第26話 森屋紅葉は叱りたい
「雫様の部屋の片付けを手伝っていたらいきなり怒って家を飛び出した、ですか」
殺意マシマシの鋭い眼光に気圧された俺は、十数分前に自宅で起きた出来事について彼女に洗いざらい説明した。
「あ、ああ。俺に対して怒ってるってのは分かるんだが、俺の何に対して怒ってるのかが皆目見当つかなくてな……」
「なるほどなるほど……」
森屋さんは薄い胸を隠すように腕組みし、俺の説明を噛み締めるように何度も頷くと、
「あなたって本当にバカなんですね」
「今の説明からどうして俺が罵倒される流れに!?」
なんか知らんがバッサリと両断されてしまった。
「ま、待ってくれ。お前は雨宮さんが何に対して怒ってるのか知ってんのか?」
「あたしだけじゃなくあのリア充も知ってると思いますけどねぇ」
「リア充……? ああ、伊織のことか」
アイツまだそんな呼ばれ方されてんのかよ。せめて名前ぐらい呼んであげてくれ……。
「つーか、伊織も知ってるってどういうことだ? 何で俺だけ知らねえんだよ!?」
「あたしとしましてはあんなに条件が揃っているのに微塵も気付く様子がないあなたにこそ疑問を呈したいんですが……本当に分からないんですか? 焦らず、ゆっくりじっくりと、雫様の今までの行動を思い返しつつ、もう一度考えてみてください」
「雨宮さんの行動……」
彼女が許嫁だと判明してからの行動を想起してみる。
登校中に一緒に手を繋いだ。
弁当を作ってくれた。
ご飯をあーんしてくれた。
風呂に一緒に入った。
試着室に俺を連れ込み、俺に下着姿を見せつけてきた。
俺との買い物を楽しんでくれていた。
嫌ってなんかいないと明かしてくれた。
もっと仲良くなりたいと言ってくれた。
ちゃんと思い出せる。彼女との大切な思い出だ、忘れるはずがない。——だが、こんなことを思い出せと言われる理由が、分からない。
「本当に、分からないんですね。……それとも、気付いているのに自らその可能性を否定してしまっているのか。どちらにせよ、マイナス一〇〇紅葉ポイント級の大失敗です」
「それってどういう……」
「……雫様の望まぬことだと分かってはいますが、流石にあたし個人としてこれ以上は見ていられないので、言わせていただきます」
森屋さんはこちらに身を乗り出し、ずずいっと詰め寄ると、俺の目を真っ直ぐ見つめながら――
「雫様はですね、あなたのことが好きなんですよ」
……………………。
「そ、それは知ってるよ。友達としてってことだろ? この前、友達として仲良くなろうって雨宮さんと約束したばっかりだからな。だからそんなこと、わざわざ言われなくても分かって――」
「……現実逃避は、もうやめませんか?」
「っ……」
喉が干上がるのが分かった。
心臓が潰れそうなぐらい苦しくて、今にも気を失ってしまいそうなぐらい頭が痛かった。
「あなたが自分に自信のない超絶ネガティブ野郎であることは知っています。付き合いはそこまで長くない、むしろ知り合って数日程度の仲ですが、これでも人を見る目はある方だと自負しておりますので、ちゃあんと理解しています」
「…………」
「ですが、実際問題、今、あなたのその自信の無さが雫様を傷つけているんです。それがどうして分からないんですか?」
「そ、そんなこと言われても、雨宮さんは俺に何も……」
「何も言わなくたって、あれだけアプローチされたら誰だって普通は気付くものなんですよ。……でも、あなたは気付かなかった。気付けなかった。『雨宮雫が自分なんかに惚れる訳がない』と決めつけてしまっていたから、彼女の本当の気持ちに気付くことができなかった」
「それは……」
「違う、と胸を張って言えますか?」
「…………」
何も言い返せなかった。
だって、彼女の言う通りだったから。
「確かに自分の想いをしっかり伝えられなかった雫様にも否はあります。ですが、彼女は口で伝えられない代わりに、何とか自分の想いに気付いてもらおうと一生懸命行動していたはずです。その努力に気付いてあげられなかったのは、日野大地、あなたに責任があるんじゃないですか?」
「……そんなの、ただの予想でしかねえ。雨宮さんの口から聞かねえことには、本当の気持ちなんて分かるはずが――」
「じゃあどうして聞かなかったんですか?」
「っ……!?」
「嫌われるのが怖かったんですか? ただの勘違いかもしれないと臆していたからですか?」
「……そうだよ。当たり前だろ。誰だって、好きな人には嫌われたくねえだろ……」
「そうかもしれません。……ですが、それは雫様も同じなのでは?」
ゆっくりと、丁寧に。
親が子供に言い聞かせるように、森屋さんは言葉を並べる。
「もしかしたら嫌われるかもしれない。でも、それ以上に自分のこの気持ちに気付いてほしい。あまりにも大きすぎるデメリットだけど、一世一代の賭けに乗らないとこの鈍感野郎に自分の想いは伝わらない。——彼女はそう思っていたんだと思います」
「それでも、俺が気付かなかったから……?」
「流石に堪忍袋の緒が切れたんでしょうね。まあ、雫様は自分に厳しい方ですから、思い通りにいかずにキレる子どものように身勝手な怒り方だと自覚もしているとは思いますが」
部屋を飛び出す直前の雨宮さんの顔を思い出す。
怒りと悲しみでぐしゃぐしゃに歪んだ彼女の顔を、思い出す。
「……俺と友達として仲良くなりたい、って言ったのは?」
「あたしは雫様ではないので分かりませんが、あなたは雫様からずっと嫌われていると勘違いしていたんでしょう? だから、友達としてでも良いからまずはあなたと仲良くなる道を選んだんじゃあないですか?」
「鈍感な俺にアプローチしている時、彼女はどんな気持ちだったんだろうか」
「あたしは雫様ではないので分かりませんが、とても辛かったんじゃあないですか? 空回る恋心ほどキツイものはないでしょうし」
俺は雨宮さんに何もしていない。暴力を働いた訳でも、罵倒した訳でもない。
だが、何もしていないからこそ、彼女をとてつもなく傷つけてしまったらしい。
先に進むのが怖くて、道を選ぶのが怖くて、ただただ逃げて逃げて逃げまくった結果、雨宮雫の想いを踏みにじってしまったらしい。
「……俺はどうしたら良いと思う?」
「あたしがわざわざ説明しなくちゃいけないことですかね、それ」
「…………いや、うん、そうだな……」
——これは俺が自分で考えなくてはならないことだ。
俺が傷つけてしまった雨宮雫をどうするか。
俺に傷つけられてしまった雨宮雫にどうしたら良いのか。
俺みたいな臆病者に惚れてしまったらしい雨宮雫に何をすれば良いのか。
「一つだけ、聞かせてくれねえか」
「はい、何でしょう」
「今、雨宮さんがどこにいるのか、お前は知っているのか?」
「あたしは知りませんが、独自の情報網ですぐに探知が可能です。ですが、それを知ってどうするつもりですか?」
「……もう、逃げるのはやめにする」
拳を握り、森屋さんの目を真っ直ぐ見つめる。
「彼女を探して謝罪する。彼女の気持ちを聞く前にまず自分の想いをぶつける。その上で、彼女の本当の気持ちを確かめる」
「アバウトが過ぎますね。しかもまだ言葉の端々から自信の無さが見て取れます。これはマイナス三〇紅葉ポイントものです」
「…………」
「ですが、あなたの雫様への想いはとてもよく伝わりました。ですので特別に一〇〇〇紅葉ポイント、そしてあなたが求める情報を差し上げましょう」
そう言って、彼女は心の底から嬉しそうに笑った。
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