夏の魔物






 カキーン! そう、テレビから響いた金属音に、私は顔を上げる。見上げた先、受付の台の向こう。受診者さん達の視線は、一心にテレビへと向かっていた。


『大会7号のホームランはキャプテン岸谷の逆転サヨナラ! 甲子園の魔物に飲まれたか、ピッチャー室井! マウンドに崩れ落ちたまま、立ち上がれません!』


 興奮しきった解説者の声。泣き崩れる選手達の表情をアップで映す画面。悪趣味なそれに、じくじくとこめかみが痛んだ。


「あーあ、負けちまったかぁ」

「うちの県は毎年そうだろ、いいとこまでは行くけど優勝はしないんだって」

「毎年、甲子園行く高校もお決まりだしな」


 それまで前のめりになってテレビを見つめていた受診者さん達が、一斉に溜息をついてソファの背もたれに倒れ込む。

 誰かと目が合うのが怖くて、処方箋を吐き出すプリンターをじっと見つめた。


「でもあれだろ、五、六年前にどっか公立高校が甲子園行ったことあったろ。初戦敗退したかなんかだったけどよ」

「ああ、あったなぁ! 確かここの近くの高校だったろ。なぁ、美咲みさきちゃん!」

「さぁ……? 私、あんまり野球詳しくないんで分からないです」


 そんなことより、お会計の準備出来ましたよ。そう、プリンターから領収書を引っこ抜いて、無理矢理に上げた口角で受診者の一人を呼ぶ。

 そうして笑いながらこの小さな医院を出て行ったおじいちゃん達を見送って、私は受付のカーテンを下した。時刻は五時過ぎ。定時を約十五分過ぎて、本日の業務は終了した。


 どっと肩から力が抜ける。背中にじっとりとかいた汗の感覚。……夏なんか嫌いだ。


「なんで嘘ついたの?」

「……なにが」


 パソコンをシャットダウンしようとマウスを握ったところで、背中にどしりとのしかかって来た女。看護師のいずみちゃんはそう、どこか呆れたように私を見下ろした。


「部員十五人、設立数年で甲子園まで行った公立高校のマネージャーさん?」

「……べつに、そんな真剣にマネージャー業してたわけじゃないし」


 確かに私は高校の時、野球部のマネージャーをしていた。チームは、私が高三の時に県大会で優勝して甲子園にも行った。だけど、その時のことを私はあまり覚えていない。印象的なことをしていた記憶がないのだ。その程度の部活動だったのだろう。

 じくじく、頭が痛む。熱中症にも似た頭痛だ。炎天下、ずっと外に居たような。高校時代を思い出そうとするといつもこうだ。まるで蜃気楼のように記憶の靄が邪魔をする。


「そんな程度で甲子園行けるほどうちの県大会甘くないでしょ?」

「さぁ。あんま詳しくないんで」


 そう言って肩をすくめたところで丁度パソコンの電源が落ちた。残りの業務を担当の同僚に任せて席を立つ。明日の準備があると言う泉ちゃんを残して、私は就職して五年になる、小さな医院を後にした。


 高校を卒業してからすぐ、私は医療事務の専門学校に入学した。そこで一年間学んで、今もお世話になっている医院に就職し、現在に至る。私も今年で二十五歳だ。将来のこととか結婚とか、考えなければいけないのだろうけど、とりあえず夏はそっとしておいて欲しい。なんせ頭が痛いのだ。


 一人暮らしの自宅に帰る途中、母校のグラウンドから響く野球部の声に、ぐらりとめまいがして。知らず、歩みが速くなる。


 やっぱり夏なんか嫌いだ。





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