5

 オンラインゲームではあるものの、フレンドシステムは使わなかった。「人を笑わせなくちゃいけない」という強迫観念は義務感となり、人そのものに恐怖を抱かせる。それは姿形、声さえ聞こえなくても同じことで。なるべくAIの仲間を集め、シナリオをクリアしていく。

 それから何日か。すっかりハマった宇治野の耳に、いつもの時間のいつものチャイムが届いた。

「こんにちはー。届けに来ましたー」

「ちょっと待っててねー」

 心なし楽しそうに玄関へ向かう母親を後目に、提示された謎をメモしていく。難しくは無いが一筋縄ではいかない謎解き要素も魅力の一つで、躍起になって解いていた。まだ発売されたばかりで、攻略サイトも頼ることができない。最先端にいる気がして、なんだか鼻が高かった。

 プリントが少なかった理由を聞かされて以来、母親はかなり緑を気に行ったようだ。最初の頃の「せっかく元気になった息子をまた壊されるかもしれない」という心配はどこへやら、この時間を楽しみにしだしている。個人的にあの考え方は少し怖いんだけどなー…。暴力的な善人と言おうか、邪気の無い悪意と言おうか。言い表せないが、肌が気持ち悪い。

 今週分のプリントと、母親による二言三言の会話。寒くなってきたこの季節、そろそろドアを開けっ放しにするのは冷えるな…。来週からは閉めてもらおうなんて考えたとき、閉まりかけたドアの音が途中で止まった。

 呼び止めた日のように。

「…? ……? あの、あれ、あそこにいるの宇治野ですか?」

「――――――」

 一気に背筋が凍った。バレて…? いや、向こうからはテレビ画面が少し見えている。だから自分はここにいるとわかるし、いつぞやかも考えた。逃げたと思われたくなくて、わざとリビングでゲームし続けて。でもなんで、今更…?

 頷く母親の声が上ずっている。どうしようもできなくて、ただただ固まっていた。

「宇治野! それ、トマクエ10だろ!? 僕もやってるんだよ、面白いよな!!」

 声変わり中の、咳交じりの声。初めて自分に向けられたそれに、返事さえ返せない。……やってるから、なんだよ。別にお前には何の関係も無いだろ、いきなり何なんだよ。強がりの軽口さえ吐き出せず、重く胃の中に戻っていく。それが余計なものまで引き連れて来そうで、慌てて口を押さえた。

 なんで、どうして、いきなり。

 今まで通り放っておいてくれよ、お前の優しさってやつで、なあ。

「あ、すいません、いきなり大声上げて。あのゲームやってる人、全然見かけないもんだから……」

 じゃあまた、と。閉まるドアの音に、これ以上ないほど大きく息を吐いた。………、……………。思考がうまくまとまらず、思わず胸を押さえる。吐き気がせり上がり、何もかも零してしまいそうだった。……なんで、今更。お前は学級委員だからプリントを届けに来て、俺は母親を通してそれを受け取る。たったそれだけだったのに、なんで。

 俺はまだ、人と会うのが、怖いのに。

「……秋良? 秋良、大丈夫!? 秋良!?」

 様子に気付いたのだろう。肩を揺すられ、はっと我に返る。全身が汗にまみれ、気持ち悪い。…ただ、我に返った分、冷静になれた。

 今まで緑は、宇治野に何も求めてこなかった。学校への登校どころか、返答さえ。でも―――でも。

 さっきだって、何も求めてこなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る