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 ふらふらと、アテなんて無い。いや、そもそもアテがあったらもっと他の場所を選んでいた。アテも無くツテも無く、たった一人丸裸になれる場所。探して探して、やっと見つけたこの場所に一人。

 今思えば、こういう性分だったのかもしれない。人を求める癖に、いざ隣にいられるとやがて落ち着かなくなってしまう。そうして自分を偽って、壊して、自己嫌悪して。やっぱり優しくなんてないよなぁと、見たことのある看板の店に入る。

 なんとかコーヒーを注文し、席に着く。店員が運んでくると同時に、Wi-Fiが繋がった。

「………わぁお」

 正直もっと少ないかと思ってた。驚き半分申し訳なさ半分、ちょうど来ていた着信に出る。

「はいもしもし」

「う――――――宇治野!? 宇治野、宇治野なのか!? 宇治野だよなお前!!?」

 スピーカーにしているのかと思うような怒鳴り声に、周囲にいた客が何事かとこちらを見る。いやお前がかけてきたんじゃねえか、ていうかそんな大きな声出せたんだな…。罪の意識はどちらかとなんて言えないほどあるが、なんだか笑ってしまう。手刀を切るようにして周囲に謝り、席に座り直した。

 ああ、やっぱり、なんだかんだ言っても―――あいつの隣が一番落ち着くんだろうなあ、とか。

「お前今どこにいんの!? どこ探してもいなくてっ、一週間以上も音沙汰無くて、僕、おま、おまえぇ………!!」

「え、お前泣いてんの? おい、ちょ?」

「泣くに決まってんだろばか!!!」

 混乱しているのか、彼のことだから元々悪口の語彙が無いのか。両方なんだろうなあと思いつつ、コーヒーを一口。さすが本場、適当なチェーン店とはいえレベルが違う。同じ値段を支払うのが申し訳ないくらいだ。

 窓の外。見える街を、時計塔が見下ろしていた。

「うじ、うじのぉ…!! おまえ、ほんと、ぶじ、ぶじでよがっだぁ……!!」

「あー………い、いいから泣き止めって。ごめん、緑」

「…………さんふん、待って」

「おっけ」

 電話代は向こう持ちになるが。流れる時間は同じはずだが、こちらの方が使い方に余裕を持つらしい。ゆっくりと流れる時間に身を任せるように、電話口から聞こえる嗚咽に耳を傾ける。…悪いことをしたと思っている。悪いことをしたし、酷なことをした。でも、それでも。

 ここまで泣いてくれる友人を持って幸せだなあ、なんて。

「………まず、一つ目。今、時間ある?」

「あるよ、たっぷりとな」

「二つ目。あー………え、っと。どうして、急にいなくなったの?」

 コーヒーを一口。一気に言いかけて、少し思いとどまった。

「……壊れかけたから。中学の時の、再来だよ」

 何が良くなかったのだろうと、今でも思う。

 順調だった。驚くほどうまく行って、人生の絶頂期と言っても過言ではなかった。思い描いた未来を手に入れ、隣には緑がいる。充分すぎるほどのシナリオと筋書きに、いつも夢オチなんじゃないかと冷や冷やしていた。けれど実況中のあの適度な緊張感は現実のものだったし、緑の家に泊まって行う生放送はいつもてんやわんやだった。それでも、それでも。

 どこからか解れて解けて解けなくて―――がんじがらめになって、擦り切れかけた。

「壊れるって、…直感で悪いけど、そう思ったんだ。だから逃げた。中学の時みたいに、吐いて閉じこもりかけた。そうなる前に逃げなきゃって、な」

「……そ、っか。………宇治野が言うのなら、そうなんだろうな」

「おう」

 緑自身も覚えがあったのか否か、特に言及してこない。あるいは彼の性格ゆえか。なんとなく後者の方だろうなと思いつつ、背もたれに背を預ける。

「三つ目。こっちには帰ってくる…?」

「帰ってくる。いつかはわからねえけど、絶対に帰る。それだけは約束する」

「四つ目。………AAは、どうすればいい?」

「…………………」

 言葉に詰まった。何も考えてなかったわけじゃないし、AAを含めて酷いことをしたと思っている。だからこそ、軽く反応もできなくて。……どうすればいいと、いつになく弱気な声。胃が痛い胃が痛いと言いつつも、自分のやるべきことをきちんと見出して、それを完遂させるこいつの弱音。ちくりと何かが胸を刺したが、後悔はしていない。

 ごめんは、もう、言ったから。

「緑の好きでいい。宇治は失踪したって言って緑だけで続けてもいいし、これを機にお前も失踪したっていい。別のグループに入ったっていいし、何してもいいよ。それはお前に―――新雪に、任せる」

 元はと言えば、お前は巻き込まれた側なのだから。

 会話はそこで止まる。空になったコーヒーカップに、店員が話しかけてきた。拙いながらもおかわりを頼み、到着するまでまた空を見上げる。薄く霧のかかった空は、晴天ではあるものの薄暗い。人間誰しも影の部分はあるというが、緑みたいだな、なんて思った。

 全面的に影を押し出しているというのに、あの男に自覚は無い。それどころか優しさに変えて、振りまいて、自分のような輩にも捕まってしまう。…誰にでも優しいのは罪であると語ったのは、いったい誰だったか。笑い飛ばすようなお偉いさんの言葉は、深く胸に沈み込む。

 なあ緑、―――新雪。

 お前はこの二年、楽しかった?

「わかった。AAは僕が続けていく」

 決意し、覚悟したような声に、ふっと笑いが漏れた。ちょうど店員がコーヒーを運んできたところだったので、怪訝そうな顔をされる。…はは、あはは。お前ならそう言うと思ってたって、…今更言ったら反則かなぁ? だから任せてきたんだって、任せられると思ったんだって。

 俺がいなくても、世界は回ってくれるって。

「気が向いたら帰ってきなよ、全力で投げてやるから」

「ちょっおま、そこは熱い抱擁で出迎えてくれよ」

「だぁれが男相手にそんなことするかよ。いきなり消えた分と、お前が持ってた動画ストックの分と、色々込みで背負い投げるから覚悟しろ」

「お前の背負い投げやたら殺意高いから嫌なんですけどー。勘弁してくれよ新雪くーん」

「叩きつける寸前に後頭部守るだけ僕に手加減されてると思えばか」

 軽口にしっぺ返し。軽く笑えば、呆れて釣られたように緑も笑った。……本当に、俺の相方は、いい奴だよなあ。その原料が狂気だって、やはりこいつの根は優しい。いや、優しすぎる、か? 今度あちらに帰った時は、緑家族に日頃の感謝を込めて何か贈った方がいいかもしれない。

 こいつと出会えてよかった。

 緑が緑で、本当によかった。

「じゃあ、五つ目。今どこにいんの? なんか英語聞こえるんだけど…」

「ご名答。今宇治野くんは、なんとアメリカのニューヨークにいる!」

「えっどこ!? どこにいんのお前?! 時空間でも移動してんの!?」

「元学級委員の緑くんとはいえ、さすがに苦手科目の地理は克服できてないかー」

「いやそれくらいわかるから! 国名と州名をごっちゃにすんなよ!! 本当にお前どこにいるの!!?」

「―――――ロンドン」

 聞こえてくる英語は全てイギリス英語。行き交う人々は穏やかで、時に紳士であり、淑女である。未だ馴染まない宇治野は観光客のような雰囲気が抜けず、土産専門店に引っかかっては丁重にお断りしている。まあ、もっとずっと後になるが日本にも帰るので、その時にお世話になろう。

 今はまだ、このままで。

「自分を探しに。宇治野秋良ってやつを、探しに来た」

「…うじ、の」

「だからさ、宇治金時は、お前が守っといてくれ。俺が探さなくていいように…見失わないように。頼んだわ、新雪抹茶」

 きっともう、この名を呼ぶのはずっと後になるのだろう。緑のいない世界で―――宇治金時ではない世界で。たった一人、宇治野秋良という人間を探すため。彼がどういう人物で、どういう奴で、どういう馬鹿な中学生なのかを、ずっと探していく。

 帰る場所は、たった一人の親友が背負ってくれるみたいだし。

「…わかった。ちゃんと見つけてやってこいよ、宇治金時。あいつ、割と寂しがり屋みたいだし」

「え、マジ? 初耳だわ」

「寂しがり屋で騒がしい癖に一般人で、信頼できる人を見つけるとどんどん調子に乗るタイプだから。警戒して探すといいと思うよ」

 なぁるほど、彼はそんな奴なのか。思わぬところでヒントをもらったし、案外早く見つかるかもしれないな。喉の奥を鳴らして、温かいコーヒーを喉奥に流し込んで。

 緑晃の親友だという彼を、探しに行こう。





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