第20話 雨宮雫は着替えたい


 そんなこんなで雨宮さんに連れ回されることが決定した訳だが……。


「何でよりにもよって下着売り場なのか!」

「贔屓にしているランジェリーショップとはラインナップが全然違う……デザインよりも機能性を重視したものが多い……?」

「というかユニ〇ロに女性用の下着売り場があることを今日初めて知ったんですが」


 まあ、よくよく考えれば男性用の下着が売っているんだし女性ものが売っているのは当然か。雨宮さんの言う通り、デザインよりも機能性を重視したものが多いから普通のランジェリーショップよりは気まずさを覚えずに済むが……いややっぱりきまずいわ。だって周りに男性客いねえもん。


「ふんふん。通気性が高いもの……こっちはスポブラ……? 気になるけど……むぅ、サイズが合わない」


 サイズが合わないんですってよ奥さん。この前一緒に風呂に入った時も思ったが、やっぱり雨宮さんって胸がデカ――


 ゴッッッッ!!!!!!


「ひ、日野くんっ? いきなり床に頭突きして、どうしたの……?」

「あまりにも邪念が過ぎる自分を律しただけです」

「日野くんは時々よく分からない……」


 可哀そうなものを見る目で見られてしまった。


「ま、まあ、俺の奇行についてはともかくとして、なんか良さげなものでも見つかった?」

「このノンアジャスター、ノンフック、ノンワイヤーのブラ。サイズが合いそうなものが二つあるから試着したい……」

「し、試着ね試着。うんうん」


 雨宮さんの試着シーンを想像しそうになる自分を心の中でぶん殴りつつ、周囲に視線をやる。ちょうど良いタイミングで商品棚の陰から店員と思しき女性が姿を現した。


「よし、店員さんに試着できるか聞いてくるから、ちょっとここで待っててくれ」

「(こくり)」


 下着を持ったままの雨宮さんを置き、店員さんの方へと駆け寄る。


「すいませーん。試着室って空いてたりしますか?」

「はい。空いております。ご試着ですか?」

「俺じゃなくて連れが……」

「なるほどなるほど。では、試着室までご案内させていただきますね」


 素敵な営業スマイルで先導し始める店員さん。俺は雨宮さんを手招きし、二人で店員さんの後ろをついていく。


「こちらが試着室になります。お好きなところをご利用ください」

「ありがとうございます。じゃあ、俺は外でてきとーに時間潰してるから、試着が終わったら連絡して――」

「ノンノン。ノンノンですよお客様」

「の、のんのん?」


 手刀を切って試着室から離れようとするが、何故か店員さんに引き止められた。


「お連れ様の下着が似合っているかどうかを見定めなくてどうしますか」

「み、見定めるって……どっちも同じヤツだしサイズが違うだけだし……」

「こういうのは恋人にどう思われているかがとても重要なんです。他の誰でもない、あなたの感想を彼女さんは求めているはずです」

「彼女……」

「いやいやちょっと待ってください。俺と雨宮さんは別に恋人じゃ――」

「皆まで言わずとも分かっています。このことは内密にしておきますので、ささ、どうぞ試着室の中へ」

「だから違っ……待っ……ぷぎゅ」


 押しの強い店員さんに試着室へと文字通り押し込まれてしまった。


「では、ごゆっくり~♪」


 店員さんは慣れた手つきでカーテンを閉め、軽やかな足取りで去っていく。足音しか聞こえないが、めっちゃスキップしてるだろアレ。こちらの気も知らないで……。


「はぁぁ……とりあえず俺は外に出とくから、終わったら連絡してくれ」

「…………」

「……雨宮さん?」


 返事がないので後ろを振り返る。——商品で口元を隠しつつ頬を朱に染めた雨宮さんの姿があった。

 雨宮さんは俺を上目遣いで見つめてきながら、


「……行っちゃうの?」

「はい?」

「お連れ様の下着が似合っているかどうかを選ぶ義務が、あなたにはあるはず」

「いや、あれは店員さんが勝手に言ってるだけで……」

「……どっちが似合っているか、あなたに選んでほしい。……ダメ?」

「……………………謹んで承らせていただきます」


 そんなに可愛く懇願されたら断れる訳ないだろこんちくしょう。



     ★★★



 しゅるしゅる、という衣擦れ音が俺の鼓膜を刺激する。なんかデジャブだな、とつい思ってしまうのは脳の防衛本能なのか。とにかく、今俺はどうしようもなく動揺してしまっているらしい。


「大丈夫? 狭くない?」

「べ、べべべべ別に狭くないしだだだだだいじょうぶぶぶでございますことよ!?」

「ん。なら良かった」


 全然大丈夫な訳がない。心臓が口から飛び出しそうだし、気を抜いたら頭が爆発四散してしまいそうだ。

 学園一の美少女が背後で着替えるという謎シチュエーションに、俺の思考が盛大にバグり始める。落ち着け。死ぬにはまだ早い。着替えの先に待っているのは、雨宮さんの下着姿レビューだ。今よりもさらに刺激的な未来が待っているのだから、これしきのことで動揺していてどうする。ビークールだ日野大地。お前ならできる!


「すうぅぅぅぅぅぅぅ……ふうぅぅぅぅぅぅぅぅ……」


 長い長い深呼吸で乱れた心を落ち着かせる。ここを試着室ではなく宇宙だと考えるんだ。全てを包み込み大いなる宇宙。宇宙があるから地球があり、地球があるからこそ世界があり、世界があるからこそ俺達がいる……。


「ん? じゃあ、俺達がいるからこそ何があることになるんだ……?」

「何の話?」

「え? いや、宇宙と生命の関係について――ぶぐふうっ!?」


 声に反応して思わず振り返り、そして言葉半ばに吹き出してしまった。

 雨宮さんは上半身裸だった。さっき選んでいたスポブラすらまだ身に着けていない、完全無欠の半裸だった。

 光の速さで前を向き、両目を塞ぐ。


「ご、ごめっ……マジでごめん!」

「こ、こっちこそ、声をかけちゃってごめん……」


 居たたまれない空気が個室に充満する。今まで生きてきた中で最も理性がどうにかなってしまいそうな状況だった。俺、ここから生きて出られたらベッドの中で悶え叫ぶんだ……。


「……日野くん」

「は、はい! 何でしょうか!」

「着替えたから、見てほしい。サイズは、合っているはず」

「う、うす……」


 意を決し、再び後ろを振り返る。——黒のワイヤレスブラを身に着けた女神雨宮さんがそこにいた。

 機能性を重視したブラだからか、普通の下着と比べると色気は感じない……はずなのだが、その健全さが逆に彼女の色気を増幅させてしまっている。ぶっちゃけた話、健全エロい。健全エロいってなんだ(錯乱)。


「どう、かな……?」


 恥ずかしそうに身をよじる雨宮さん。サイズは合っていると言っていたが、持ち前の巨乳は今にもブラから零れてしまいそうだ。大丈夫? ここでいきなり紐が切れてラッキースケベ展開が起きたりしない? 俺、警察に身柄を拘束されたりしない?


「……日野くん?」

「うえええあひいぃっ!? はい! 日野大地です! とても可愛らしい逸品だと思います! 健全エロいところも最高です! 本当にありがとうございます!」


 勝手に滑り倒しやがった口を今すぐ縫い合わせたい。


「健全えろ……?」

「の、ノーカンノーカン! 今のはノーカンで!」

「の、のーかん……?」

「凄く似合っていると言いたかったんです! 雨宮さんのあまりの魅力に口が滑っちまっただけなんです許してください!」

「そ、そう、なんだ……嬉しい……」


 かつての無表情っぷりはどこへやら。耳の先まで真っ赤にしながらそっぽを向く雨宮さん。これ本当にあの雨宮さんか? ちょっと可愛すぎるだろ。

 雨宮さんはそっぽを向いたまま、


「……じゃあ、これを買う」

「あれ、二着あるんじゃなかったっけ……」

「こっちでいい。……こっちがいい」

「お、おう。良いんじゃないですかね……」

「…………」

「……?」

「き、着替えるから、あっちを向いてて」

「そ、そうっすよね!? 気遣い足りなくてほんますんませんでしたあ!」


 心の中の関西人が露出しそうになりつつも、俺は慌てて彼女に背を向ける。


「(……慌てる日野くん、可愛い……)」


 雨宮さんが小さな声で何か呟いていたが、心臓の音がデカすぎて上手く聞き取れなかった。


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