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「お、おはようございまーす…」

「意ちゃんおはようー。荷物片付けたらでいいんだけど、物置から工具セット取ってきてくれない? ラジカセ直そうと思ったんだけど、ドライバー一本じゃ足らなくなっちゃってさー」

「わ、わかりましたっ」

 部室に入るときは、朝でも夕方でもいつでも「おはようございます」。初めの方こそ慣れなかったものだが、少しずつ違和感は消えていった。無理しない程度に発声練習も参加しているおかげか、なんだか声も大きくなってきた気がするし。もともと呼吸器が弱いせいで腹式呼吸には慣れていたので、筋がいいと褒められ嬉しかったのは新しい記憶だ。

 室内には部長、三年生の先輩数人と、同級生が二人いたくらいだった。部長は理工学部とだけあり、サークルで起きる機械的な修理のほとんどを引き受けている。今回もその一つだろう。台本を読んでいた二人に挨拶しつつ荷物を置いて、三年の先輩から少し距離を置きつつ物置へ。路悠を疎んでいるメンバーがそのまま揃っていたので、近寄りがたかったのもあるし。

 演劇サークルは荷物が多いのとその活動内容上、普通の部活より広めの部屋が与えられていた。それでも小道具が入りきらず、学長に直談判して使っていない部屋も物置として使用する許可を得ているのだとか。案内されるだけされて入るのは初めてだ、わかりやすい位置にあればいいんだけど…。

 戸を開ければ、生暖かいような空気が流れ込んできた。それと同時に喉の奥に何かを感じ、小さく咽る。埃が積もってるのかな? 物置は滅多に使わないって言ってたけど、私が掃除当番になったらちょっと掃除しに来よう…。どのくらい掃除していないのか確かめようと、床を見つめて。

「───、─────!」

「…………?」

 何か悲鳴のようなものが聞こえた気がして、慌てて物置を見回してみる。出入り口のすぐ横にそれっぽい箱があったので、おそらくこれだろう。とりあえず取っ手を掴み、それほど離れていない部室に急ぎ足で戻っていく。

 そうっと入った室内。何か喚きたてる三年の先輩たち三人と、それを落ち着かせるように話しかける部長。同級生たちは何が起きているのかわかっていないようで、台本を手におろおろと隅の方で縮こまっているだけ。えっと、これは……?

「部費がない───」

「最初に来たのは俺たちだから───」

「とりあえず落ち着いて───」

「昨日の掃除当番は───」

「─────路悠だけ!」

 ……もしかして、路悠先輩絡みで何かが起きた………? 三人が三人一気に喋っているからか、何を話しているのか聞き取りにくい。ただ、時折聞こえる単語はよく知る先輩の名で。工具を取りに行っている間に何があったんだろう? なんだかすごい重大そうだけど…。

「…………えっと、俺呼ばれました?」

 その本人も、たった今来たばかりなのだが。



 騒動は、部費を入れた封筒が消えた、というものらしい。

 とりあえず今日来るはずのメンバーが集まったところで、三人から聴取を終えた部長から事の次第を説明された。どことなく興奮した三人から聞き出すのは骨が折れたのか、心なし疲れているようにも見えるけど。

 三人の先輩は、それぞれ依田きぬたさん、久屋原ひさやはらさん、女性の谷口たにぐちさん。谷口さんは今度の演劇で使う化粧を買い出しに行っており、部費を管理する金庫へそのお釣りやレシートを入れようとした。その時、部費の封筒が無くなったことに気付いたらしい。

 もちろん金庫内を確認したけれど、小さな金庫だからどこかに隠れていることもあり得ない。誰かが意図的に抜いたのは確実とのこと。

 今日はその三人が先に来ていて、そのうち久屋原さんと谷口さんが教務課に鍵を取りに行った。行き違いが起きないよう、依田さんは部室がある棟の前でお留守番。二人が戻ってこないうちに部長が来て、依田さんと一緒に二人を待つことに。そこに鍵を取りに行った二人が戻ってきて、四人で部室に入った。そこで特に異常は無かったらしい。

 そうして部長は演劇に使うCDを確認しようとして、ラジカセが壊れていることに気付きそのまま修理。三人は人が集まるまでいつものように駄弁っていて、その間金庫はいつもの位置───見えやすい場所に置かれていた。部長曰く「見かけよりずっと重い金庫だし、鍵の暗証番号も年によって変えるから、見えやすい位置に置いた方が防犯になる」からだという。

 それから新入生たちが来て、金屋敷が来た。そのまま金屋敷は物置に、そこで預かった部費にお釣りがあったことを思い出し、部長に許可を取ってから金庫を開けたところ、そこにいつもの封筒は無かった───。

「私たちが最初に来たのは部長も見てたでしょう? なら昨日最後までいた人間、路悠が犯人以外ありえないじゃない!」

「ちょっと落ち着いて、これが本当に盗難事件だった時、警察呼ばなきゃいけないから…」

「本当に盗難事件だった時って、部長は盗難されてないとでも言いたいのかよ!? 現に盗まれてるっていうのに!?」

「だから、路悠以外にも可能性はあるでしょ? 夜間に強盗に入られたのかもしれないし、他のサークルでも同じことが起きてるかもしれないし。まだ決めつけるのは早いと思うよ」

「なんだよ、どう見てもこいつが犯人なのに庇うのか!?」

「あーもう! とりあえずそれとなく隣のサークルに聞いてくるのと、鍵の管理帳見てくるからちょっと待ってて!! 話はそれからでもいいでしょ!!?」

 あまり声を荒げない部長が怒鳴りつけたのに勢いを殺されたのか、食って掛かっていた三人はぶつくさと文句を言いつつ引き下がった。それにまた息を吐いて、ちょっと行ってくるね、なんて笑顔で部長は部室を後にする。………自分の所属するサークル内の出来事だけど、なんだかテレビの向こうの話みたいだ。重苦しい雰囲気に、自然と溜め息が漏れる。

 与えられた情報だけで考えるのなら、確かに路悠先輩が百パーセント怪しい。でも、完全に自分しか疑われないような状況で普通盗むだろうか…? 普段の立ち回り方を見てると、どうしてもそんな浅はかな行動に出るような人だとは思えないのだ。まだ一ヵ月くらいしか一緒に過ごしてない癖に、なんて言われてしまえば、何も言えないのだが。

 空気に耐え切れず、同級生は同級生で固まっている。その隣には二年生の先輩が数人、そしてそのまた向こうに孤立するように路悠が。ただその姿は何か考え事でもしているかのようで、犯人にはとても見えない。…やっぱり、違うよね…? ぼんやりと見つめていたからか、隣に座っていた同級生が小声で話しかけてきた。

「意ちゃん、どう思う…?」

「………私は、路悠先輩じゃないと思う…。よくわかんないけど……」

「だよね…? 私もそう思うの……」

 こそこそと内緒話していたのがバレたのか、久屋原に睨みつけられ口を噤む。男の人だというのもあるが、身長が高い上に肩幅もあるのでとても怖いのだ。……なんとなくだけど、あの三人こそが犯人なんじゃないかとさえ思う。目的はもちろん部費ではなく、路悠に濡れ衣を着せるため。それだったら辻褄は合う、でも先輩たちは昨日一緒に帰ったはずだし……。

 ひどく重い空気のまましばらく経ったところで、徐に部室の扉が開いた。入ってきたのは、少し影が差したような顔の部長。もしかして、まさか…。皆が何も言わず固唾を飲み、彼女の言葉を待つ。

 かなり疲れたのだろう。手近にあったパイプ椅子に腰かけた部長は、ゆっくりと口を開いた。

「………他のサークルで盗難は起きていなかった。鍵も、昨日路悠が返してから今日谷口が借りに行くまで、誰も借りてない。貸出記録も無かった」

「じゃあやっぱり───」

「だから、教務課に連絡して、警察や第三者に任せようと思うの」

「はあ!?」

 立ち上がった勢いで倒れたパイプ椅子がけたたましく音を立てる。思わず同級生とともにびくりと肩を震わせたものの、そんな金屋敷たちにも目もくれず依田は部長に掴みかかった。

「あそこに犯人がいるのに!? 誰の目で見たって明らかだろ!!」

「第三者から見てもそうだとは限らないよ。しかも、これはもう犯罪。サークル内で解決できる問題じゃない」

「あいつを問い質せば済む話だろ!! おい路悠、お前部費をどこにやったんだよ!!」

「───どこにやったなんて、変なこと聞きますね先輩?」

 今まで一言も発さなかったのに、来た時以降初めて喋った路悠の言葉。それがそんな煽り文句だったからか、依田はますますこめかみに血管を浮かべて今にも掴みかかるように路悠へと近づいていく。そこでやっと二年生の男性の先輩が立ち上がり、どうどうとなだめに入った。部長は依然疲れた調子のままで、また路悠も何か考えるのに戻った様子。

 …………あれ、今、何か引っかかったような。

「路悠も火に油を注がないの。……とりあえず、差し当たっては教務課に連絡ね。事情については谷口たちが一番詳しいし、私が説明するのに付き合ってもらってもいい?」

 一旦場を収めようとしたのか、溜め息交じりに部長が立ち上がる。……路悠先輩って、こういう時不必要に煽るような人だっけ? むしろ率先してまとめようとするタイプのような気が…。じゃあ、なんでさっきあんなこと言ったんだろう? 何か意味があったとか? もしくは、確認……?

 わからない、けど………何かがすごく引っかかる、気がする。頭の中に確かにあるのに、もやもやとした何かが邪魔をしてよく見えない。なんだったかな…もしかすると、これが答えかもしれないのに───。

「いや待て部長。もう少しだけ待ってやってほしい」

「…え、何?」

「何、やっと認めたの?」

「いいや? いつも引っ込み思案な後輩が何やら思いつきそうなのでな」

 路悠の言葉に、部室を出ようとしていた二人が足を止める。どうやら依田と久屋原はついていかないことにしたらしい。依田さんと……久屋原さん? あ、と脳裏に閃くものがあった。これだ。たぶん、絶対これだ…!

 同時にはっと我に返り、部員が全員こちらを見ていたことに気付く。え、あ、全然話聞いてなかった……! 一気に顔が赤くなっていくのを感じ、思わず小さく謝りながら俯いた。………自分の中では確かにこれで合っている。でも、これが正しいなんて保証はない。もし違ったら? 間違っていたら? ただの気のせいだったら? 怖い、それがとても、怖い───。

「大丈夫だ、金屋敷」

 シンと静まり返った室内。ただただ落ち着いた路悠の声は、普段とはまるで別人のようにも聞こえる。大丈夫…? これで合ってるんですか? 私しか知らないのに? 間違ってるかもしれないのに…? ゆっくりと顔を上げる。奥が見えないほど分厚いレンズの向こう、目が合った気がした。

「何せ、間違っていたとしても被害が来るのは全部私だからな!」

「…………それ、どこが大丈夫なんですか」

 腕を組み、自信たっぷりに言われ小さく吹き出してしまう。…そうだ、こういう先輩だった。いつもふざけているけど、それだって時と場合を弁えている。練習の時は誰よりも真剣に、全力で演じる人。行動が読めないのが玉に瑕だけど…。そんな人が大丈夫だって言ってるんだ、きっと大丈夫。

 ゆっくりと立ち上がり、小さくスカートの裾を握りしめる。震えてるのが自分でもわかるし、やっぱり怖い。でも、それ以上に。内心の焦りを誤魔化すように、先輩の方を向いた。

「確認してほしい場所があるんです、………久屋原、先輩」

「……俺に?」

「は、い。…………多分先輩でないと、できないと思うので………」

 ついてきてくださいと小声で言い、部室を出る。後ろから足音が聞こえた後、続け様に色々な足音が続いた。………大丈夫大丈夫、たぶん大丈夫……。間違ってたときは、また考え直せばいいから………。移動していくうち、目的地がどこかわかったのだろう。後ろで息を呑むような声が聞こえた。

 扉を開ければ、少し前も嗅いだ埃っぽい匂い。また小さく咳き込んだあと、久屋原も入れるよう中に入り退いた。

「………物置? ここに何かあるの? 意ちゃん」

「多分、なんですけど………先輩、あそこです」

「……………………………」

「あそこの、棚の一番上にちょっと見える、茶色っぽいやつです」

 久屋原は何も言わない。じっと見つめていれば、息を一つ吐いたあとゆらりと一歩踏み出した。久屋原さんは背が高い───それも、部員一。依田さんや他の部員も平均ほどあるけれど、誰か一人を押さえつけるのに二人で事足りるほど。久屋原さんが暴れだしたら、それこそ誰にも手がつけられないだろう。そんな彼ぐらいにしか届かないような場所。

 予想通り、久屋原はひょいといとも簡単に取ってみせた。その後、それを億劫そうに部長に渡す。

 サークル名:演劇、2018年度予算───。

「これ……っ、これだ! 部費の入った封筒!!」

「な、中身はどうなんです部長!?」

「…………………、無事、みたい……。こんなところにあったんじゃ、誰にもわからないね………」

「……………………………………………………」

 いや、半分違う。

 正解でよかったと思う反面、なんて声を発せばいいのかわからない。気のせいじゃなかったし、当たっていた。この人が隠したというのなら、他の二人も共犯だということ。きっと、動機さえ思っていた通りで。……よくある話、なんて言ってしまえばそれまでなのだが………ひどく、後味が苦い。

 物置に入ったとき、埃に噎せた。だからきっとかなり埃が溜まってるんだろうなと、何の気なしに床を見た。予想通り地面には薄っすらと埃が積もっていたけれど───そこには、誰かの足跡があったのだ。しかもくっきりと綺麗に。最近、物置に入った人がいる…? 滅多に使わないなんて聞いていたものだから、なんだか気になって足跡の先を追ってしまった。そうして工具箱より先に見つけたのは、天井まで届きそうなほど高い棚で。

「………あんな場所、久屋原にしか届かないね。路悠は背が低い方だし、昨日の夜時間があったとしてもわざわざ脚立を持ってくるよりもっといい場所があるはず」

「さらっと気にしていることを…」

「久屋原が隠したってことは、一緒に鍵を取りに行った谷口も共犯ってことでいいんだよね? 早めに鍵を借りて、部室へ行って、封筒を隠してまた鍵を閉めた。あ、依田は見張りだったってことかな? その間来た誰かを中に通さないように。それで全部の準備が完了したら、何食わぬ顔で後から来た私と合流する。こんな感じ?」

「………………」

「あんたたちの路悠への嫌悪は、部長として知ってたし黙認もしてた。部員同士のいざこざにまで口を出す気はないし、路悠が気にされるのを避けてた節もあるしね。でも、今回はちょっと行き過ぎなんじゃない? もし意ちゃんが気付かず、あんたたちも何も言わなかったら危うく警察沙汰だよ? 一体どうするつもり?」

 小さく入れた路悠の茶々も無視して、部長は声のトーンも変えず淡々と三人に問いかける。さっきとは打って変わり、三人はずっと俯いたままだ。谷口さんはバツが悪そうな顔をしながらも、どことなく泣き出してしまいそうな雰囲気だし…。敵を作ろうとして自分が敵になってしまったときの空気、周りの目。誰かのせいにしたくても、全部が全部自業自得で。フォローさえできないし、しようと思う人間もいないだろう。

 しばらく三人を見つめていた部長は、不意に路悠へと視線を向けた。おそらく、路悠に全ての采配を任せるつもりで。……路悠先輩がいつからここまで嫌われているのかは知らないけど、少なくとも自分が入部したときにはすでにこの状態だったのだから、ずっと前からに違いない。今まで溜めてきた鬱憤を晴らす? とにかく責め立てる? 先輩は、一体───。

 皆が固唾を飲んで見守る中、ゆっくりと路悠が三人に向かって歩き出す。動いたのが路悠であることに気付いたのか、三人は一歩だけ後退った。丁度その真ん中にいるような形になってしまった金屋敷は、隠れるように物置の奥へ入り込む。先輩…まさか……? ひどく緩慢な動作で近づいてくる彼の眼は、相変わらず見えない。

 やがて立ち止まり、また静寂が訪れる。時が止まってしまったかのような感覚。何時間にも感じられる数秒。皆呼吸さえ忘れて、目の前の行く末をじっと見つめて。

 映画のワンシーンのようなそれは、けれど呆気なくぶち壊された。

「───いやあ、というお話だったのだよ! 無事に部員全員を騙せたようで結構!! 私は大満足だ!!」

 急に振り返り、思い切り両手を広げて。まるで通せんぼするように軽快に笑う路悠に、誰も着いていけていない。………え、な、何の話? そっと三人の顔色を伺ってみても、唖然としたまま動けないようだ。全員が呆気に取られている中、路悠だけがいつものように笑っていて。手先を覆い隠すぶかぶかの服も、背の低い彼を大きく見せるように。

 三人を守るように。

「ど、どういうこと? あんたは嵌められたんじゃ…」

「そこまで全部お芝居だった、ということだ。ほら、近々次の演目の役者を決めるオーディションがあるだろう? そこへの予行演習がてら、どこまで皆の実力がついてきているのか実践しようと思ってな!」

「いやでも、そこの三人も何もわかってな───」

「───そういうことにしておいてくれ、部長」

 慌てて我を取り戻した部長が確認しても、路悠の態度は変わらない。それどころか空気を追いやるように語尾を明るくして、まるでそちらの方が本当のように。…え、いや、だって、先輩は被害者なんじゃ…? こちらに背を向ける彼の顔は、どうしたって見ることができない。けれども何か言いかけた部長が溜め息を吐き、仕方なさそうに微笑むのを見て、何も言えなくなってしまった。

 自分に向けられた明らかな敵意も受け止めて、一体この人は何を考えているのだろう。どうして庇うのだろう。どうして責めないのだろう。

 どうして、何もなかったかのように、話せるのだろう。

「じゃあ解散! 少し休憩したら練習始めるよ、各自台本用意しといてねー」

 ぱん! と勢いよく叩かれた手に、ようやく時間が動き出した。ぎくしゃくとしながらも他のメンバーが部室に戻っていき、部長もちらりとこちらを見てから歩き出す。………完全に、出遅れた。立ち位置的に仕方なかったとはいえ……路悠先輩と戻っても……大丈夫かな……? そっと顔色を伺おうとしたとき、やっと彼はこちらを振り返った。

「…………先輩方も、そういうことにしておいてくれますね?」

 いつもと変わらない、不敵な笑み。この場を諫めてやったとか、見逃してやったとか。そういった感情は、一切無くて。ただただ言葉の通りしかない───何事も無かったかのような。練習前に、物置前へ集合しただけのような。

 ついに耐え切れなくなったのか、谷口が一気に泣き出した。それを傍にいた依田が慰め、残った久屋原が路悠と対峙する。ただそれでも、彼の表情は変わらない。薄いピンク色の髪を揺らし、口元で微笑むだけ。

「……何を考えてる?」

「あーそれ、確か前も聞かれましたよね。ならもう一度答えましょう───」

 勿体ぶるように、路悠は大きく息を吸う。まるでここが大きな舞台のようだ、彼を中心として回るシナリオが演じられる劇場装置。誰も彼もが役者で、その中でひときわ大きな役回りの───。

「───演劇がしたいんですよ、俺は。演劇ができるのなら何がどうであっても別に構わない。逆に言えば、それ以外はどうでもいいんです。俺自身がどう思われていようと、何をされようと」

 また、三人が唖然とする番。今度は金屋敷も息を呑み、何も言えなかった。うまく立ち回っていたのも、サークル内の空気を悪くして演劇ができなくなるのを懸念したから? 今回を無かったことにしたのも、今度の演目のオーディションが近づいていたから?

 演劇がしたいと、たったそれだけの理由で。

「……………は、はは。やっぱりお前、わからねえわ……。むしろ、なんでこんなとこに居んだよ…? そういう大学行きゃあ、よかったじゃねえか…………」

「それが、ちと奇縁が重なってですな。目標にしようと誓った先輩が辿った道を追いかけてみたんですが、まあ得るものも多くて多くて。いやあ、現実は本当に面白い!」

 いつものようにけらけらと笑った後、踵を返し路悠は歩き出す。三人のことも気がかりだったが、今はとりあえず彼の後を追いかけることにした。いい先輩───うん、いい先輩、なんだけど。小走りに追いかけ、少し後ろに着く。気付いたのか、軽く路悠が振り返る。

「ほら、言っただろ?」

「え?」

「被害が来るのは全部私だ、って」

 にっと笑う一つ上の先輩。この人の勘違いで始まった生活は、ある意味全てが新鮮で。あの日、少しでも違うことが起きていれば、今この場にはいなかっただろう。入っていたのは園芸サークルか、はたまた別のサークルか。ただ、まあ。

「………でも、演劇はできますしね」

「全くその通りだ! 今日も発声練習やってくぞ!」

「は、はい」

 どうしてか退部する気は起きないな───とは、思ってしまうのだ。

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