第24話 雨宮雫は片付けたい


「好きだ、雨宮さん! 俺は君のことが大好きなんだ!」

「……嬉しい」

「あ、雨宮さん……じゃ、じゃあ!」

「でも、ごめんなさい」

「え……?」

「私にとって、日野くんは友達。それ以上の存在としては、見られない」

「そ、そんな……」

「気まずいからお父さんに頼んで許嫁を解消してもらう。だから、これからは友達として、改めてよろしく……ね?」

「ま、待って、待ってくれ! 雨宮さあああああああああああああああん!!!」



     ★★★



 クソみたいに鋭い日差しがカーテンの隙間から差し込み、寝起きの俺をこれでもかってぐらいに照らしつける。

 寝ぐせ塗れ、寝惚け眼、しかし心臓は爆発しそうなぐらいに脈打ち、全身の毛穴からは大量の冷や汗が噴出している――そんな絶賛疲労困憊中の俺は窓の向こうに広がる青空を眺めながら、窓越しに聞こえる鳥の囀りに合わせるように溜息を洩らした。


「……とんでもねえ悪夢だった……」



     ★★★



「顔色が悪いけど、どうしたの?」

「いや、ちょっと過去最大級の悪夢を見たから寝起き最悪でさ……」

「過去最大級。気になる」

「俺の精神衛生上の問題で墓まで持っていく予定だから教えるのはちょっと無理っすね……」

「むぅ」


 頬を膨らませて拗ねる雨宮さんは本当に可愛いなあ、とか思いつつ、食パンにかぶりつく。うん、今日も良い焼き加減だ。数年前に消し炭にして以来焼き加減には細心の注意を払っているから美味くて当然ではあるんだが、それにしたって美味いと思う。今日から食パン焼き職人とでも名乗ってみるか?


「日野くん」

「ん? ふぁんふぁ?」

「口の中がなくなってからで大丈夫」

「んくっ……ごくんっ。何だ?」

「今日、この後用事はある?」

「用事? 買い物は昨日したし、今日は特にやることはねえかなー」


 暇すぎて一日中MMORPGでレベリングでもしようか悩んでいたところだし。

 雨宮さんはミルクで唇を湿らせると、


「そう。なら、少し手伝ってほしいことがある」

「手伝ってほしいこと?」

「実はまだ部屋の片付けが終わってない。だから、もし良かったら手伝ってほしい」

「それは別に構わねえけど……」


 そこでふと、俺は思った。


(あれ? もしかしてこれ、雨宮さんの部屋に合法的に入れるってことなんじゃあ……?)


 彼女いない歴=年齢であるわたくし日野大地は今まで生きてきた中で当たり前だが、女子の部屋に足を踏み入れたことなどただの一度もない。それどころか女子の部屋というものをこの目で見たことすらない。

 そんな俺がついに念願の女子部屋に侵入することができる……このチャンスをみすみす逃す手などあるだろうか、いや、ない!


「俺で良ければ是非協力させてほしい! もし必要なら片付けだけじゃなく掃除だって喜んでやらせていただこう! 掃除用具の貯蔵は十分か!?」

「何でそんなにハイテンションなのかは分からないけど、手伝ってもらえるなら良かった。……よろしく」

「おう! 泥船に乗ったつもりでいてくれて良いぞ!」

「……本当に大丈夫なの……?」



     ★★★



 第一に、とても良い香りだと思いました。


「こ、ここが雨宮さんの自室……!」


 鼻腔を擽る甘い香りに理性をブレイクされそうになりつつも、念願の女子部屋を上から下まで縦横無尽に視線を張り巡らせる。

 暖かな木の温もりを感じさせるベッドに丁寧に敷かれた、水糸を基調としたふかふかの枕とお布団。

 書棚には教科書類や漫画などが綺麗に並べられており、机の上には折り畳まれたノートPCが鎮座している。

 とても高そうな事務椅子には腰痛対策と思われるふかふかのクッションが置いてある。因みに柄は歯を剥き出しにした猫ちゃんだ。なんなのあの猫。流行ってんの?


「って、普通に片付いてるように見えるんだけど……」

「部屋の端にある段ボール。あそこにまだ、片付け切れてない服や本が入ってる」

「……引っ越し業者さんそこまでやってくれなかったんだ」

「下着もあるから、触らないように予め伝えてた」

「したっ……!?」


 あの段ボールの中に雨宮さんの下着が入っている? 下着ということはブラも入っているということになりますよね? 雨宮さんのたわわを包んでいる至宝があの箱の中にぎっしりと……!?


「日野くん?」

「俺もう死んでいいかもしれんね……」

「片付けを手伝ってもらわないと困る……」

「じょ、冗談だよ冗談アハハ」


 と、ここである心配が俺の頭の中を過ぎった。


「ん? 待てよ。さっきの話が本当なら、俺があの段ボールの中身に触るのって色々とまずくねえか? 本だけじゃなくて下着も入ってんだろ?」


 欲はあるが、それよりも雨宮さんのプライバシーの方が大切だ。ここで理性をへし折って本能の赴くままに下着にベタベタ触る訳にはいかない。つーかそんなことしたら絶対に軽蔑される。朝見た夢が正夢になりかねない。

 雨宮さんは顔色一つ変えずに俺を真っ直ぐと見つめてくると、


「日野くんになら見られても構わない」

「…………えっ?」

「もしかして、私の下着に触るのは嫌?」

「い、嫌ってことはないというかむしろありがとうございますというかいやいや今の言葉は忘れてほしいというかなんというか……」

「なら問題ない。早く始めよ?」

「あ、は、はい。うっす。頑張ります」

「ん」


 表情を軽く崩した後、小走りで段ボールへと駆け寄る雨宮さん。

 そんな彼女の微笑みを頭の中で反芻させながら、俺はただただ首を傾げていた。



     ★★★



「第一の箱、オープン……!」


 雨宮さんから渡された段ボール数箱の内の一つを恐る恐る開封する。長きに亘る旅の末に宝を見つけた海賊の気持ちになりながら解き放ったパンドラの箱(誇張表現)の中に入っていたのは、小難しい小説の山だった。


「…………はぁ」


 期待外れと安堵。その両方が籠った溜め息が反射的に口から零れ出た。


「ええと、確か小説は本棚の一番下に入れろって言われてたっけ……」


 段ボール箱をずりずり引きずりながら本棚の前まで移動する。業者の人はこんな重い物をよくもまあこの部屋まで運んだものだ。とてもじゃねえが一人じゃ持ち上げられねえよコレ。塵も積もれば山となる案件ですよこの重量感は。

 そんなとてつもなくどうでもいいことを考えながら小説を本棚に並べていく。


「『いちじく殺人事件』、『山手線殺人事件』、『富士山中殺人事件』……」


 手に取る本の全てがやけに物騒なんだが、ストレスでも溜まっているんだろうか。それとも殺したいほど憎い人がいるとか……いや、ないな。雨宮さんが唯一嫌っていそうな人物は俺だったし、その俺も嫌われていないことがこの前判明したからただ単純にミステリーが好きってだけだろう。俺の部屋にもえろほ――もとい少々過激な恋愛ものがたくさんあるし、それと同じようなものだろう。

 そうこうしている内に段ボールの中身が空になってしまったので、二つ目の段ボールを開封する。



 箱いっぱいのブラジャーが現れた。



「げほごほごほげっほごっほごっほおえええっひっくごほごほごほっ!!!!」

「ど、どうしたの? そのまま死んでしまいそうなぐらい咳き込んでるけど……」

「だ、大丈夫大丈夫! ちょっと喉にガン細胞が詰まっただけだから!」

「重症では……?」

「と、とにかく大丈夫だ! 片付けはつつがなく進行中であります!」

「……ん、分かった」


 少々納得いかなそうながらも作業に戻る雨宮さん。あ、危なかった……いきなりブラジャーの山が出てきた衝撃で死にかけただなんて口が裂けても言える訳がねえからな。深追いされずに本当に良かった……。


「と、とりあえず、箪笥にこれをしまわねば……」


 段ボールをずーりずーりと引きずり、次は箪笥の前へ。


「ぶ、ブラは下から二番目の引き出しに……」


 引き出しを開き、段ボールの中に手を突っ込む。


「そういえば」

「ひゃひいい!?」

「……さっきからどうしたの?」

「な、何でもないであります! そ、それより何の用でございますでしょうか!?」

「聞きたいことがあるのを忘れてた」

「き、聞きたいこと……?」


 震える手でブラジャーを折り畳み、引き出しの中にしまいながら雨宮さんの方に耳を澄ませ――


「私のブラジャー、どう思う?」


 どうしよう。質問の意味が分からない。



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