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「それにしても、あの時は大変だったねー。本当に警察沙汰とかになってたら、出場なんて取り消されてただろうし」

「そ、そうですよね…。下手したら廃部…とか……」

「そうそうー。だから本当にありがとうね、意ちゃん」

「い、いえ…」

 ヘッドホンをいじりつつ次のCDを準備する班長の傍で、小さく縮こまりつつも数字からは目を離さない。指定されたセリフが来たらフェードアウトさせる、フェードアウトさせる……。そんなに気張らなくていいよと言われてはいるものの、初めての本番ともなるとどうしても背筋が伸びてしまう。

 あれから配役も順当に決まり、何とか本番までこぎつけた。三人も辞めるかと思ったものの、なんだかんだでそれぞれの役に落ち着いている。路悠に「そういうこと」にされ、完全に心でも折られてしまったのか…。ただ前のような雰囲気になることはほとんど無くなったので、過ごしやすくもなった。

 音響の仕事も思ったより単純で、コツさえ掴んでしまえば一人でできる。しかしいざというとき雰囲気を左右する音の重要さに潰され、途中でギブアップしてしまうのが瑕だった。当分一人ではできないだろうし、例え最上級生になったとしても誰かサポートがいないと無理だと思う。先輩に言わせるとそこまで責任を持ってくれて嬉しいらしいのだが、せめて練習ぐらいは任せられるようになろう、というのが今後の目標である。

 路悠はといえば、本人の希望が叶い今回も舞台上で声を上げている。今回は転校生役で、彼の登場をきっかけにとある昔の事件が動き出す───といった話だ。ミステリというよりは青春ものといった感じで、新しく見えるようにあえて糊をきかせた学生服が転校生という役によく合っている。

 の、だが。

「………………ていうかあれ、ウィッグですよね? 初めて眼鏡してない姿見ましたけど、あれもカラコンですよね………?」

「んー? ああ、黒髪はウィッグだけどカラコンはしてないよあの子。本当よくわかんないけど、髪だっていい加減地毛に戻せばいいのにね。残念な金髪碧眼だって、黙ってりゃ格好いいのに」

「………………………え、」

「あ、知らなかった? 今度路悠の学生証見せてもらいなよ、染めてもないしグラサンもかけてない写真だから。父親がフランス人、母親が日本人のハーフなんだってー。服と髪で誤魔化してるけど、肌もかなり白いし」

 ………え、え。おそるおそる舞台に目を向ければ、大きな身振り手振りで生徒たちを説得する路悠の姿。部室で練習を見ていた時とは違い、今は衣装も小道具も全て揃っている。単純な迫力と、照明効果や音響による舞台補正。……あ、し、指定のセリフ来た、フェードアウトさせなきゃ…!

 ゆっくりと音量調節ボタンを回していき、完全に0になった時点で班長とバトンタッチ。あとは少しあとに来るセリフの位置まで、ずっと無限ループだ。音が変わったのをきっかけに、生徒たちが団結していく。その中で微笑む、黒髪に蒼い瞳が印象的な転校生。

 一瞬、目が合ったような。

「……………人を見て少し腹立たしく思ったのは、初めてかもです……………」

「だよねー。他校の連中は普段を知らないから投票率いいし、路悠も大学戻るまで演技は続けたままでいるし。なんかこう………うん、腹が立つ。普通に」

 大会とは言えど、そんなかしこまったものでもない。他大学同士が協力して会場を借り、互いの練習成果を発表するようなものだ。しかし、そこに順位が絡まないのは面白くない。それに審査員に一方的に評価されるのも些か不満だという意見も多数あり、昔の各大学の部長たちが知恵を絞り出した結果、投票制という今の形に落ち着いている。

 キャストも裏方も、大会関係者なら一人一票が与えられる。自分の大学以外の面白かった演目を一つ選び、票を獲得した順に表彰されるのだ。本気で演者を目指している者はそれ相応の学校へ行くので、レベルはどっこいどっこいなのだが。

 しかし、それは純粋な演技そのものだけを見た話である。どこも同じぐらいの面白さだった場合、人は次に何を見るか? そう───何か輝く部分があったか否か、である。人によっては選ぶ台本の良し悪しであったり、小道具の作り込みだったりと様々だが、一番多いのはやはり好きな役者がいるかだろう。そしてそこに、(黙っていれば)(演じていれば)格好のいい男性が現れたら。

 大会は年に二度開催される。ここ二年で開催された大会の表彰状が部室に少なくとも三枚は飾ってあったのを思い出し、小さく溜め息を吐いた。

「あ、でもね? あいつにも弱点があるんだよ、一つだけだけど最大の」

「弱点……?」

「何かされて困ったら、「妹に言いつけるぞ」って言ってごらん? 少なくとも効果は抜群だから」

 妹に言いつけるぞ…? 妹がいるのだろうか? 路悠の性格上兄弟がいるなんて思ってもいなかったので、少し意外だった。次のセリフまでまだあるものの、先に次のCDを準備し始める班長の横で舞台に目を向ける。路悠の妹……彼女も奇想天外な行動をしたりするのだろうか。会ったことさえないけど、なんだか想像できる…。

 演目はそろそろ佳境。同時にエンディングも近い。班長の流すCDが終わったら、あとは自分の番で終わりだ。やはりセリフが来たら流すだけ、幕が下がり始めたらそれに合わせてフェードアウト…。もう少し、もう少しだけ頑張らなくちゃ。音響室は防音が完備されているが、そうっとCDケースを開け片付けの準備を始めていく。

「あいつの髪色が薄くなったのも妹のせいらしいよ? なんでも大喧嘩になったとか」

「つ、強いんですね、妹さん……」

「まーあいつの妹だしねー。そうだ、髪といえばさ、意ちゃんもあんなに長かったのにばっさり切っちゃったよね! 何かあったの?」

「あ、い、いえ……」

 言いつつ、そっと肩くらいまでになった髪に触れる。前髪も眉あたりで切り揃え、少し左側へ流すようにしていた。髪色はそのままなので路悠の変化に比べれば微々たるものだったのだが、友人や家族の反応は驚きを通り越していたっけ…。

 髪に大して、特に思い入れがあるわけでもなかった。病弱が続く以上、こまめに美容院に通えるわけでもない。その上一日中ベッドの上にいる、なんて日も珍しくなかったため、そもそも髪に何かするという行為自体徒労に終わることも多かった。だったらいっそのことずっと伸ばしてしまおうと、たまに梳いてもらうだけでそのままだったのだ。

 だからばっさり切ってしまうことに何の躊躇いも無かったし、別に良かった。ただ、ただ───理由をつけるとするならば。

「短い方が、動きやすいかな、…………って」

「……? うん、すっごい似合ってる。今の方が顔もよく見えるしね」

「そ、そういうところも…変えようかなって………」

 ほぼ癖と化してしまっているが、俯いてもこの長さでは表情が隠れることはない。カーテンのようになっていた髪も短くなったため、簡易的な隠れ場所はもう無くなった。それでいい。今までより少し上を見るには、丁度いい。

 演劇サークルなんて絶対に無理だと思った。病弱で、自分の意志を出すことさえ苦手だというのに。けれども少し……かなり強引に連れて来られたこの場所は、思ったより歩きやすくて。色んなことはあったけど、それでももう少し頑張ろうと思えるから。もう少しだけ、自分に自信を持ちたいと行動できるから。

 とにかく今は、音響を最後まで完遂させること。自分で選んで、任せてもらった役割なんだもん。やりきろう…! CDを取り出す。まだ再生しない設定になっているのを確認して、トレイにセット。大きく深呼吸をして───横に座っていた班長の目が、一瞬光ったような気がした。

「うんうん、いいねいいねー。…………ところで意ちゃん、キャストの方に興味は無い?」

「きゃ、キャストですか? い、いえと、特に……」

「そっかー、勿体ないのになー」

 にこにことこちらを見守る彼女の目に、全く以て諦めが見えない。いつか絶対舞台に上げてやろう、そんな意志さえ伝わってくるような。………む、無理ですって、声も出ないし演じ切る体力も無いんですって……! 集中しているフリをして誤魔化そうと機材に手をのばす。セリフはまだ来ない。舞台の上では朗らかに笑う路悠。




 その後、舞台挨拶の一環で新入生として紹介された金屋敷の登場により、また投票率が上がったとかなんだとか。

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