赤い実


 「これもお気に召さない」

 元の板の間の上だった。

 「痛みそのままなんだ?」

 「むしろ身体能力が向上したんだから自信持ってくださいよ。このあとは、マギーと濃厚なラブシーンもあったのに」

 「嘘つけ、絶対終劇!ってテロップだろが」

 行商は態とらしくため息をつくと、最後の実を渡してきた。

 「もうこれしか残ってませんよ。お気づきでしょうが自由度が増えると共に危険度も上がっています。試されるかどうかはご自分で決めてください」

 わたしは思案した。

 しかし元から深くは考えないたちで、さらに戻ることの容易さがわたしを浅慮にさせていた。

 「乗りかかった舟だ。退屈しのぎに最後まで付き合わせていただくよ」

 わたしは赤い実を頬張った。

 遠ざかる意識の中で、行商が帽子を取ったのが見えた。

 まるで敬意を示すように。




―赤い実-




 わたしは幼い少年に転生していた。

 転生していたというより、退化したという方が等しいのか。

 世界も元いた場所と大きく異なっているようには見えない。

 夕暮れの、見慣れた公園にわたしは佇んでいた。

 噴水が止まった池を覗き込んだ。

 5歳前後のわたしが見返している。

 パターンが違っている。

 そして、この光景に見覚えがあった。

 そうだ、欲しいおもちゃが買ってもらえずにわたしは駄々をこねて家出をしたのだった。

 そして遠く離れた公園に行き着いたところで、迷子になったことを悟ったのだった。

 夕日は赤い実を連想させる色に成熟している。

 「俺は、確かここで」

 より顔を見ようと池に食い入ったところで、幼児の重い頭は水に吸い込まれた。

浅いと見ていたが、それは大人の体であるならばこの幼い体は冷たい水に翻弄された。

 もがいて助けを求めようとしたところで、向こうから人の気配がした。

 それは大きなお腹をしたわたしの母だった。

 そうだ。五歳のわたしは、溺れたところを母に助けられて、そして母はそのとき池に入ったことが祟って、流産したのだった。

 わたしは反射的な悲鳴を押し殺した。

 生まれるはずだったわたしの弟妹。わたしはここで助けを求めてはならない。そしてここで逃げ出してはならない。

 わたしは元の世界に戻らない。

 自らの運命を受け入れるよう、苦痛を飲んでそのままわたしの体は池の底に沈んだ。

 体が芯まで冷えていく。

 記憶を失う寸前に垣間見た、帽子を取った行商の顔を思い出した。

 あれは、わたし自身だ。


 重い頭がようやく水底に到達した。

 鈍い音が広がる。

 どこかで産声がする。

 「おかえりなさい」

 息がつまるほどその声に驚いた。いや、逆にその声で息を吹き返した。

 無呼吸症候群のように呼吸を忘れていた。

「 あれ?俺生きてる!?」

 わたしにそっくりの顔をした行商がこっちを見ていた。

 「あなたが過去に転生し、そして苦しみを受け入れてくれたから私は産まれました」

 行商は立ち上がった。

 「え、俺の弟?」

 彼はいたずらっぽく笑うとそのまま踵を返した。

 呆気にとられている俺を尻目に振り返った。

 「楽しんでいただけましたか?なろうの実」

 わたしは首を横に振った。

 彼はわたしによく似た笑みを浮かべたまま帽子をかぶりそのまま出て行った。

 息を止めていた余韻が疲労となって後を追う気を失わせていた。

 わたしはドアの向こうで遠ざかる足音をぼんやりと聞いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なろうの実 どろんじょ @mikimiki5

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る