第8話 雨宮雫はあーんしたい
ソシャゲのスタミナをちょうど消費し終わった頃、ようやく雨宮さん作の夕飯が完成した。
「冷蔵庫に野菜がたくさんあったから、鍋にしてみた」
「おお、すげぇ……」
テーブル中央にドカンと置かれた土鍋の中には旬の野菜がぎっしりと。周囲には追加用の食材が入った器がいくつかあり、おまけとばかりに簡単な惣菜も用意されている。
総評。
今日の夕食めっちゃ豪華やん。
「俺が作る料理が霞むな……くっ、これが女子力……っ!」
「……鍋でそこまで喜ばれると、少し複雑」
「雨宮さん的には鍋は料理に入らない感じ?」
「市販の出汁に切った野菜を入れただけだから」
「そっかー。でも、俺的には超豪華で最高な料理にしか見えないけどなあ」
「……そう」
料理を褒めて機嫌を取る作戦が不発に終わってしまった。せめてもう少し喜んでくれれば……いや、勝手に褒めただけなんだから反応を期待するのはお門違いだな、うん。
雨宮さんは器とお玉を手に取ると、慣れた手つきで鍋の中身を注ぎ分ける。自分の分だけではなくちゃんと二人分注いでくれる細やかな気配りに軽くときめいてしまう。チョロすぎかよ俺。
「ん。熱くなってるから、気を付けて」
「ありがとう」
雨宮さんから器を受け取り、手前に置く。白菜、豆腐、卵にニンジンと、色とりどりの食材が盛り付けられていた。
「んじゃ、いただきます」
「いただきます」
「ははっ。なんか夫婦みたいだな」
「…………」
婚約関係にあるのに何言ってんだ的ツッコミを期待したのだがここでまさかのガンスルー。俺のギャグセンスの無さが露呈してしまってちょっと心が折れそうです。
静かに涙を流しながら白菜をもっきゅもっきゅと咀嚼する。うん、出汁が染みてて大変美味です。ちょっとしょっぱい気がするけど、これ多分涙のせいです。
「……美味しくなかった?」
心配そうな雨宮さん。どうやら俺が泣いている理由を勘違いしているようだ。
俺は白菜を呑み込み、親指を立てる。
「いや、超美味しい! 弁当もそうだったけど、雨宮さんってほんと料理上手だよな!」
「……そう。口に合ったのなら何より」
そこで一旦言葉を止めると、雨宮さんは自分の器の中の卵を箸で掴み取り――
「ん」
——俺の前に差し出してきた。
「……え?」
「褒めてくれたお礼。私の卵をあげる」
「あ、ああ、なるほど。お礼ね……」
ずずいっと鼻先に突きつけられたゆで卵を見つめる。雨宮さんは俺をじーっと見てきているし、これはきっと俺にあーんしてくれているのだろう。全世界の男子が憧れる『女の子からのあーん』を、俺は今まさに経験しようとしている訳だ。
だが、しかし。
(このゆで卵、絶対熱いよな……)
バラエティ番組などで観たことはないだろうか? リアクション芸人が熱々の卵を口に放り込まれて悶絶する光景。あれはテレビ用にリアクションをいくらか大袈裟にしているだろうが、それでも熱いことには変わりないはず。こっちのゆで卵はなんか湯気が凄いし、口内の火傷は避けられない気がしまくりである。
どうする? 火傷が怖いから断るか? ——否。雨宮さんからあーんしてもらえるというこのチャンスを逃す手などない!
「……あーん」
「…………」
大きく開いた口にゆで卵が押し込まれる。
直後。
俺の口内が蹂躙された。
「——————————————————ッッッッ!?!?!?」
恥も外聞もなかった。
声にならない叫びを上げながら、少しでも熱さを和らげようとその場でのたうち回る。さっきとは違うベクトルの涙が頬を伝い、脳がアラートを鳴らしまくってもいた。
「ひ、日野くんっ?」
「ら、らいりょふ、はふっ……んぐぐっ……だいじょっ……大丈夫……ッ!」
うわー、雨宮さんの焦り顔初めて見たなー。やっぱり可愛いなー。
あまりの熱さに頭が現実逃避を始めていた。せっかく雨宮さんにあーんしてもらったというのになんかもう台無しだ。でも、ちょっと幸せ気分になっている自分がいたりしますハイ。
「ふぅっ……ふーっ……はふっ……あー、死ぬかと思った……」
己の呼吸で卵を無理矢理冷ますことで何とか事なきを得る。結構暴れたはずだが幸いにも食器や土鍋は倒れていなかった。
俺は舌を出しながら体を起こし、頭を掻いて照れ隠しする。
「い、いやあ、思ったよりも熱かったわ。でも、うん、超美味しかった!」
正直、熱さのせいで味なんて微塵も分からなかったけど。
「……ごめんなさい。せめてもう少し冷やしてからにすれば良かった」
「いやいや、あーんしてもらうという幸せの代償と思えばこれぐらい安いもんですよ」
「あーん……?」
不思議そうに首を傾げる雨宮さん。あ、もしかしてそういう意図があった訳じゃないんですか。俺が勝手に浮足立ってただけってこと――
「っ!」
しゅぼっ!! と雨宮さんの顔が真っ赤に染まった。
「……………………へ?」
「な、何でもない。こっち、見ないで……」
両手を忙しなく動かして必死に顔を隠そうとする雨宮さん。いつもの無表情はどこへやら、耳の先まで真っ赤に染まっていた。
……ほほう。
「もしかして、俺にあーんして照れてるのかな雨宮さん?(ニヤニヤ)」
「……そんなことない」
すぅ、といつもの無表情に移行する雨宮さんだが、残念なことに彼女の頬は真っ赤なままだった。可愛い。本当に可愛い。
あまり追求しない方がいい。それは分かっている。これ以上要らぬことを言ったら今よりももっと嫌われる。それもよく分かっている。
だが――
「そうは言うけど、頬は赤くなったままだぜ?」
——照れる雨宮さんが可愛いからやめたくないです。
「……気のせい」
「えー? 本当に気のせいかー?」
「私はいつも通り」
「雨宮さんっていつもそんなに顔赤くないと思うんだけどなー? なあなあ、やっぱり照れてるよな? なあ?(ニヤニヤ)」
「…………」
雨宮さんは鍋の中から熱々の大根を箸で掴み取ると、
「日野くんしつこい」
「ほがあっ!?」
俺の口の中にそれを押し込んだ。
「ほぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!?!?」
ついさっきまで鍋で煮込まれていた新鮮な熱々大根の威力は尋常じゃなかった。炎? マグマ? とにかく形容し難いレベルの熱さが俺の口内で暴れまわっている。もしかしたら俺はこのまま口から溶けて死んでしまうのではなかろうか。そう思ってしまうぐらいの熱さだった。
どったんばったんと居間を転がりまわる。涙と鼻水がドバドバ零れるが、熱さが和らぐことはない。なるほど、これが地獄ってやつか……ッ!
「…………日野くんのバカ」
ゴミを見るような目で俺を見降ろす雨宮さんが何か言っていたが、悶絶することに必死な俺の耳では全く聞き取ることができなかった。
★★★
「……死ぬかと思った」
「自業自得」
「はい、仰る通りですごめんなさい……」
灼熱地獄in俺の口により軽く死にかけた後、俺は雨宮さんと二人で皿洗いをしていた。ちなみに、鍋の残りについては復活した後に責任を以て完食させていただきました。
積まれた食器をスポンジで磨きながら、俺は横目で雨宮さんを見る。
(さっきは冗談で言ったけど、こういうのってやっぱり夫婦みたいで良いよなあ)
キッチンに二人で並んで皿洗い。現代では珍しいほどの仲良し夫婦って感じで大変良いと思います。……まあ、夫である俺は妻から
「(……こういうの、なんか夫婦みたい)」
「ん? ごめん、食器の音でよく聞こえなかったんだけど、何か言った?」
「……少し食べ過ぎた」
「あー、まあ確かに二人で食べるにはちょっと多かったかもな」
せめてもう一人ぐらい欲しかった。親父が出版社にカンヅメにされてなけりゃ何も問題はなかったんだけどな……ほんと間が悪いというか大事な時に役に立たないなあの人。
「んー……じゃあ、残りは俺がやっとくから、雨宮さんは先に風呂にでも入っといでよ。ちょうどお湯が沸いた頃合いだろうし」
「私もこの食器を使ったから、最後までやる」
「いやいや、雨宮さんは料理を作ってくれたじゃん? だから皿洗いぐらい俺がやらないとバランスが取れないって」
「あれは私が無理を言って仕事を奪っただけ」
「でも……」
「最後までやる」
「……はーい」
ジト目でぐいぐい詰め寄られたのでもう押し切られるしかなかった。上目遣いのはずなのになんか圧が凄かったよね、圧が。
「じゃあ、皿洗いについてはこのまま二人でやるとして、風呂はどっちが先に入ろうか」
俺が入った風呂になど入りたくないだろうから、できれば一番風呂を選んでほしい。……いや待て。俺に残り湯を飲まれたくないと思っている可能性も捨て切れないぞ。やはりここは俺が先に入るべきか? いやいや、でもでも……。
食器を拭きつつうーんうーんと唸るが、良い考えは浮かんでくれない。
「もういっそのこと一緒に入ればいいのでは?」
「え?」
「え?」
ちょっと待て。今俺は何て言った?
「ヴァッ……ち、違っ……べ、弁明をさせてくれ! べ、別に邪な気持ちがあって言った訳じゃなく、どっちが先に入るのがベストなのかを考えてたらなんか変な風に思考が回ってそれがつい口から出ちまったと言うかなんというか……ッ!」
同級生に一緒に風呂に入ることを提案するとか頭のネジ何本緩んでんだよ俺! うわあどうしよう雨宮さんこれ絶対に怒ってるよ「コイツ婚約関係だからって調子に乗るなよ」って内心ブチギレてるよ……。
「…………」
雨宮さんは沈黙したまま俺をじーっと見つめてきていた。
もうなんか罪悪感で死にたくなってきました。今すぐ屋根の上から飛び降りて骨の二、三本ぐらい折った方がいいんじゃないかな。だってさっきの発言どう考えてもセクハラですよセクハラ。
俺は食器を棚に置きつつ、溜息と共に肩を落とす。——と。
「……私は、別に構わない」
「…………はい!?」
光の速さで雨宮さんの方を振り向く。
そこには頬を若干朱に染めた雨宮さんがいた。
「あ、雨宮さん?」
「……聞こえなかった?」
雨宮さんは長い前髪を指で弄りながら――
「日野くんが入りたいなら、私は別に、構わない」
——今にも消え入りそうな声で呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます