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 初めて緑が宇治野に興味を示したからか、あの件は夕食の話題にさえ上った。あのゲームのせいで話しかけられたのなら、また別のゲームを買ってこようか? そんな父親の問いに、ゆっくりと宇治野は首を振る。

 あいつは、あれは、「俺」に興味なんか示していない。

 あいつが気になったのは―――「俺の」やっていたゲームだ。

 ここまで突き詰めてしまっていれば、気遣いでもなんでもないただの性格だろう。興味がない…元より眼中にない。いや、眼中にはあるのか。あるが、他の対象物と比べ、興味を注ぐ量が極端に少ない。そこまでは当たり前だが、あいつの場合、興味を持つ何かがあったとしても目を向けていないのだ。あいつは最後まで、プリントを届けに来ただけだった。

 分析しようと思えば思うほどに、気持ち悪い。得体が知れないというか、あんな人間初めて見た。きっと今までのように笑わせようと思えば、あいつは笑うだろう。でもきっと、それはマニュアル通りの笑い。相手が笑わせようとしてくれたからあいつは楽しく感じ、面白いと思い、その表情を変える。それはきっと全て本心だが、言うなればプログラムされた本心だ。…機械に感情が備わったら、緑が出来上がるのだろうとも思う。

 なんてバカみたいな話で―――ただ、宇治野は未だ、緑の顔を知らないのだった。

 そんな彼との唯一の共通点となったゲームをやり始め、早三週間。毎週追加されるサブストーリーを回収しつつ、レベルを上げてメインストーリーへ挑む。プレイヤーが動かすアバターとは違い、AIは所詮AI。予想外の行動しか起こさないので、難易度が極端に跳ね上がる。ただそれでも、誰かと進めるという選択肢は、未だ選べなくて。

 チャイムが鳴り、母親が玄関へ出る。いつも通りのサイクルの中で、あ、と緑が声を上げた。

「宇治野もうそこまで進んでんの!? 早くない!? 俺まだそこの謎解けてないんだよ、ねぇちょっと見せてくれない!?」

「―――――――」

 ああ、まただ。またこいつは予想外の行動をとる。二回目なので息苦しさは薄れたが、微かに指が震え始めていた。結論付けた通り、あいつが興味を示しているのはゲーム。だからそれに興味を示して―――んん?

 緑が興味を示したのは、「まだ解けていない謎の答え」。解けていないから見せろと言った。ということは、「その答えを解いた宇治野」にも反応した…?

 慌てたように言葉を詰まらせる母親の声が聞こえる。少し迷った後、ちょっと待っててと声をかけてから、スリッパの音がこちらに向かってきた。

「秋良、…………どう?」

 母親は緑を気に入っている。以前の母親なら、間髪入れず断っていた。何か適当に理由をつけるつけないの差はあっただろうが、宇治野に聞くような、追い打ちをかけるような真似はしなかったはず。それを聞いてきたということは―――ああ、もう。

 ここまで考えるのも、言い訳くさい。

「………いいよ」

「…そう」

 …よく思い返せば、緑が来ている間に言葉を発したのはこれが初めてだった。掠れそうなその三文字に頷くと、またスリッパを鳴らして廊下に戻っていく。嬉しそうな緑の声に、心臓が急速に冷えた。…大丈夫、大丈夫。ゲームを見せるだけなのだから、大丈夫。

 お邪魔しますと、靴下がフローリングを踏む音が聞こえてくる。あともう少し、もう少し。大丈夫、大丈夫だから。……足音が止んだタイミングで、ゆっくりと宇治野は後ろを振り向いた。

 背が高いと聞かされていたが、予想よりずっと高い。宇治野も高い方ではあるものの、天井より低いドアの上にぶつけてしまいそうだ。真面目そうな黒髪に、これでもかというほどかかった天然パーマ。一見眠たげな優しい目尻は、いい人そうな雰囲気をかもしだしている。

 こいつが、緑―――。

「ありがと、宇治野。後ろで見てるね」

 言うが否やウィンドブレーカーを脱ぎ、そっとソファーに腰を下ろす。お茶を持ってきた母親にも礼を言い、さっそくと言いたげにメモ帳を取り出した。ここから緑の家がどれくらい遠いのか知らないが、それなりに離れているのかもしれない。特に何も言わないまま、宇治野はゲームを再開させる。

 緑は見たいと言った。なら、解説は言わなくていいだろう。聞かれたら答えればいい、………こいつは多分、聞いてこないと思うけど。見たいと言った手前、この男はそれ以上のことはきっとしない。何故なら、見たいとしか言っていないからだ。教えても、知りたいとも言っていない。

 本当に、機械仕掛けじみていて―――読みやすい。

「あ、まだそこでアイテム使わないんだ!? 壁蹴りで乗り越えて……へー、うまくハマるといけるんだね、なるほど」

 後ろが騒がしい。けれどぎゃんぎゃん騒ぐというよりは、自分自身への確認のようで。こちらが解説する必要も無く、画面を見るだけですんなりと受け入れている。…学級委員は、クラスで成績が高かった四人の内から二人選ばれる、だっけ? 納得させるような理解力に、カチカチとコントローラーをいじる。

「あーそこも解けてなかっ……え、そこでアイテム使うの? 台あるのに? …………………あ、あ、あぁ………! そういうことかぁ…………!」

 …人のプレイで、随分と楽しそうだ。それだけこのゲームが好きなのだろう。プレイしている男なんて気にせず、わいわいと納得して笑って。興味を示さないが故の、時間を共有しているだけの別世界。

「うおぉ…そういう風なシステムなのか………やっぱりすごいなあ、」

 ああ、

「このゲーム」

 息苦しさは、どこかに消えた。

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