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 一通り宇治野のプレイを見たあと、家族が心配するからと早々に緑は帰った。きっと家に帰ったら、今日見た通りにプレイし、先へ進めるのだろう。…緑は、ゲームは得意なのだろうか。発売当初からやっている自分と並行に進んでいるとなると、それなりにできるようだが…。しかも彼は学校や部活もある、腕前は同等くらいかもしれない。

 なんとなく。それほど進んでおかないようにしてやろうかと、そんなことを思った。

 緑自身もそれが気になったらしく、次の水曜日も来ていいか、なんて。ああいう風に後ろで騒ぐだけなら気にならないし、自分に一切興味を抱かない相手はむしろ心地よかった。あいつは自分に何も思っていない、なら素の状態でいたって何ら問題は無い。自分が気にしないのと同じくらい、相手は何も思わないだろう。小学校時代を知らないならなおさらだ。元気が無いと言われることも、期待の視線を向けられることも。

 たぶん俺は優しいだけだった、なんて思ったのは、いつのことだったか。昨日のことにも思えるし、もっとずっと前だった気もする。ちょっと優しいだけの男が優しくなろうとして、壊れて、そんな自分が嫌で、―――誰も見ないでくれ、と。こんな優しくない自分は自分じゃないから、誰も見ないでくれと、そう言いたかったのかもしれない。それを言うにはやはり優しさが邪魔をして、言葉以外のものを吐き出した。

 見なかったのは、緑だけだった。

 マニュアル通りの優しさで、機械的な行動で。どこで培われたのかなんて知らないが、それが結果的に宇治野から目を逸らした。いや、目なんてもともと合わせていなかった。ひょっとしたらあいつは誰の目も見ていないのかもしれない。優しい優しい緑くんは、誰も見ず、誰とも目を合わせないから、誰にでも優しくできていて。

 優しかっただけの宇治野と、優しさなんて最初から持ち合わせていなかった緑。それが心地良くて生ぬるくて生きやすくて―――息しやすかった。

 奇妙な関係は、その後一ヶ月続く。プリントを届けに来てゲームを見て帰る日と、ゲームだけ見て帰る日。緑の口ぶりから大体の進度は推測できるが、ほぼ同じくらいのスピードだった。…こいつの睡眠時間、どうなってんの? 宇治野こそ真夜中までやるタイプだが、緑はそれ以上らしい。言動が穏やかなのも、もしかしてこいつ眠いだけなんじゃ…。

 興味をもたない緑に宇治野が興味を持ちかけたとき、ゲーム内でお知らせが表示される。大型アップデートのため、明日一日はログインできないらしい。ただ明後日となればメイン・サブストーリー追加、ミニゲームどころか新機能も実装されるとのこと。ディレクターのインタビューを交えながらの詳細はかなり心が踊り、明後日が楽しみになった。ちょうど緑も来るし、あいつが何か言うこともあるかもしれない。……ただ。詳細の一番大きい見出し、メインとも呼べるアップデート。新しいメインストーリーの欄の解説に、否応無く笑みが消えた。

 フレンド協力バトル。もともとそういう趣旨で作られたゲームだったが、さらにそれを奨励する機能。フレンドが最低でも一人必要、しかもその場合かなり難しくなるらしい。フレンドがいない―――作ってこなかった宇治野にとって、絶対にクリアできないのは明白で。

 …………いや、でも。

 今がチャンス―――なのかもしれない。

 アップデートを完了させ、別のゲームを起動する。いつも後ろで内職をしながらこちらを見る母親も、いつもとは違うことに気づいたようだ。ただ、多分、今日動かなかったらもう動けないから。こんなチャンス、きっともう無いから。

 チャイムが鳴り響くと、宇治野はゲームの電源を落とした。

「緑ですー。プリント届けに来ましたー」

 コードを整理し、アダプターを取り付ける。ログインIDを打ち込み、ゲームを起動させた。アップデートしてから初めての立ち上げなので、少し重い。けれどまあ、これくらいなら支障は出ないはず。

 母親がプリントを受け取り、靴下の足音が聞こえてくる。………大丈夫、今の俺なら。いや、違うか。

 緑なら、大丈夫。

「……うじ、の?」

 思った通り、向かい合って立つと自分より少し高い。かなり高い方だと思ってたんだけどなぁ…。笑顔を作ろうとして、やめる。大丈夫、こいつは俺を見てこなかった。今きょとんとしているのさえ、俺が予想外の行動を起こしたからだ。大丈夫、大丈夫。

 笑わせようとしなくたって、大丈夫なんだ。

「緑。お前、何の職業使える?」

 声が上ずっている。廊下で目を丸くする母親の前で、緑は呆けたようにずっとこちらを見つめていた。その顔に、知らずこちらの笑いが漏れる。ああ、家族以外の前で笑ったのなんて、いつ振りだろう。家族以外と話すのも、家族以外に興味を持つのも。

 笑わせようと思わないのも。

「んー………僧侶とバトルマスター、かな?」

「なんだそれ、正反対じゃん」

「僧侶がもともと好きだったのと、フレンドさんからいい武器譲ってもらったからだよ。どしたの?」

 むぅと頬を膨らませ、意外だという風に聞いてくる。何の職業ができるか聞けるとか、一緒に遊ぶ誘い以外の何物でもねえじゃん。どしたのって、本当にお前俺に興味無いんだな。笑ってしまううらい失礼なその態度が、心地よくて仕方なくて。用意していた紙を差し出すと、未だ頭の上にはてなマークを浮かべながら受け取った。

「それ、SkyouのID。アプデ前からシナリオ進めてないからさ、今日は早く帰ってその番号追加しといて」

「…?」

「お前のシナリオ手伝ってやるっつってんだよ、その代わり俺のシナリオも手伝え。バトルマスターで派手に暴れろよ―――援護は任せろ、死なせないから」

 やっと合点が行ったのだろう。ニヤリと笑い、緑はポケットにメモをしまう。ずっと、何ヶ月も前から知っていた相手。声と性格しか知らなくて、でも同じクラスの委員長で。宇治野が普通に通っていれば、一度くらいは話す機会もあっただろう。それもなく、やっと話したクラスメイト。

 初めて、目が合った。

「………わかった、家帰ったらすぐに通話かけるよ。援護も任せる。でも、アクションが苦手なだけで、敵の動きを読むのは得意なんだよ?」

 厚そうなレンズの奥の目が、楽しそうに細まる。きっと俺もそうなっているのだろう。ああもう、本当にこいつは、面白い。マニュアル通りの対応が、機会的な受け答えが―――こんなにも、楽しい。右手を差し出せば、ぱしっとその手が取られる。宇治野より少しだけ大きい割には、細い指だった。

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