第23話 日野大地は伝えたい


『で、結局何も聞けなかった、と。……君ってつくづくヘタレだよね』

「うっせえわ」


 雨宮さんとのショッピングデートから数時間後。

 無事に家まで帰りつき、風呂や夕食などを済ませた後、俺は某MMORPGをプレイしながら伊織とボイスチャットで会話していた。

 互いのアバターが桟橋に腰かけて海に釣り糸を垂らしている姿をぼーっと眺めながら、俺はPCデスクに頬杖を突く。


「『実は俺のこと好きなんですか?』とか聞けるわけねえだろ。もし勘違いだったら俺はその場で舌を噛み切って死ぬ自信があるね」

『あはは。大地は相変わらずのクソ雑魚メンタルだなあ。いっそのこと当たって砕けてみればいいのに』

「こんなんでも許嫁だぞ俺達。今後ギスったらどうすんだよ」

『その時はその時じゃない? ネガティブなのがダメとは言わないけど、君は少し心配症が過ぎると思うよ?』

「彼女いない歴=年齢の超非リアモブ男子の危機回避能力なめんな」

『何で自信満々なのかな君は……』


 ヘッドフォン越しに溜息の洩れる音が聞こえてきた。どうやら本当に呆れているらしい。

 伊織に釣られるように溜息を零しつつ、ボタンを操作して釣竿を引く。……チッ、逃げられたか。


『また逃げられちゃったの?』

「俺、釣りコンテンツ苦手なんだよ」


 人を小馬鹿にするような声をヘッドフォン越しに響かせる伊織は俺と違って何匹もの魚を釣り上げていた。やっぱりセンスか? センスなのか? 俺はゲームの中でも伊織にセンスで差をつけられるのか?


「クソッ。この完璧人間め……」

『何度も言ってるけど、君はタイミングが遅いだけだって。慎重過ぎるのは君の美点ではあるけれど、そのままじゃいつまで経ってもゲットできないよ? タイミングを見極めて動かないといけないのは釣りも恋も同じだよ』

「ちょっと上手い感じに話を繋げるのやめろ」


 だが、流石はモテモテ男子。そのアドバイスは割と的を射ている気がする。

 伊織の言う通り、俺は慎重になりすぎるきらいがある。

 失敗したくない、嫌われたくない。

 そんな臆病な考えが身体の隅々まで染み着いてしまっているせいで、いつまで経っても一歩踏み出せない。

 まだダメだ、タイミングが悪い、もう少し待つべきだ――後ろ向きな言い訳を並べるばかり。ぐずぐずしている内にチャンスを逃してきた回数なんて十や二十じゃ利かないだろう。


「……タイミングを見極めろって言われても、経験不足な俺にゃ分かんねえよ」

『タイミングは自分で作るものだよ。親切な誰かを待っていたって意味がない』

「自分で作る、ね……」


 簡単に言ってくれる。それができたらとっくの昔に彼女の一人や二人簡単に作れてたに決まってんだろ。

 再び釣りに失敗する自分のアバターを眺めながら、俺は吐き捨てるように舌を打つ。


「お前のありがたいアドバイスを肝に銘じておきはするが、人には向き不向きってのがあるからな……」

『向いていようが向いてなかろうが、行動を起こさない奴にはどんな奇跡も起こりはしないと思うけど?』

「……それは、そうかもしれねえな」


 伊織の言葉を噛み締めるように呟きつつ、ログアウトボタンを押す。


『あれ? 今日はもう落ちちゃうの? レベリングに付き合ってもらおうと思ってたのに』

「気分じゃねえ。つーか、お前も明日は朝から練習試合だろ? あんまり夜更かしせずに早めに寝ろよな」

『君ともっとゲームができるなら部活を休んでも良いと思ってはいるけどね』

「次期エースがそんなこと言って良いのかよ」

『親に言われて仕方なくやってるだけだからね』

「他の部員が聞いたらブチギレそうな発言だな」

『あはは。そうかもしれないね。……それじゃあ、おやすみ』

「ああ、おやすみ」


 通話を切り、パソコンの電源を即座に落とす。そして椅子の背もたれに体重を預けると、俺は脱力しながら天井をぼーっと見上げた。


「……喉渇いたな」



     ★★★



 キッチンへと続く扉を開くと、午前零時を過ぎているというのに居間の電気が点きっ放しになっていた。


「……誰かまだ居間にいるのか?」


 視界には人っ子一人映っちゃいないが、電気が点いているということはつまりはそういうことなんだろう。親父はあんな風に見えて意外と節電に厳しい人だし、雨宮さんだって戸締りなどは律義に行うタイプだしな。

 よくよく耳を澄ませてみると、かなり小さいがテレビの音が聞こえてくる。親父はこの時間はいつも自室に籠って小説を書いているから、雨宮さんがテレビでも観ているのかもしれない。

 食洗器からコップを取り、冷蔵庫を開く。冷えたばかりの麦茶をコップに注ぎ、唇を軽く湿らせ……ぐいっとコップの中身を一気飲みする。


「んくっ……ぷはっ。せっかくだし声ぐらいかけとくか」


 コップに再び麦茶を注ぎ、居間へと向かう――前にもう一人分のお茶を用意し、今度こそ居間へと移動する。

 点きっ放しのテレビに、雑誌が広げられたテーブル。そしてすぐ近くには――


「……居眠りとは珍しいな」


 ——ソファの上で雨宮さんが盛大に寝落ちしていた。


「テレビの音をBGMに雑誌を読んでたが、力尽きてそのまま夢の世界へごあんなーい……ってところかな?」


 まあ、昼にあれだけはしゃいだから疲労が溜まっていたんだろう。つくづくクールな見た目とは裏腹に子供っぽい人だと思う。

 テーブルの上に雨宮さんの分のコップを置き、彼女の隣に腰を下ろす。三人用のソファだから俺が座ってもかなりスペースは余っていた。


「すぅ……すぅ……」

「こんなところで寝てたら風邪引くぞー……って、聞こえちゃいねえか」


 無邪気な寝顔で静かに寝息を立てる彼女は、いったいどんな夢を見ているのだろうか。うなされていないからきっと楽しい夢なんだろうが……。


「俺の夢とか見ててくれねえかなー……」


 我ながら気持ちの悪い願望だと思う。でも、夢の中でぐらい俺のことを考えていてほしい――そんな気持ちに嘘は吐けなかった。


「…………」


 テレビの音と雨宮さんの寝息だけが俺の鼓膜を震わせる。いっそのこと無音であってくれたら良かったのに、彼女の吐息は止まらない。

 ちら、と横目で雨宮さんを見る。閉じられた瞼に長い睫毛。半開きの口からは引っ切り無しに息が洩れており、着崩された襟元からは胸の谷間が垣間見え、片目を隠す程長い髪は若干湿っている。

 可愛い、と素直に思った。

 邪な気持ちなど一切関係なく、ただ純粋にそう思った。


「……こんなに近くにいるのにな」


 手を伸ばせば届く距離に彼女はいる。世界中の恋する少年少女と比べると、かなり恵まれた状況であることは自覚している。

 ……だが、物理的な距離とは裏腹に、俺と彼女の距離はとても遠い。

 たった一歩が、本当に、本当に……何度頑張っても届かない。


「……好きだ。君のことが、大好きだ」


 噛み締めるように、絞り出すように、自分の本当の気持ちを曝け出す。

 聞こえていないと分かっているからこそ、傷つかずに済むと理解しているからこそ、ここぞとばかりに想いを吐露する。


「…………この臆病者が」


 麦茶を呷り、ソファから立ち上がる。


「はぁ……なんか辛くなってきたから不貞寝しよ」


 着ていたパーカーを彼女の身体にかけ、溜息を吐きながら俺は居間を後にした。



     ★★★



 大地が自室に戻ってから数秒後、雫は静かに瞼を開いた。


「…………」


 点きっ放しのテレビ、テーブルの上に放置された雑誌とコップ。……そして布団替わりにかけられたパーカー。

 残された物品を目の当たりにし、ここでようやく雫は状況を理解した――訳ではなく、実のところ少し前から起きていたのだ。


「起きるタイミングを完全に失っちゃった……」


 彼女が目を覚ましたのは大地がソファに座った瞬間。寝惚け眼を擦りながら起きようとしたが、その前に大地が独り言を呟き始めたので起きるに起きられなかったのだ。


「…………」


 隣で大地が零していた言葉を思い出す。

 自分のことが好きだと言っていた大地の顔を、思い出す。


「こんなにアピールしてるのに気づいてくれないなんて……鈍感にも程がある」


 下着どころか裸まで見せたのに、どうして自分の気持ちに気付いてくれないのか。

 こんなにも、こんなにも……あなたのことが好きなのに。


「…………」


 残された彼のパーカーを抱き寄せ、顔を埋めながら、その場にころんと横になる。


「……日野くんの意気地なし」


 一人空回る想い人を軽く罵倒しながら、雫は頬を膨らませた。



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