第7話 雨宮雫は手伝いたい


 雨宮さんの可愛さが尊くてヤバかった帰路を終え、俺はようやく自宅へとたどり着いていた。


「なんか帰り道がいつもの倍ぐらいに感じた……」

「私、歩くの遅かった?」

「むしろ俺の鼓動が早すぎた」

「???」


 とっさのボケはどうやら通じなかったようです。つらい。

 スベったギャグに心の中で合掌しつつ、鞄から取り出したカギを扉に差し込――んだところで、俺はふと気づいた。


「なあ、雨宮さん。そういえば君の荷物ってどうなってんの?」


 雨宮さんは自宅に立ち寄ることなく真っ直ぐ俺の家へとやってきた。つまり、今の彼女は着の身着のままな訳で……。


「ん、大丈夫。昼の内に引っ越し業者が全部運び込んでいるはずだから」

「手際が良すぎて怖い」


 そして例に漏れず俺には何も知らされていませんでしたとさ。おそらく俺が反対すると踏んだ親父の策略なんだろうが……心の準備をするためにもせめて事前報告ぐらいはしてほしい。もうここまで来たら反対なんてする気も起きないし。

 心配事が光の速さで解決したところで、俺はようやく扉を開いた。――扉の向こうは薄暗く、人影一つない。いつも通りの日野家玄関の姿に俺は思わず安堵のため息を零す。


「扉を開けた瞬間に親父がクラッカーでもぶちかましてくるんじゃないかと思ったが、決してそんなことはなかったぜ……!」


 土間に靴すら置かれてないし、大方出版社にでも出向しているんだろう。〆切近いって言ってたし、これは強制カンヅメかも分からんね。

 鞄を下駄箱の上に置き、ため息交じりに靴を脱ぐ。それを後ろで待っていた雨宮さんは同じように下駄箱に鞄を置きながら質問を飛ばしてきた。


「お義父さんはお茶目な人なの?」

「お茶目というかバカというか……って、今イントネーションおかしくなかった?」

「許嫁だから、何もおかしくない」

「あ、そっすか……そうっすよね……」


 言われてみれば、雨宮さんは俺の許嫁なんだから親父のことを義父呼ばわりするのは何もおかしくないのか。……違和感はやっぱり拭えねえけど。


「とりあえず荷物を置きに行くか。……そもそも雨宮さんの部屋はどこなんだ?」

「お父さんは二階の一番奥って言っていた」

「……なるほど。物置部屋を潰したって事ね」


 ぶっちゃけそんな気はしてた。だってこの家で空いてる部屋ってそれこそ物置部屋ぐらいだし。俺の部屋を共同で使ってね、っていう展開も覚悟はしていたけどね。……そっちの方が良かったとは微塵も思っていません。ホントダヨ?


「つーか、物置部屋ってことは俺の部屋と道向かいなのか」

「(……日野くんと同じ部屋でも良かったけど)」

「ん? 何か言った?」

「何でもない」

「あ、はい」


 雨宮さんの目から『これ以上追及するな』という圧を感じた。目が超怖いんですけどやっぱり嫌われてますよね? 嫌われてなかったらこんな目で見られないよね?


「……とりあえず部屋に行ってみるか」

「(こくり)」


 悲しい現実からは目を逸らすに限る。

 零れる涙を拭いつつ、俺は雨宮さんと共に二階へと向かった。



     ★★★



 階段を上り、少し歩くと扉が二つ現れた。

 一つはもちろん俺の部屋。扉上部に吊り下がった青色の表札には拙く『だいち』と書かれている。やや子供っぽいが、思い出の篭った大切な表札だ。

 そしてもう一つは、物置部屋――ではなく、雨宮さんの部屋。ご丁寧に『しずく』と書かれた水色の表札が取り付けられていた。仕事が早くて何よりです。

 俺は自室のドアノブに手をかけながら、


「俺はこれから夕飯の支度があるし、また後でってことで良いのかな?」

「私は何をしてたらいい?」

「うーん、そうだなぁ……風呂はスイッチ押すだけだし夕飯は俺が作るし……俺が呼びに来るまで部屋でくつろいでもらうとかしかやることは特にないかなあ」

「…………」


 おっと、なんかとても不服そうだぞ。


「……もしかして、何か手伝いたいのか?」

「(こくり)」

「そっかー……」


 許嫁としての責任か、はたまた単にじっとしているのが我慢ならないのか。真意は不明だが、とにかく手伝う気満々であるらしい。

 うーん、何をやってもらうべきか……。


「雨宮さんはどんな家事が得意?」

「得意なのは料理」


 迷わず即答。まあ、昼に食べた彼女の弁当はかなり美味かったし、強がっている訳じゃないのかよく分かる。


「なるほど。じゃあいきなりで悪いけど、夕飯を作ってもらおうかな」

「ん、分かった。頑張る」


 ふんす、と両手を握る雨宮さん。可愛い。


「ん……? そういえば、『得意なのは料理』ってさっき言ってたけど、その言い方だと苦手な家事もあるってことなのか?」

「……………………」


 なんかやけに沈黙が長かった。心なしかいつもより表情が暗い気がする。


「……笑わない?」

「お、おう」

「約束してくれる?」

「約束します」

「…………」


 ほう、と吐息を零し、雨宮さんは目を逸らしたまま言う。



「……男性用の下着が恥ずかしいから、洗濯が苦手」



「フフッ」


 口が滑った。


「日野くん……?」


 すぅ、と前髪で隠れていない方の目が鋭くなった。あ、これ怒ってるな。


「ま、待ってくれ! 今のはその不可抗力というか、油断していたというか! と、とにかくわざとじゃないんだ!」

「笑わないと言った」

「そ、それは……」

「笑わないと約束した」

「た、確かに約束したけども……」

「…………」

「……………………ごめんなさい」


 瞬間、俺の額に鋭い痛みが走った。


「あだっ」


 それが雨宮さんからのデコピンによる痛みだと分かったのは、彼女の微笑み顔を見てすぐのことだった。


「これで許してあげる。……でも、次は無い。いい?」

「う、うっす」

「ん」


満足気に頬を緩める雨宮さんが可愛すぎて辛かった。



     ★★★



 自室に戻って部屋着に着替え、風呂の準備を終えた後、俺は居間で静かにソシャゲをプレイしていた。


「…………」


 オートで敵を撃破していくキャラクター達から、左前方へと視線を動かす。その先にいるのは居間と隣接したキッチンで夕食を作っている雨宮さん。青を基調とした薄手の部屋着の上からエプロンを身に着けた彼女の可愛さに脳が揺れるが、頬を抓ってなんとか耐えた。

 コトコトコト、トントントン、グツグツグツ。

 耳慣れているはずの調理音が、何故かいつもよりも魅力的に感じられる。学園一の美少女が俺のためにキッチンに立って夕飯を作ってくれているというシチュエーションのせいだろうか。分かっちゃいたが、家庭的な女性の魅力ハンパねえ。


(可愛いなあ)


 あまりにも当たり障り過ぎる称賛。学園一の美少女として多くの生徒達から崇められている雨宮さんなら毎日のように浴びているであろう月並みな誉め言葉。

 でも、彼女を見ていると、そんな単純な言葉が思わず口から零れてしまう。


「~~♪」


 キッチンの方から鼻歌が聞こえてくる。それが誰のものかなんてわざわざ考えるまでもない。


「まさかあの雨宮さんに夕飯を作ってもらえるだなんてなあ」


 手を繋いだり弁当を作ってもらったりしてもらっているくせに今さら何を、と思われても仕方がないが、それでもこの非常識を噛み締めずにはいられない。


「俺のことを嫌ってるのかそうじゃないのか……結局どっちなんだろうなあ」


 気にはなるが、直接尋ねる度胸は無い。それに、答えを手に入れたとして、その後に俺の心がブレイクせずに済むかどうかも分からない。……多分、木っ端微塵に砕け散りそうだな、うん。自慢じゃないが、俺のメンタルってクソ雑魚ナメクジだし。


「……まあ、雨宮さんが可愛いからどうでもいいか」


 とりあえず夕食ができるまでは雨宮さんのエプロン姿を堪能させてもらおう。

それこそ、こんな機会は滅多にないのだから――。


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