第22話 雨宮雫は回りたい


 昼飯を食べ終わり、レジで支払いを済ませた俺達はショッピングモール内にある本屋へと向かっていた。

 目的はもちろん、猫の写真集である。


「それにしても、さっきのパスタはマジで美味かったな……」


 雨宮さんが選んだレストランの料理はそれはもう絶品だった。そこそこの値段だったから当然かもしれないが、ぶっちゃけ今まで自分が作ってきたどのパスタよりも美味かったかもしれない。


「やっぱり材料が違うのか? それとも調理の仕方が違うんだろうか……ぐぬぬ」

「日野くんの料理もちゃんと美味しい。心配しないで」

「じゃあさっきのカルボナーラと俺が作ったカルボナーラはどっちが美味しかった?」

「…………(ふいっ)」


 目を逸らされた。


「ちくしょう。いつか絶対にさっきのよりも美味いカルボナーラを作ってやる……」

「日野くんは料理人でも目指してるの?」

「いや、別にそういう訳じゃねえが……自分が作る料理よりも美味い料理を作られたらなんか悔しいじゃんか」

「日野くんは負けず嫌い」


 バッサリ斬られてしまった。

 でも、確かにそうかもしれない。MMORPGでも伊織に負けたくないからってレベリングを頑張ってるし、料理だって母さんに負けたい一心で練習を重ねて今の腕前まで上達することができたし……やっぱり負けず嫌いな性格なのかしれんな、俺。

 自分の意外な一面が明らかになり、思わず何度も頷いてしまう――と、俺のしみじみとした気持ちを掻き消すように、突然、雨宮さんが俺の手を握ってきた。


「っ!?」

「考え事をしながら歩くのは危ない」


 だから手を繋ぐ――彼女は目でそう訴えかけてきていた。

 雨宮さんと手を繋ぐのはこれで三回目……四回目か? とにかく初めての経験という訳じゃあない。だから当初の時よりは驚きだって薄いし、心臓の高鳴りだって依然と比べると大分落ち着いている。

 しかし、照れ臭いのは変わらない。——そして、嬉しいのだって変わらない。


「お、おう。ありがとう。でも、考え事はもうやめたから大丈夫だ。うん、大丈夫」

「ん」


 短く簡潔にそう返しつつも、雨宮さんは手を放さない。

 考え事をやめたんだから手を繋ぐ理由なんてないはずなのに、彼女は頑なに俺の手を放そうとはしなかった。

 もしかしたらさっき挙げた理由はほんの建前で、実は俺とただ手を繋ぎたいだけなのかもしれない。

 そんな考えがふと頭を過ぎるが、彼女の本当の気持ちを今ここで尋ねる度胸も勇気も俺にはないので、真相は闇の中。彼女が何を考えているのか分からないから、胸のわだかまりが解けることもない訳で。


(……俺ってつくづく卑怯でバカで弱い人間だよなあ)


 そんな俺もまた、自ら率先して彼女の手を放そうとはしないのであった。



     ★★★



 エスカレーターで三階に上がり、南へ数十メートル進めば、目的地の本屋が現れる。

 全国にチェーン展開している大手の本屋は休日ということもあってか、多くの人で賑わっていた。


「凄い人……迷子にならないように気を付けないと」

「手を繋いでるから大丈夫だろ」

「……うん」


 雨宮さんの頬が仄かに朱くなる。

 そこはかとなく嬉しそうに見えたが、わざわざ指摘するようなことでもないのであえて見なかったことにした。

 その代わりとして、彼女の手を強く握り直しながら、もう片方の手で自分の頬を掻く。言うまでもなく、ただの照れ隠しだ。


「んじゃま、とりあえず目的の品でも探すとしましょうかね。そもそも猫の写真集ってどこの売り場にあるんだ? 図鑑か?」

「…………」

「雨宮さん?」


 雨宮さんが静かにどこか一点を見つめていた。

 彼女の視線を追うと、そこには黒くて四角い機械が――


「ごめんなさい。少しぼーっとしてた」

「お、おう。具合が悪いとかじゃねえなら大丈夫だ。それで、本の場所なんだけど……」

「探せばきっとある。気長に見て回れば良いと思う」

「虱潰しか……」


 効率は悪いが、幸いにも時間に余裕はある。たまには時間の浪費をしても問題はないだろう。


「で、どこから見ていく? 右奥か左奥か……」

「日野くんはどこから見ていきたい?」

「君に任せるよ。俺別に欲しいもんとかねえし」

「ん。じゃあ、左から行く」

「オッケー。左からですねお姫様」

「……無理してる」

「指摘されると恥ずかしくなるからほんとやめてください」


 どうやら俺は彼女と二人で過ごす時間に少し浮かれているらしかった。



     ★★★



 流石は大手チェーン店とあってか、その品揃えは本当に見事なものだった。


「へぇ……朝の簡単弁当レシピか……少し気になるな……」

「買う?」

「うーん……いや、我慢する。ここで欲に負けちまったら後々財布がきつくなるって分かってるからな」

「じゃあ、私が買ってあげる」

「え? い、いやいや、いいよそんなことしてもらわなくて。来月の小遣いで買うからさ」

「私が買ってあげたいだけ。……ダメ?」

「……ありがとうございます」

「ん」


 ――料理本売り場で雨宮さんの上目遣いに押し切られ――


「お、懐かしいな。続編始まったのか」

「これ、知ってる。お父さんの部屋の本棚に置いてあった」

「俺も親父の本棚に置いてあるのを勝手に読んでたなあ。確か十年前ぐらいに流行った漫画なんだっけか」

「正確には十三年前。全十九巻で、外伝シリーズが全五巻。他にもノベライズが三巻にアニメが二クール、更にOVAが一巻に……何でもない」

「……もしかして雨宮さんこの漫画の大ファン?」

「違う。気のせい。今のは忘れて」

「主人公の必殺技は?」

「バーニングサイファー」

「…………」

「……誘導尋問は卑怯」

「いや、今のは雨宮さんが勝手に自爆しただけ――痛い! 無言で手を握り潰そうとしてくるのやめて! ていうか雨宮さん握力強くねえ!?」

「……ッ!」


 ——漫画売り場で雨宮さんの意外な好みが明らかになったり――


「…………」

「……流石に女子の前でえっちな本を凝視するのはどうかと思う」

「待ってくれ、これは違うんだ。もしかしたら写真集繋がりで一緒に陳列されてるんじゃねえかって思ってな」

「じゃあ何でアイドルの水着写真集を買い物籠に入れているの?」

「もしかしたら中に猫の写真が写ってるかもしれねえだろ?」

「ふぅん……?」

「……………………冗談ですごめんなさいちゃんと棚に戻すんで汚物を見るような目で睨みつけるのやめてください」


 ——写真集売り場で雨宮さんから軽蔑されそうになったり――

 そんな感じで本屋を隅から隅まで回りながら彼女とのやり取りを堪能すること数十分。俺達はようやく動物の写真集が集められた売り場に辿り着いた。

 そこには犬や猫などのメジャーな動物だけではなく、鳥や魚、植物に微生物とまさに痒いところに手が届く驚きのラインナップだった。店員に重度の動物好きでもいたりするのだろうか。

 圧巻の品揃えに驚きつつ、俺は隣の雨宮さんの方を向く。


「じゃあ、目的地に着いたところで好きなヤツを選んでくれ」

「分かった。ちゃんと二冊選ぶ」

「……そういえば二冊買うことになってましたね」


 色んな本を見て回っていたからすっかり記憶の彼方にすっ飛んでたわ。痛い出費だが、約束は約束だ。致し方あるまい。


「じゃあ選んでくる」

「うっす。俺はここで待ってるからゆっくり選んできなー」

「(こくり)」


 トタタッと早足で物色に向かう雨宮さんを苦笑しながら見送る。


「さて、俺も何か見て時間潰さねえとな……」


 動物関係の色んな書籍があるから退屈はしないはず。というか早速『ライオンのあやし方』とかいう本が目の前に現れやがりましたよ。なにこれ超気になる……。


「そもそもライオンってあやせるものなのか……? つーかこんな本を買ったとして人生のどこら辺で役に立つんだよ」


 動物園の飼育員になるかサバンナに一人取り残された時ぐらいしか役に立たない気がするんですが。


「って、封されてるから中見れないじゃん。残念」


 まあ、もしも封が開いていたとして、この場で中身を見たら満足してしまいそうだから、客の購買意欲をかき立てるという点ではこっちの方が良いのかもしれない。これ以上無駄遣いができないから我慢できたが、これが小遣いをもらった直後とかだったらぶっちゃけやばかっただろうしな。


「雨宮さんは……まだ選んでる最中か」


 両手に持った写真集を見比べては首を傾げている雨宮さんの姿に思わず苦笑が洩れた。ほんと、どこまでも小動物みたいで可愛らしい子だ。いつ見ても飽きない。


「まだ時間かかりそうだし、座れるところでも探すか……——ん?」


 本棚の隙間から通路に一歩踏み出したまさにその瞬間、俺の目視界にとある物体が映り込んできた。


「モニター……本の検索機か……?」


 大手の本屋ならばどこにでも置いてある検索機。黒くて四角いそのボディに、俺は不思議と既視感を覚えていた。


「……そういえば、店に入った時に雨宮さんがアレと同じヤツを眺めてたな」


 そうだ、思い出した。

 猫の写真集はどこに置いてあるのかについて話してた時、雨宮さんが検索機の方をじーっと見つめていたのだ。あの時はすぐに話を変えられたから気に留める暇もなかったが……今になって思えば、あの時点で本の場所を検索していれば、無駄な時間を省けたのではないだろうか。


「あえて検索機を使おうとしなかったってことか……?」


 最高率ルートをあえて無視してまで、わざわざ非効率な方法を選んだ。

 彼女と無駄な話をしながら色んな商品を見て回るのは確かに楽しかったが、効率よく回れるなら断然そっちの方が良いはずなのに……。


「まさか、俺と一緒に色んな本を見て回りたかった、とか?」


 そんな期待がふと浮かぶ。

 彼女がそう思ってくれていたらいいな、と心のどこかで考えてしまっている。


「雨宮さん、君は――」

「……怖い顔。どうかしたの?」

「っ」


 気づいたら、雨宮さんの顔がすぐ近くにあった。

 驚きのあまりその場でたたらを踏みかけるが、寸での所で持ちこたえることに成功。彼女の前でだらしない姿を見せずに済んだ。


「だ、大丈夫大丈夫。ちょっと考え事をしてただけだ。それより、もう選び終わったのか?」

「ん。この二冊に決めた」


 ずずい、っと俺の前に二冊の本を差し出してくる雨宮さん。三毛猫特集と野良猫特集の計二冊。野良猫の方はともかくとして、三毛猫特集なんてちゃんと採算取れるんだろうか。三毛猫ってかなりレアな種類だと思うんだけど。

 雨宮さんは買い物籠に写真集を入れ、まるでそれが当然かのように俺の手を握る。


「じゃあ、行こ?」

「……おう、そうだな」


 胸に燻ぶる疑問はあれど、それを解消するための行動は起こせない。

 彼女の本当の気持ちが知りたいけれど、それが期待していたものと違った時、自分がどうなってしまうか分からないから。


(……雨宮さん、君は――)


 ——俺のことを、どう想っているんだ?



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