生徒が、偽りの勉強に目覚めた。

 いい大学を出たい。

 大手企業に就職したい。

 両親に楽をさせてあげたい。

 いま勉強しておかないと、取り返しのつかないことになる。

 などと詭弁を並べているが、母親は感極まって涙を流しているのではないか。

 なにせテストで自分の名前を書き間違えるほどのバカ。

 採点で名前にバツ印をもらったことは有名だ。

 ちなみにそんな彼とビリッケツを争っているバカが、青島太一である。


「ママ、本当に合宿だよ。あたし嘘はついてないよ」


 クラスで優秀な成績を誇る女子生徒がさらりと嘘をついた。

 まっとうな親であればその虚言にはすぐ気づくはず。

 なにせ家に帰らないまま合宿へ行くと言っているのだ。

 さて、彼女はこのピンチをどう乗り切るのか。

 太一は女子生徒の次の言葉を待つ。


「だーかーらー、合宿で勉強だって言ってんだろが! 娘の言うことも信じられねーのかよ! 文句あるなら成績が落ちてからにしろや! このダボ助! わかったら切っぞ! じゃーな!」


 この女子生徒は、このような二面性を持っていたらしい。

 性格もおとなしく真面目で優秀だと思っていただけに、太一もいささかショックだ。

 彼女は心の中に、ただならぬ闇を抱えているのではないか。

 ともあれ、太一と里奈は長期不在の両親へ連絡する必要はなかった。

 だからみんなの言い訳が終わるのを待つことにした。

 すると――。


「兄貴って、クラスの人気者だったんだな。あたい知らなかった」


 隣にいる里奈が声をかけてきた。


「そうでもないって。ふだんはクラスの中心にもならない、ただのバカだよ」

「あ、兄貴って……彼女とかいるのか……?」


 窓側に眼窩を向けたまま、里奈はこそばゆいような声でそう問うた。


「そんなもん、できたためしもねーよ。顔面偏差値六十の俺のことだしな」

「兄貴の顔面偏差値は、せいぜい五十ってところだな。中の中、平凡中の平凡ってやつだ」

「美少女コンテスト三位のおまえに言われちゃ、返す言葉もねーな。それより里奈、おまえのほうこそ、彼氏いないのか?」

「い、いねーし……。つくる気もねーし……。いきなり変な質問するんじゃねーよ……」

「その変な質問してきたのはおまえのほうだろ」

「そ、そうだけどさ……」


 里奈は恥ずかしくなったのか、背を丸めてぎゅっと縮こまる。

 これまで北極と南極のようにはなれていた、兄妹の距離。

 それが少し縮まった気がして、太一もなんだか照れくさくなってきた。

 それはそれとして、こうして二人で話す機会はそうあるものではない。

 関係を修復するにはまたとないチャンスだ。


「なあ、里奈」

「なんだよ」

「俺のこと、そんなに嫌いか?」

「そ、そこまで嫌ってるわけじゃねーよ……」


 声の感じからすると、わだかまりがあることは確かなようだ。

 太一も腹を割る覚悟でその理由を探る。


「俺が妹もののエロアニメ見てたからか? だから嫌いになったのか?」

「兄貴がそんなアニメ見てるの知らなかったし。そんな理由じゃねーよ」

「じゃあ、なんだよ。俺が妹もののエロゲやってたことか?」

「それも今はじめて知った。だからそんなことじゃねーって」

「ってことは、やっぱあれか。本棚の奥に隠してる、妹もののエロ漫画が原因か?」

「妹もののエロばっかじゃねーか。てか、そもそも兄貴の部屋に入ったことなんてねーし」


 言わなくていいことまで暴露してしまった感は否めない。

 それでも関係修復を図るためだ。

 太一は里奈との会話を続けることにした。


「じゃあ、正直に言ってくれ。俺のどこがいやだったんだ?」


 沈黙を一拍置いたのち、里奈は小さく息を吸い込んだ。

 言うまでもないが肺はない。


「兄貴さ、あたいのブラ、見てただろ?」


 その問いには、思い当たるふしが多々あった。

 洗い物のブラジャーは洗濯カゴの中だ。

 見ようと思えば、いつでも見ることができた。

 じっさい太一は、いくどもそれを手に取り、クンスカまでやってのけた。

 だからこそ、里奈のバストサイズを知り得たのである。


「す、すまん……三日前に見た……。でもちょっとした出来心だったんだ……。ブラジャーの構造とかさ、肌触りとかさ、やっぱ男として気になるし……いや、すべては言い訳にしか聞こえんだろうな……。悪かった……とにかく俺を許してくれ……」

「三日前じゃなくて去年のことだよ。それも夏祭りより前のことを言ってるんだ」


 そう言われて太一は思い出す。

 去年の夏祭りより前といえば、里奈のおっぱいはAカップにも満たなかった。

 ゆえに妹は当時、スポーツブラを着用していたのだ。

 むろん、太一はそのスポーツブラも食い入るようにチェックした。


「ス、スポーツブラのことだな……。でもさ、スポーツブラって、スポーツメーカーが作ってるのか、下着メーカーが作ってるのか、やっぱ男として気になるし……いや、すべては言い訳にしか聞こえんだろうな……。悪かった……とにかく当時の俺を許してくれ……」


 太一の言い訳で、重苦しい空気が車内に広がっていく。

 ぶっちゃけ、妹のブラジャーをチェックする変態兄貴。

 それが言い逃れのできない事実だけに、懺悔の涙を浮かべる思いで謝るほかはない。

 すると里奈の顎骨がカタリと鳴った。


「だから――だからあたいはピーちゃんと契約したんだ。どんな願いでも叶えてくれるって言うから、あたいは魔法少女になる道を選んだんだ」

「も、もしかして里奈……おまえ……」

「兄貴の想像のとおりさ。あたいが叶えてもらった願い事は、胸を大きくしてもらうことだったんだ。スポーツブラをしてるあたいの胸を、兄貴はバカにしてると思った。だからピーちゃんにお願いして、胸を大きくしてもらったんだ」


 兄妹の関係は、元よりいいものではなかった。

 だがそれは、思春期ゆえの、誰にでも起こり得る、兄妹の関係性であるとも言える。

 それがより亀裂を増したのは、ここ一年ほどだ。

 里奈のコンプレックスだったであろう、ちっぱい。

 バカにしたわけではないが、それに追い打ちをかけたのは太一だった。

 ピーちゃんに騙されているとも知らず、里奈はおっぱいを大きくしてもらったのだ。

 その結果がスケルトンである。

 おっぱいを大きくしてもらっても、これでは元も子もなし。


「悪かった。俺の軽はずみなブラチェックでおまえを追い込んじまった。許してくれ」

「兄貴、もういいって。それに許せないのは、自分なんだ。変な勘ぐり働かせてさ、兄貴にバカにされてると思ってさ、うかつにピーちゃんの誘いに乗った、あたい自身が許せないんだ……うっ、ううっ……」


 泣くようなタマではないと思っていた里奈が、はじめて涙を見せた。

 窓側を向いているので顔が見えるわけではない。

 スケルトンに涙が出るわけでもない。

 それでも体を震わせ、嗚咽を漏らすその姿は、里奈が流す涙そのものの証し。


「人間に戻れたらさ、里奈のおっぱいはどうなるんだろうな。大きいままなのか、それとも願い事を叶えてもらう前の状態に戻っちゃうのかな」

「し、知らねーよ、そんなこと……」

「俺は好きだぜ」

「な、なにがだよ……」


 ピクリと体を揺らし、里奈はさらに縮こまる。


「里奈の大きなおっぱいも、小さなおっぱいも、俺はどっちも好きだぜ。でもそれは、家族としての好きだけどな」

「そんな家族の好きがあるかよ、このバカ兄貴」


 里奈は太一に向き直り、クスリと小さく笑った。

 しかし見えるのは、表情もクソもない、ただの頭蓋骨だ。

 それでも太一には、笑顔を浮かべる里奈の面影がそこに重なった。

 妹が抱えるわだかまりは、まるで雪解けのようにどこかへ流れ落ちていく。

 そんな気がする太一の胸もすっと晴れ、兄妹揃ってぎこちなく笑みがこぼれ落ちた。




 夜の七時が近づき、フェリー乗船の時間となった。

 律子先生は、船首ランプウェイ(車体を積み入れる開閉場所)までバスを移動させたのだが――。

 そこで男性誘導員からのストップがかかる。


「いちおう確認なんですが、バスの中を見せてくれませんか?」


 運転席の窓の下から誘導員が問う。

 フェリーのチケットは大人一人、つまり律子先生の分だけだ。

 バスの中に誰かいるのなら、その者は不正乗船ということになる。


「では確認してくれ。私にやましいところなどまったくない。ノープロブレムだ」


 もちろん、このバスはやましいことだらけだ。

 それでも律子先生は誘導員をバスの中へ招き入れた。


「こ、これはいったい……」


 誘導員が目を丸めて驚くのも無理はない。

 車内にいる生徒たちは、制服を脱いで全裸のスケルトンになっている。

 声を出すこともなく、ピクリとも動かず、みんなは座席に着いていた。


「見てのとおり、これは人体骨格模型だ。私はそれを輸送している」

「バスで、ですか……?」

「こうしてバスで運んだほうが壊れにくいのだ。なにせ値が張る物なのでな。くれぐれも言っておくが、絶対にさわらないでくれ。納入前の商品に傷がついては困る」

「そうでしたか……。わかりました……」


 誘導員は当惑した様子ながらも、なんとかごまかすことができた。

 律子先生が考案した、大胆な作戦が功を奏した。

 これでようやくフェリーに乗船することができる。

 太一がそう思い、ほっとひと安心したところ――。


 プゥ~~~~~~、プッ!!


 ヘタクソなラッパのような音色が鳴った。

 その音源は太一の座席からである。

 やってしまった。

 気が緩んだところ、思わずオナラが出てしまった。

 それもおっさんが奏でるような、二段構えのハーモニーだ。

 というか、なぜにスケルトンが屁をこけるのか。

 そこは大いに疑問が残るところだが、出たものは出た。

 おまけに太一自身でも泣きたくなるほどの、壊滅的な臭さだ。

 昨晩に食べた、ニラレバ炒めと田楽イモが原因だと思われる。


「ん?」


 バスを降りようとした誘導員は、そのオナラに気がついた。

 太一は肛門を引き締める思いで、石のようにビタっと固まった。


「今のは……なんの音でしょう? 運転手さん以外に、誰かいるのですか?」

「わ、私以外は誰もいない! 私にはなにも聞こえなかった! 気のせいだ!」


 尋常ではない律子先生の慌てぶり。

 不審者のような変装だけに、その動揺が一段と怪しさを増している。


「それに残飯が腐ったような、強烈な臭いもするんですが……」


 鼻をつまんで眉を寄せる誘導員だが、彼の表情からは疑念の色が見てとれた。

 テロリストに見える律子先生と、この臭いのダブルコンボ。

 なにかの生物兵器テロを企てている、そう思われてもおかしくはない。

 そうともなれば、警察に通報されてTHE ENDだ。

 ぼくらのスケルトン戦争は、ここで無念の敗北を喫する。

 さて、律子先生はこの絶望的な窮地をどう乗り切るのか。

 屁をこいたのは自分だが、太一は彼女の言動に望みを託す。


「この臭いは私の屁だ! 私が屁をしてしまったのだ!」

「あなた、女性ですよね……? 本当にあなたがオナラをしたんですか……?」

「女だって屁ぐらいはする! 私は昭和のアイドルとはちがうのだ!」

「それはそうですが……。普通は今ここでしませんよね……?」

「したのだ! どうしても我慢できずに、私は屁をしたのだ!」

「怪しいな~。あなた、嘘ついてませんか?」

「う、嘘などついていない! そこまで疑うなら証拠を見せてやる! い、いや、証拠を聞かせてやる! 私の屁をその耳でとくと聞くがいい!」


 律子先生は身を屈め、両の拳を握ってプルプルと力みはじめた。

 う~ん! う~ん! う~ん! と力んでいる。

 すると――。


 ボフッ!!


 戦闘機のコックピットから脱出するような勢いで、律子先生は特大の屁をこいた。

 それはアラフォー独身彼氏なしがひねり出した勇気の一発。

 はかなくも胆力のこもった、見事な一発である。


「どうだ! 私の渾身の一撃を耳にしたか! これで文句はあるまい!」

「ど、どうぞ……乗船してください……」


 この人とは絶対に関わってはいけない。

 そんな顔をしながら、誘導員はバスを降りていった。

 ともあれバスは、トラックデッキ(大型車積載スペース)に乗船することができた。

 勇気ある律子先生の行動が、生徒思いの担任の責任感が、この危機を脱してくれた。

 そんな彼女に太一は心から感謝した。

 すると――。


「おい、青島ぁ……」


 機械仕掛けの人形のように、ギリ、ギリ、と律子先生の首がゆっくりと回った。

 サングラスの表面に太一が映し出されたところで――。

 彼女の首がピタリと止まる。


「屁をしたのは貴様だな……はじめに屁をしたのは貴様だな……」


 そのひどく冷淡な声色は、大爆発寸前の予兆を意味している。

 何度も経験している太一だからこそ、それがわかるのだ。


「スケルトンなのになぜか出ちゃってさ……。どうして出たんだろうな……。腸もないのに超不思議、なんちって……」


 メスゴリラを鎮めようと思いついたオヤジギャグ。

 逆にそれが火に油を注いでしまった。

 律子先生は運転席を立ち、太一の頸椎を片手でつかみ骨格を持ち上げる。

 そして彼女は腰をうんとひねり、


「この愚か者めがあああああああああああああああああああああああああ!!」


 と、大声で吐き捨て、背負い投げの要領で太一を後部座席の方へぶん投げた。

 空気を切り裂く速さで水平に吹っ飛び、太一は頭からリアガラスに激突。

 その衝撃で全身の骨がバラバラとなるも、頭蓋骨だけが反動を受けた。

 頭蓋骨はそこらにぶつかり、スーパーボールのごとく飛び跳ねていく。

 三次元的な動きを見せるそれは、やがて奇跡的に里奈の両手へスポっと収まった。


「兄貴に彼女ができない理由が、よ~くわかったぜ」

「り、里奈……俺の骨を……組み立ててくれ……くはッ!」


 あきれたように眼窩を向ける妹の手の中で、太一はとうとう意識を失った。

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