第11話 森屋紅葉は名乗りたい

「…………」


 窓から差し込む朝日が眩しい。


「……良い朝だ」


 布団を被ったまま感動の吐息を零す。

 昨日までの俺だったら清々しい青空を見ても溜め息しか吐かなかっただろう。俺は眠いのに空が起きろと言ってくる、みたいな愚痴すら零していたかもしれない。

 だが、今の俺は違う。

 何故なら俺は、昨日、雨宮さんと友達になったから。


「……ふひっ」

 

 雨宮さんが俺を嫌っているというのは実は勘違いで、彼女は俺と仲良くなりたいと思っていて、互いのことをもっとよく知るために俺達は友達になった。……ああ、こんな現実有り得ていいんだろうか。あの雨宮さんと友達になれるだなんて、俺は今日トラックにひかれて昇天してしまうかもしれない。

 心の奥から溢れ出る嬉しさに、自然と笑みが零れてくる。

 だが、いつまでも寝たままではいられない。朝食の準備に弁当作り、着替えに洗顔にやることは山積している。

 左手で布団をはぎ取り、身体を起こすべく右手でベッドを強く押す――


 ――もにゅ。


「……もにゅ?」


 右手に走った柔らかな感触に俺の思考が凍り付く。おかしい。いつから俺のベッドの敷布団はこんなに柔らかくなったんだろうか。

 混乱を和らげるべく、もう一度右手で敷布団を掴んでみる。


 もにゅもにゅ。


「…………」


 これ絶対布団じゃねえよな。

 恐怖と好奇心が俺の背筋を震わせる。

 深呼吸を一つ、二つ、そして三つ。心をなんとか落ち着かせたところで、俺は勇気を振り絞って右手の方へと視線をやる。


「ん、ぅ……ふにゅ……すぅ……」


 爆睡中の雨宮さんの胸を俺の右手が鷲摑みしていた。


「——————————、カヒュッ」


 過呼吸になるかと思った。

 いや、ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って? 何で雨宮さんが俺のベッドで俺の隣で俺と一緒に寝てるの? いつから俺の青春ラブコメはアダルティな恋愛ものにクラスチェンジを遂げたの?


「や、ぁ……」

「っ!? ご、ごめっ……」


 雨宮さんの口から悩ましい声が零れ、俺は慌てて右手を上げる。というか俺、あの雨宮さんの胸を鷲摑みにしてたんだよな? 柔らかくて、張りがあって……柔肌が五指を優しく包み込んで……。


 ゴッッッ!!!!!


「ほえっ!? な、何……何の音……?」

「お、おはよう雨宮さん。良い朝だな」

「……どうして頭から血を流してるの?」

「ちょっと壁に頭を――ってそんなことより! 何で俺のベッドで寝てるんだ!? ちゃんと別々の部屋で寝てたはずだよな!?」

「一緒のベッド……?」


 きょとん、と雨宮さんは不思議そうに眼を見開くと、周囲を見渡し状況確認を開始する。


「…………どうして私は日野くんの部屋にいるの?」

「それは俺が聞きたいんですけども……」

「ふむ……あ」


 凄く嫌な予感のする「あ」だった。

 雨宮さんは布団を抱き寄せ口元を隠しながら、そっぽを向く。


「……多分、夜中にトイレに行った後、寝惚けて部屋を間違えてしまったんだと、思う……ごめんなさい……」


 もっと警戒心を持てとかどんな寝惚け方だよとか言いたいことは色々あったが、雨宮さんが可愛いからすぐにどうでもよくなった。



     ★★★



 朝に行うべき準備その他諸々を終わらせた後、俺と雨宮さんは通学路を歩いていた。昨日と違って手は繋いでいないが、彼女と肩を並べて歩けるだけでとても幸せなのでオッケーです。ああ、素晴らしき哉、友達関係。


「雨宮さんって何か好きな食べ物とかあんの?」

「カルボナーラ。ベーコンがあるととても嬉しい」

「ほうほう。じゃあ今日の晩飯はカルボナーラにでもするかなー。あ、でも、家にカルボナーラの材料はないはずだから、帰りにスーパーで買って帰ろうか」

「(こくり)」


 可愛らしく頷く雨宮さん。昨日は波乱の通学になったが、今日は何気ない会話を繰り広げるだけという何とも平和一色なムーブである。こういうのとても心が安らぎますね、ええ。


「夕食は私も一緒に作る。……友達だから」

「う、うーん。そこ友達関係あるのかなー……?」

「ある」

「あ、はい。じゃあよろしくお願いします……」


 ずずい、と詰め寄られてしまっては反論する気もなくなるというもの。つーか雨宮さんの超絶可愛い顔に迫られるとまともに直視できないし何より心臓に悪いので是非ともやめてほしい。言わないけどね。そんな度胸ないし。

 頬を掻いて照れ隠ししつつ、住宅街を進んでいく。

 ——と。



「そこで止まりなさい、日野大地!」



 平和な通学路に響き渡る、鈴の音を彷彿とさせる透き通った声。


「え?」

「は?」


 間抜けな声をデュエットさせつつ、俺達は揃って後ろを振り返る。

 そこにいたのは、勝気な瞳とツインテールが特徴の貧乳少女だった。顔は雨宮さん程じゃないにしろ平均と比べるとかなり可愛い。スカートから覗くおみ足からは健康的な色気すら感じる。襟元には二年生であることを示す青のネクタイが。

 同級生のようだが、俺は全く見覚えがない。

 なので、隣で困惑している雨宮さんにとりあえず聞いてみることにした。


「……誰?」

「分からない……」


 他人のフリをしようとしているのかと思い顔色を窺ってみる。心の底から困った顔をしていた。


「……あー……どなた様?」

「そういえば自己紹介がまだでしたね……いいでしょう! 特別にこのあたしの名前を教えて差し上げます!」


 謎の女子生徒はズビシと俺を指差しながら、高らかに言い放つ。


「あたしの名は森屋紅葉もりやもみじッ! 『雨宮雫様を幸せにしたいの会』会長にして、雫様の平和な学園生活を守る可憐な守護者ですッッッ!!!!」


 ドーン! と彼女の後ろで七色の煙が舞い上がった。見ると、数名の生徒たちが変な道具を使って煙を起こしている。自己紹介の為だけにわざわざそんな手の込んだことを……。


「フッ……決まりました」

「いや、余韻に浸ってるところ悪いんだけど、えーと、『雨宮雫様を幸せにしたいの会』って何……?」

「よくぞ聞いてくれました!」

「ひっ」


 一瞬にして目の前に高速移動してきた森屋さんに思わず悲鳴が零れてしまう。全く目で捉えきれなかったんだが、最近の女子高生ってみんなこうなの?

 森屋さんは目をキラキラと輝かせながら、


「あたし達は雫様に最高の学園生活を送ってもらうために集った雫様の忠実なるしもべなのです! あ、僕と言っても奴隷とかそういうのではなくあくまでも陰から雫様を支えていきたいなって感じでしてというのもやはり我々が雫様に直接介入するのはちょっと違うというか解釈違い? みたいな感じになっちゃうので陰から雫様を支えることを選んだ訳なんですよお判りいただけました?」

「お、おう……」


 早口でまくし立てる森屋さん。ああ、分かった。つまりコイツは雨宮さんオタクなんだな。しかも割と厄介な方の。


「え、ええっと、で、その雨宮さんのファンの方々が俺に何の用で?」

「ファンではありません『雨宮雫様を幸せにしたいの会』です」


 めんどくさっ!


「……その『雨宮雫様を幸せにしたいの会』の方々が俺に何の用で?」

「その前に、こちらから一つ聞かせてほしいことがあります」

「え?」


 森屋さんは俺――ではなく雨宮さんの方を向く。


「雫様。昨日、この男が貴女の許嫁だという噂を耳にしました。あたし達は事実無根だと信じておりますが、是非、貴女の口から真実をお聞かせ願いたいのです」

『『『お聞かせ願いたいのです!』』』

「……って、言われてますけど?」

「…………」


 雨宮さんは前髪を弄りながら、森屋さん達に真実を真っ直ぐ伝える。


「日野くんは私の許嫁であり、友達でもある。これは嘘でも何でもない、ただの真実」


 ……一切の躊躇いもなく言われるとちょっと気恥ずかしいな。

 雨宮さんの後ろでこっそり照れる俺。

 それに対し、森屋さんはこの世の終わりを見たかのように顔を真っ青に染めると、その場に膝から崩れ落ちた。


「そん、な……あたしたちの、しずくさまが……」

「か、会長! 大丈夫ですか会長!」

「傷は浅いです! すぐに手当てを!」

「くっ! 日野大地、あなたに人としての情はないの!?」

「いや俺何も言ってねえだろ」


 責任転嫁はやめてもらいたい。


「……よく分からんが、用は済んだか? 遅刻したくないんでそろそろ学校に行きたいんだが……」

「…………待ちなさい」


 『雨宮雫様を幸せにしたいの会』の会員達に支えられながら、森屋さんは立ち上がる。……何故か俺を睨んでいるしその鋭い目からは大量の血涙が流れ出していた。


「いや怖ぇよ」

「……あたし達はあくまでも陰から雫様を支える者。ですから、雫様の生活に干渉はしません。しませんが……いきなり許嫁ができただのと言われてもあたし達は納得ができません!」

「納得と言われても……」


 どうすりゃ納得してくれるんだと目で訴える雨宮さん。その気持ちはすっごく分かるよ。だって俺も今同じ気持ちだし。

 勝手に熱くなっている森屋さんは頬を流れる血涙を雑に拭うと、恨みの籠った恐ろしい声色で叫びを上げた。


「ですから! 今日一日、その男を観察させてください! その男が雫様の許嫁として本当に相応しいのか、あたし達が全力で見定めさせていただきます!!!!」


 面倒事が光の速さでぶつかってきた。



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